ダン・レイノルズの歌声の変遷|巨大なサビの奥で、隠していた声を出せるまで

2022年7月、リスボンのNOS Aliveで歌うダン・レイノルズ(写真:Pedro Gomes/Redferns) シンガー
2022年7月、リスボンのNOS Aliveで歌うダン・レイノルズ(写真:Pedro Gomes/Redferns)

イマジン・ドラゴンズの歌には、大勢で声を合わせたくなる力があります。
けれど、その中心にいるダン・レイノルズは、初めから自分の声や言葉を堂々とさらけ出せた人ではありません。
ライブを続けるために声との付き合い方を覚え、録音では、整っていない表情も残せるようになっていきました。
大きな声がさらに大きくなった、というだけでは捉えられない歩みです。

一人で声を重ねた少年が、客の注意を引く歌い手になる

少年時代のダンは、兄のマイクを使い、自分の声を何重にも録っていました。
当時よく聴いていたのはエンヤ。
自分を落ち着かせるような歌を作り、声を二十ほど重ねることもあったと振り返っています。
後の大きなステージとは対照的に、歌はまず自分へ向けたものでした。

バンドが活動を始めてからは、ラスベガスのカジノでカバー曲を演奏する日々を経験します。
スロットマシンに向かっている客の注意を引き、ときには六時間も演奏する。
本人は、そんな仕事がライブでの見せ方を鍛え、録音する音楽にもつながったと話しています。

自分のために声を録る時間と、目の前の人を振り向かせるために歌う時間。
ダンの歌の親密さと強い押し出しは、この二つの経験を持つ人の表現として考えると、つながって見えてきます。
客席へ広がる歌にも、出発点には一人きりの時間があったのです。

2012年、『Night Visions』の成功と、声を使い続ける難しさ

2012年、最初のアルバム『Night Visions』を発表。
「Radioactive」や「Demons」は、バンドを広く知られる存在へ押し上げました。

その発売を控えた2012年夏、ダンは声の手術を受けています。
同年八月の取材では、長いツアーに加え、短期間に公演を詰め込んだ負担を振り返っていました。
成功へ向かう時期に、歌いたい気持ちだけでは声を使い続けられない現実にも直面していたのです。

後に本人は、ポリープを取った後、最初に歌ったときの声が大きく違って感じられ、怖かったと説明しています。
数カ月で元の感覚に戻ったとも話しているため、手術によって以後の声が永久に別物になった、とまとめるのは適切ではありません。
大きく変わったのは、三公演の後には一日休むなど、声を守る予定の組み方でした。

ここでは、声の状態と、表現として選ぶ声を分けて考える必要があります。
その時期に声の不調があったことだけで、後の高音や柔らかな歌い方の理由まで説明することはできません。
長く歌える条件を作りながら、表現の選択肢も増やしていった。
その二つが並行していたのです。

2015年、バークリーの学生との交流に参加したダン・レイノルズ(右)とウェイン・サーモン
2015年、バークリーの学生との交流に参加したダン・レイノルズ(右)とウェイン・サーモン。
画像出典:画像掲載元

2015年、激しい声と柔らかな高音が同じ作品に入る

二作目『Smoke + Mirrors』の録音でも、ダンは激しい声を手放していません。
「Friction」の最後の強い歌唱を録る際には、声への負担を気にしながらも、バンドの表現に欠かせない部分だと考えていました。

一方、タイトル曲には、ソウルのような情感やビーチ・ボーイズを思わせるハーモニーも取り入れられています。

同年のシドニー公演でも、「Friction」の力強い歌と、「Shots」の裏声が同じステージで評されています。
声を柔らかくすることは、激しい歌をやめることではありませんでした。

この頃、本人は声の健康を維持する方法を、まだ探っているとも話しています。
表現が広がったことと、声の問題をすべて解決したことは、同じではなかったのです。

一方で、ステージ経験と発声の訓練を重ね、六年前とは歌い方が違うとも語っていました。
本人の実感としても、歌は生まれ持ったままのものではなく、続けながら覚えていくものでした。

2017年、『Evolve』で音を減らし、歌の輪郭を出す

次の『Evolve』では、前作で音を重ねすぎたという反省が制作を動かしました。
ダンは『Smoke + Mirrors』を大切な作品としつつ、全員で作るうちに音を足しすぎた面も認めています。
「Believer」ではマットマン&ロビンらと組み、少ない音をよく選ぶ方向へ進みました。

「Whatever It Takes」では、既存曲に近く感じられたサビを捨て、自宅で歌い直しています。
声を前へ出すだけでなく、どんな旋律で印象を残すかも、選び直していました。

声を大きく聴かせるには、周囲の音を増やす方法ばかりではありません。
伴奏が詰まりすぎていなければ、一つの言葉の勢いも、繰り返すフレーズも前へ出ます。
この変化は、ダンの歌を厚いサウンドの中心から、リズムの表情が際立つ場所へ押し出した転機と捉えられます。

同作の「Thunder」では、自分の声を高く加工したフックも使われています。
子どもの歌声と間違えられるほどの響きですが、ダン自身の声でした。
力強い肉声だけでなく、録った声を変形させることも、曲を印象づける方法になっていたのです。

2021年、きれいに収めたくなる自分をリック・ルービンが動かす

『Mercury – Act 1』で向き合ったのは、言葉を曖昧にしてしまう自分でした。
ダンは初期の歌詞について、家族に本心を知られる怖さから、比喩に隠れる面があったと振り返っています。
プロデューサーのリック・ルービンとの制作では、そこから踏み出す自信を得ました。

ルービンは、すべての曲の歌詞を一緒に確かめました。
ダンには、それまで誰とも経験していなかった、居心地の悪い作業でもありました。
うまく整えた言葉より、その気持ちを本当に信じられるかが問われたのです。

その変化がはっきり表れたのが「Cutthroat」です。
ダンは、以前なら奇妙すぎると考え、発表まで進めなかっただろうと話しています。
ルービンは、本人が隠したくなる部分を受け止め、曲をさらに掘り下げるよう促しました。
怒りの向く先も、他人だけではなく、自分の中の自己嫌悪でした。

声を整えて出すことに加えて、整えきれない気持ちを歌の中に残す。
ここにある変化は、単に荒い声を使うようになったことではありません。
初期からあった強さを、何を伝えるために使うのか。
その判断を、もう一段内側まで掘り下げたのです。

2024年、『Loom』では歌を作る場所そのものを開く

『Loom』では、用意してきた大量のデモをいったん脇へ置き、マットマン&ロビンとスタジオで新しく曲を作りました。
一人で録ったものを持ち寄る従来の進め方から、その場で作る方法へ。
ダンは、作品を以前より簡潔でまとまりのあるものにできたと話しています。

普段は人前で歌詞やメロディーを作るのが得意ではないダンも、この二人には家族のような親しさがあり、弱さを見せやすかったといいます。
制作相手への信頼が、歌を完成させる前の段階にも広がっていました。

「Kid」は、ドラムのループへ、そのとき感じていた言葉を話すところから生まれました。
完成した旋律を立派に歌う前に、口をついて出た声が曲の出発点になったのです。

一人で抱えた気持ちを何重もの声にするところから、その場で出た言葉を仲間と育てるところへ。
他の人がいる場所でも未完成な声を差し出せるようになったことは、この歩みの大きな変化です。

大きな会場へ進んでも、一人に語りかける歌は残る

2024年12月の有明アリーナ公演では、「Radioactive」でドラムを叩く場面の後、「Demons」でピアノ弾き語りをする場面もありました。
圧倒するような演出の中に、歌い手の繊細な表情へ近づく時間が置かれていたのです。

2024年、ハリウッド・ボウルのステージに立つダン・レイノルズ(写真:Andi Elloway)
2024年、ハリウッド・ボウルのステージに立つダン・レイノルズ(写真:Andi Elloway)。
画像出典:画像掲載元

同年十月には、ハリウッド・ボウルでLAフィルム・オーケストラと共演。
そのステージは、2025年にライブ映画としても届けられました。
編成を広げても、以前の曲を現在の場で歌い直す歩みは続いています。

ダン・レイノルズの変遷は、声を強くする技術だけの歴史ではありません。
声を使い続ける条件を知り、伴奏との関係を変え、自分が避けていた表情まで歌へ迎え入れてきました。
大きなサビの奥にあるのは、隠していたものを少しずつ人へ渡せるようになった歌い手の姿です。

曲や録音ごとの声の使い分けは、ダン・レイノルズ(Imagine Dragons)の歌い方で詳しく扱っています。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました