Coccoの歌い方|強い声の向こうに、歌詞の情景がくっきり残る理由

2017年の日本武道館公演で両腕を広げるCocco Cocco
Cocco、2017年の日本武道館公演「一の巻」。撮影:田中聖太郎/出典:音楽ナタリー。

Coccoの歌は、声の強さに圧倒されて終わりません。
歌詞に出てきた人や風景まで、聴いたあとに残ります。
映画監督の塚本晋也も、デビュー当時のCoccoを見て、歌う姿とともに「歌詞の内容がはっきり聞こえた」ことに驚いた一人でした。

その言葉は、Coccoの歌い方を考えるうえで大切です。
声を大きくするだけなら、言葉が伝わるとは限りません。
彼女の歌では、激しさも優しさも、歌詞に書かれた出来事を近くに感じさせます。
しかも本人は、自分が歌った曲の意味を、あとになって知ることがあると話しています。

1998年の「Raining」は、塚本が強く心に留めた曲でもありました。
歌手の存在感に引き込まれながら、同時に歌の中の出来事を追ってしまう。
その二つが重なるところに、Coccoの歌の面白さがあります。

「すごい声だった」の先に、言葉が残る

塚本はCoccoの歌について、詩の鮮明さと世界観に心を動かされたと語っています。
やがて自分の映画の登場人物にも、彼女の歌から受けた印象を取り入れました。
歌声の迫力だけでなく、そこから想像した人物像までが、映画作りにつながったのです。

これは、発音が明瞭だという話だけではありません。
言葉を聞き取れたうえで、その言葉が描く場面に引き込まれること。
「Raining」のように、過去の出来事をたどっていく曲では、その働きが大きくなります。
聴き手が物語を追えるから、歌の中の明るさも痛みも、自分に関わるものとして感じられるのでしょう。

ライブの感想にも、声量以外のところを聴いている人の言葉が見つかります。
2011年のMONSTER baSHを見た個人ブログには、「Raining」の言葉が丁寧に歌われ、バンドの音とともに情景を作っていたという感想がありました。
2023年の中野サンプラザ公演を記した別のブログでも、同じ曲から、以前より深く歌詞の景色を感じたと述べられています。

もちろん、これはそれぞれの聴き手の受け止め方です。
ただ、強烈な歌手として記憶されるCoccoが、言葉をじっくり聴きたくなる歌手でもあることが伝わってきます。

激しく歌う曲と、優しく歌う曲が隣り合う

2017年の日本武道館公演「一の巻」は、そんな表現の幅が一晩に詰まったライブでした。
初期の制作を支えた根岸孝旨らが集まり、「カウントダウン」から幕を開けています。

当日のライブレポートでは、冒頭の曲々を全身で激しく歌う姿に続き、「やわらかな傷跡」で優しい声へと空気が変わったことが記されています。
中盤の「Raining」にはアコースティックギターが寄り添い、終盤には「焼け野が原」が力強く歌われました。
さらに「風化風葬」では、静かな歌唱へと移っていきます。

一つの声色や一つの勢いで押し通す公演ではありません。
荒々しい歌のあとに柔らかな声を聴くと、その柔らかさに気づきやすくなる。
静かな歌を経てから大きく声が広がれば、その力も違って感じられます。
Coccoの強さは、強く歌い続けることだけでできているわけではないのです。

これほど表情の違う歌を歌うとき、本人の気持ちも曲と一緒に変わっているのでしょうか。
Coccoは、自分の感情と歌の関係について、意外なことを話していました。

怒っているときにも、優しい歌が出てくる

2013年のインタビューで撮影されたCocco
Cocco、2013年のインタビューより。
撮影:西田香織/出典:CINRA。

2013年、Coccoは、ひどく怒っているときでも、とても優しい歌を歌えることがあると語っています。
いま自分が感じていることと、生まれてくる歌の内容が、必ずしも一致しないというのです。

激しい曲を歌っているから、本人もいま怒っている。
悲しい曲だから、そのときの気持ちをそのまま告白している。
そう考えたくなるほど歌が切実でも、本人の説明はもっと複雑です。
先に歌があり、あとから自分で意味に気づくこともある。

これは、歌に気持ちが入っていないという話ではありません。
聴き手が受け取った悲しさや優しさを、そのまま歌手の私生活の説明に置き換えなくてもよい、ということです。
歌の人物が感じていることと、歌う人がその日に感じていることを、いったん分けてみる。
そうすると、Coccoの歌を本人の告白としてだけでなく、一つの物語としても聴けます。

塚本が彼女の歌から映画の人物像を思い描いたことも、ここでつながってきます。
歌うCoccoに目を奪われながら、歌詞の中の別の人物のことも考えてしまう。
その両方が起こるほど、言葉が鮮明に届いていたのでしょう。

頭の中にある歌を、バンドと一緒に形にする

その世界は、歌詞を書き、あとから旋律を付けるという順番で生まれるとは限りません。
Coccoの場合、言葉と旋律が一緒に出てくるといいます。

2016年の『アダンバレエ』をめぐる話では、頭の中に歌詞も演奏もあり、シンバルが鳴る場所まで決まっていると説明していました。
ただし、譜面を書いてミュージシャンに渡す方法ではない。
こんなふうに弾いてほしいと伝え、バンドと一緒に音にしていきます。
このアルバムでは、鍵盤にシールを貼って、伝えたい音をピアノで示すことにも挑戦しました。

自然に出てくる歌でも、録音になるまでには、他の人に伝える作業がある。
本人が伴奏まで思い描いていると知ると、声の勢いだけでなく、周りで鳴っている音にも耳を向けたくなります。

初期の音作りについても、根岸は、あらかじめ決めたロックの型へ彼女を当てはめたわけではなかったと語っています。
『ブーゲンビリア』の音は、当時の自分の感覚で編曲していくうちに生まれたものだった。
そこには、Coccoの強い個性と声が欠かせなかったと振り返っています。

伴奏が激しいから、その上で歌う声も激しくなった、という順番だけでは説明できません。
先にある彼女の声や歌の世界が、演奏する人の音の選び方にも関わっていたのです。
声と伴奏を一緒に聴くと、歌手の迫力を支える音だけでなく、その声があるから生まれた音にも気づけるかもしれません。

一方、録音の場で生まれた思いがけない音を残すこともあります。
「ファンタジー」では、ギターの藤田顕に自由に弾いてもらったところ、本人が消してほしいと言った短いフレーズを、Coccoが気に入って採用しました。
ミックスすると、曲のよいアクセントになったと話しています。

頭の中に曲の姿があっても、演奏者の工夫を受け入れる余地がある。
歌詞に浮かぶ景色は、Cocco一人の声だけで完成するのではなく、そうした人とのやり取りによっても形になるのでしょう。

武道館で「Raining」にアコースティックギターが寄り添っていたのも、歌声を取り巻く音の一つの形です。
強いバンドの音を背負うCoccoと、少ない音の中で言葉を歌うCocco。
どちらかだけを選ばずに聴くと、同じ歌手の優しさと激しさを、よりよく味わえます。

声の強さだけで歌を決めない

Coccoの歌には、言葉が鮮明に届く強さと、物語に近づく柔らかさがあります。
伴奏まで思い描きながら曲を作ることも、聴く人がその景色を受け取れる理由の一つです。
歌の感情を、その日の本人の気持ちと重ねるだけでは、その広がりを見落とします。

活動休止を経て一緒に歌う仲間ができ、代表曲にも新しい表現が加わりました。
Coccoの歌声の変遷では、初期から25周年までの変化を本人の言葉と作品からたどっています。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました