織田哲郎の歌声はどう変わった?失った高音と、選び直してきた歌

織田哲郎 — 2026年「幻奏夜Ⅹ」より シンガー
2026年「幻奏夜Ⅹ」より。撮影:Masanori Naruse/Real Sound

織田哲郎は、2007年のアルバム『One Night』を、七年ほどかけて作りました。歌も楽器も録り直し、自分で納得できる作品になった。ところが数年後、本人が次に求めたのは、磨き上げた音ではなく、もっと荒々しいロックでした。

声が思うように出せなくなった後、時間をかけて歌を取り戻し、ようやく満足できる録音を作る。それなのに、なぜもう一度方向を変えたのでしょう。高音の変化だけでなく、織田が「この声で何を歌いたいか」を選び直してきた道をたどります。2013年の『W FACE』に収められた「FIRE OF LIFE」は、その問いがロックへ向いた時期の曲です。

ロックを歌う自分から、別の歌も作りたい自分へ

織田は1970年代末にバンドで活動を始め、1983年にソロアルバム『VOICES』を発表しました。若い頃のライブには、勢いのあるロックを求める客が集まっていたそうです。本人もかつては、ロバート・プラントやイアン・ギランの歌を高い声で真似していたと話しています。

けれど、出せる声の高さと、作りたい曲の方向は同じではありません。織田は30歳前後に、ロックだけに自分を閉じ込めている感覚を持ち、1988年の『Season』、翌年の『Candle In The Rain』へ進みました。従来の激しい曲を待つ客は離れたものの、後に本人は、この時期のアルバムを作ってよかったと振り返っています。

1992年には「いつまでも変わらぬ愛を」を発表します。提供曲の作者として織田を知っていた人にも、自分の名前で歌う声が届いた曲です。ただ、後年の話を読むと、この頃の高音をそのまま「織田がずっと目指した理想の声」と決めることはできません。歌手としての強みと、聴き手として好きな音楽との間には、本人も違いを感じていたのです。

2000年、歌い慣れた高さが使えなくなった

2000年、スペインで強盗に首を絞められた後、織田の歌声は変わりました。本人は、高い声だけでなく低い声も出しにくくなり、歌える範囲が狭くなったと説明しています。話す声が以前と似ていても、歌ではそれまで使えた音を行き来できない。曲を書くことと、その曲を自分の声で歌えることは、別の問題になりました。

当時の織田は他の歌手の制作に追われ、自身の歌を後回しにしていました。声が出なくなって初めて、「自分は何をしたいのか」を考えたといいます。発声と歌の練習を続け、歌える範囲は少しずつ戻りました。しかし、以前の高音へそのまま戻ったのではありません。違う声で何を歌うかを、考えなければならなくなったのです。

もう一つ、織田が振り返ったことがあります。高い声を張り上げると観客が喜ぶ一方、聴き手として好きだったのはニール・ヤングやポール・サイモンのような歌手でもあった、ということです。以前の歌い方だけを取り返すのではなく、残った声で好きな音楽を作れる。そう考える余地が生まれました。ただし、声の変化が穏やかな曲だけを選ばせたわけではありません。

七年かけて作った『One Night』は、なぜ次の答えにならなかったのか

自分の歌をもう一度きちんと残したい。そう思って織田は『One Night』の制作に取り組みました。演奏を別の奏者で録り直し、再び自分で弾き直す。歌や最終的な音のまとめ方にも何度も手を入れ、発売までに七年ほどかけたそうです。2007年に完成した一枚を、本人は初めて十分に納得できたアルバムだと語っています。

ところが、納得したからこそ、別の好みもはっきりしました。作り手として細部を整えるほど、聴き手として好きな、角の残る音が減っていく。音を磨き上げることと、曲の瞬発力を残すことは、必ずしも両立しなかったのです。

『One Night』では、変わった声でどこまで納得できる録音を作れるかに取り組んだ。次は、録り直せる箇所をすべて直すのではなく、最初に生まれた勢いをどこまで残せるかを試したかった。声が上達したからロックへ進んだという単純な順序ではなく、作品作りの問いが変わったのです。

2013年、『W FACE』でロックとバラードを同時に選ぶ

織田哲郎 — 2013年『W FACE』インタビューより
2013年『W FACE』インタビューより。撮影:竹内洋平/Real Sound

『W FACE』は、最初から「ロック盤とバラード盤を一枚ずつ作る」と決めて始まったわけではありません。織田はまず曲を作り、ひとまとめにするより分けたほうがよいと考え、REDとBLUEの二枚にしました。REDには「FIRE OF LIFE」、BLUEには「いつまでも変わらぬ愛を」の21st century版も収めています。

高音が出しにくくなってから、織田はアコースティックな音楽へ向かい、ロックから十年ほど離れていたと振り返ります。一方で、エレキギターを弾く楽しさは消えていませんでした。だから『W FACE』のロックは、昔の声へ戻れた証拠というより、今の声と演奏でロックをやりたい気持ちが再び前へ出た作品です。

同じアルバムに、昔から知られる自分の曲を歌い直した版も入れた。片方を選んで片方を捨てたのではなく、その時に歌いたい二つの方向を一作へ並べています。『One Night』を仕上げた後にも、織田の答えは一つに固まりませんでした。

2017〜2018年、夜の一人に向けた歌と、歌い継ぐ代表曲

2017年の「CAFE BROKEN HEART」は、夜に一人で過ごす人へ向けた曲になりました。織田は、深夜のラジオを聴く人の姿が、制作中に自分の中にあったのかもしれないと話しています。発表時の紹介文も、傷を抱えた大人に寄り添う歌として、この曲を伝えています。

『W FACE』でエレキをもう一度弾きたいと話した人が、数年後には静かな曲を発表しています。ロックができなくなったからバラードになった、と並べると順序が逆です。本人は、作曲家やプロデューサーとしてどう見せるかを考えていても、歌手としてはその時に歌いたいものを優先してしまう、と笑って話しています。

「いつまでも変わらぬ愛を」も歌い続けました。2018年の武漢公演では、1992年に発表した曲を自身のステージで歌っています。新しい曲を作る一方、昔の代表曲も、その時の自分の歌として届けていたのです。

客席が静かだった2020年に、ロックを強めた

2020年2月、感染症拡大の影響で公演が中止になり、織田は急きょ配信ライブを行いました。会場で客と会えなくなっても、共演者と歌を届ける方法を探しました。

その後、客席を空け、観客が声を出しにくい状態でツアーを組むとき、当初は最後だけ少し立ち上がる程度の控えめな構成を考えたそうです。ところが本人は、それでは違うと感じ、むしろ普段よりロック色を強めました。

静かな客席だから演奏も静かにする、という選び方ではありません。沈んだ気持ちを抱える人に、前向きな気分を残したかったと本人は説明しています。曲調を決めていたのは、その場の客へ何を渡したいかという判断でした。

翌2021年も、弦楽器と共演する「幻奏夜」を続けました。織田は、弦の響きが好きで、どの曲なら弦カルテットと共に映えるかを基準に選曲していると話しました。弦を入れたら自動的に柔らかな歌手へ変わるわけではない。曲と編成に応じて、声の周りに置く音を変えているのです。

織田哲郎 — 2021年「幻奏夜V」より
2021年「幻奏夜V」より。撮影:Koichi Morishima/Billboard JAPAN

相川七瀬のために作った曲を自分で歌い直すとき、何を変えるのか。その工夫は織田哲郎の歌い方で、相川との制作の話から詳しく扱っています。

2026年も、昔の曲を同じ形に閉じ込めない

「幻奏夜」は2026年にも続きました。東京公演では、WANDSへ提供した「世界が終るまでは…」をピアノで歌い、「恋心」には途中から打楽器が加わりました。「恋心」から「いつまでも変わらぬ愛を」へは、曲の合間に話を挟まずに進んだと公演レポートにあります。

ここで起きていることを、2000年の出来事だけで説明することはできません。声が変わったのは事実です。でも、2026年の曲順や編成は、長く作り、歌ってきた曲を今どう届けるかという選択でもあります。織田はこのシリーズを、今後も続けたいと語っています。

『One Night』で納得するまで録り直し、『W FACE』で勢いを求め、2020年には静かな客席を前にロックを強め、弦の公演ではよく知られた曲を新しい編成へ移す。失った高音を取り戻せたかどうかだけでは、この動きは説明できません。織田の歌声の変遷は、使える声が変わった後も、自分が歌いたい音楽と、聴く人へ渡したいものを選び続けてきた歩みです。

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