周深(ジョウ・シェン/Zhou Shen)の歌を聴くとき、声の高さにまず驚く人は多いでしょう。
けれども、彼の歌い方を知る手がかりは、どこまで高く出せるかだけにはありません。
言葉を届けるときの柔らかさ、声楽の響きを使う場面、人物が入れ替わるときの音色。
その使い分けを曲の中で考えると、澄んだ声が、なぜ違う物語を歌えるのかが見えてきます。
柔らかな声と、声楽の響きを使い分ける
周深の柔らかな歌には、息を含んだ、耳元へ話しかけるような質感があります。
音楽研究者の趙朴は、声楽で磨いた息のコントロールを、こうしたポップスの表現に生かしていると捉えています。
強い響きを常に前面へ出すのではなく、軽さを保った歌と、感情が高まる場面の響きを組み合わせる、という見方です。
息を含む柔らかさと、響きを大きく広げる感覚は、歌に違う距離を作ります。
前者は小さな心の動きに耳を近づける入口になり、後者は曲の世界を広く感じさせる手段になる。
声楽を学んだ歌手だから全編をクラシックの声で歌う、と考えるより、曲のどこでその響きを使うかに注目したほうが、周深の選択を捉えやすくなります。
「大鱼」について、本人は、終盤の言葉のない吟唱には声楽の歌い方を組み合わせ、言葉の発音や旋律には中国的な特徴を残したと説明しています。
異なる要素を並べるだけでなく、聴き手が一つの世界に入っていけるように結びつけることを大切にしているのです。
制作側が終盤に用意したのは、本人の声同士が歌い交わす構成でした。
一人の歌の広がりと、録音で声を重ねる広がりの両方が、この曲を形作っています。
声を変える場所には、曲の理由がある
「浅浅」の最後に入るイタリア語のアリアも、声楽の響きを使う場所が明確な例です。
詞を歌う部分から「人知れぬ涙」の一節へ進むことで、言語と歌の様式が一緒に変わります。
曲の気質に合わせて選ばれた終盤であり、ただ高音を足したわけではありません。
「光亮」では、京劇の語りと歌唱を取り入れています。
高揚する部分で地声を広く用いた、と制作時に紹介された一方、間奏には古い吹奏楽器の塤と京劇の語りを組み合わせました。
歌の強さだけで押し切らず、声の様式と伴奏の組み合わせでも場面を変えているのです。
本人は「光亮」の戲曲的な歌い方を、絵や詩の中で感情が広がる一節のように考えています。
技法を見せることと、曲の世界へ聴き手を誘うことが、ここでは結びついています。
同じ歌手が一曲の中で声を変えても、その変化が物語や伴奏につながっていれば、ばらばらな見せ場にはなりません。
声の種類を数えるより、言葉のある部分とない部分、歌と語りがどうつながるかを見る。
周深の曲には、その聴き方を楽しめる入口がいくつもあります。

画像出典:画像掲載元
「达拉崩吧」では、声そのものが登場人物になる
「达拉崩吧」の公主役には、音声合成の歌手・洛天依を思わせる機械的な音色も使われています。
もともと作者のilemは、人間の息継ぎを前提にせずこの曲を書きました。
周深の歌唱でも、終わり近くで息を継ぐため一字を歌わない箇所があった、と作者自身が指摘しています。
「达拉崩吧」/『歌手・当打之年』(2020年)
この曲で声を変えることは、登場人物を聞き分けるための演技になります。
いつもの柔らかな響きへすべてをそろえるより、少し人工的な声も物語の道具として生かせる。
さらに、声色を切り替えながら長い言葉を運ぶには、呼吸の問題もついてきます。
速い言葉が続く歌を、際限なく息の続く声として受け取ると、人間の歌へ移し替える難しさが見えなくなります。
カバーでは、元の歌の言葉を尊重する
周杰倫の「烟花易冷」を歌ったとき、周深は、原曲の歌い回しや言葉の発音を無理に変えないことを大切にしました。
まず元の曲を理解して再現し、その後で自分の特徴を加えるという順序です。
自身の細い声ならどう歌えるかを考え、唐漢霄とともに、元の寂しさを残しながら、より侠気のある編曲へ作り替えています。
原曲に似せることと、独自性を加えることは、必ずしも反対の作業ではありません。
言葉の運びを大切にしつつ、声の質や伴奏から別の表情を引き出すこともできる。
周深の声であることを急いで強調せず、先に曲の特徴を受け止めるという選択が、このカバーの出発点でした。
歌うとき、本人が意識しているのは、その歌に描かれた人物になることです。
「泪海」を歌った2026年には、古い歌にも今の心情を託したいと話していました。
歌詞が同じでも、演じる視点まで固定されるわけではありません。
声の美しさに加えて、誰のどんな気持ちを運ぶかを考えることが、歌の方向を決めています。
装飾音一つが、言葉を変えてしまうこともある
広東語曲の「月亮桥」では、声を美しく飾ればよい、では済みませんでした。
本人が難しさとして挙げたのは、言葉と旋律の関係です。
装飾音を入れるか、音をどう動かすかによって、別の言葉になってしまうことがある。
録音では、その細部を繰り返し調整したと話しています。
李克勤との「月半小夜曲」の準備でも、発音を教わり、メモを取って練習していました。
声の高さと並んで、言葉そのものが取り組む課題になっています。
装飾音は、単に巧さを示す飾りではありません。
言葉をどう聞き取ってもらうかにも関わるので、加えることと同じくらい、加え方を選ぶことが大切になります。
同じ旋律をなめらかに歌えても、言語が変われば、その滑らかさがそのまま正解になるとは限らない。
この具体的な難しさを知ると、多言語で歌う周深の表現も、才能の一言で片づけられなくなります。

画像出典:画像掲載元
きれいに歌える声でも、それだけを選ばない
「请我不改」では、低く荒々しい声でロックの曲へ向かっています。
透明な声の印象とは異なる選択です。
柔らかさを保つことだけが、その曲の気持ちを表す方法ではありませんでした。
録音について本人は、慣れたスタッフの前なら、きれいに聞こえるかどうかを先に決めず、さまざまな歌い方を試せると話しています。
一つの安定した歌い方で終えるのではなく、さらに録りたいと伝えることも覚えてきました。
周深の歌い方を支えているのは、同じ声をどの曲にも当てはめることではなく、その声から何を取り出すかを探す作業です。
柔らかく語るのか、声楽の響きを広げるのか、人物を演じるのか。
曲と場面に応じた選択をたどると、高音の驚きの奥に、言葉と物語を届ける歌手の仕事が見えてきます。
初期の選曲から、幅広い声を使うようになるまでの歩みは、周深の歌唱変遷にまとめています。

こちらの記事もおすすめ

周深が選曲と声の使い方を広げてきた歩みをたどります。

Smokeなどの制作・作詞・録音の証言から、その歌い方を考えます。

けれど、この曲の強さは音量を上げて押し切ることにない…



コメント