Coccoの歌声の変遷|「強く儚い者たち」を、もう一度歌いたくなるまで

2017年の日本武道館公演で両腕を広げるCocco Cocco
Cocco、2017年の日本武道館公演「一の巻」。撮影:田中聖太郎/出典:音楽ナタリー。

新しいアルバムを出しても、また「強く儚い者たち」を求められる。Coccoはこの曲を好きでいながら、ほかにも歌いたい曲があるため、長い付き合いの曲から少し距離を置きたくなっていたと話します。その気持ちを変えたのは、自分の歌で踊る人の姿でした。1997年の曲に、2022年、ダンサーを迎えた新しい映像が生まれます。

同じ歌を歌い続けることと、昔の自分に戻ることは違うのでしょうか。Coccoがいったん歌を離れ、仲間や沖縄の言葉、聴き手と再び向き合ってきた時間をたどると、その問いへの答えが見えてきます。

1997年、歌は「見返したい」気持ちから始まった

1997年のデビュー曲「カウントダウン」は、Coccoの初期を知る入り口です。本人によれば、道を歩きながら自然に口ずさんでいた歌が、スタッフとの会話から録音へ進みました。バレリーナを目指していた彼女が音楽へ向かったきっかけには、落ちたオーディションの審査員を見返したい気持ちもあったと、2017年に振り返っています。

「カウントダウン」や同じ年の「強く儚い者たち」で聴き手を引きつけた歌詞の鮮明さは、後の歌にもつながります。一曲の中で言葉と声をどう使うかは、Coccoの歌い方の記事で詳しく扱っています。ここでは、その歌を何のために、誰と歌うようになったかをたどります。

2001年、Coccoは活動を休止します。後年、彼女はその理由を、歌を好きになったからだと説明しました。見返すための手段として始めた歌が、離れたくないものになった。ところが当時は、録音からCD発売まで数か月が過ぎる間に新しい歌が生まれ、発売時には別の歌を歌いたい。その時間差が、自分に嘘をついているように感じられたとも話しています。休止は、歌への関心が薄れたからではありませんでした。

2005年、一人で立つ前に仲間と歌った

休止後の沖縄で、Coccoは子どもたちと演奏する「ゴミゼロ大作戦」に加わります。お金を介さず、みんなの気持ちで動く場所で歌うことを、本人は歌の「リハビリ」だったと振り返りました。

次に人前へ戻る足場になったのが、岸田繁らと組んだSINGER SONGERです。2005年のアルバム『ばらいろポップ』に収められた「初花凜々」では、ソロの看板とは違うバンド名で歌っています。本人は、ソロでは舞台でいつも一人で寂しかったが、メンバーが周りにいると楽しさがまるで違い、責任を分けられたと話しました。その経験から、また一人でも立てるかもしれないと思い、2006年のソロ作品へ進みます。

ソロの頃は寂しかったステージが、仲間と責任を分けられる場になった。歌う相手ができたことで、かつて一人で抱えた人前での歌に、別の入口ができたのです。

2006年から、沖縄の言葉を自分の歌へ

復帰後の「音速パンチ」は、Cocco自身が、周囲から「沖縄っぽい」と言われた例に挙げた曲です。デビュー時は、沖縄出身という枠ではなく「Cocco」として見てほしくて、土地の要素を意図的に取り入れようとしませんでした。一度立ち止まって沖縄で暮らした後は、それを歌へ入れることが怖くなくなったと話しています。

その変化は、2010年のアルバム『エメラルド』で、言葉そのものに及びます。「絹ずれ~島言葉~」の歌詞は、父親にしまくとぅばへ訳してもらいました。後にライブで歌うと自分でも感動し、歌うためのエンジンがかかると、Coccoは説明しています。出身地を示す記号を飾ったのではなく、どの言葉で歌うと自分の歌が動きだすのかを、舞台で確かめたのです。

同じ『エメラルド』は、それまでのアルバムと違って初の全曲セルフプロデュース作品でもありました。複数の編曲者を迎えながら、自分の歌をどう形にするかにも関わっています。本人は活動再開後について「劇的、根本的には変われない」とも話しました。それでも、以前は遠ざけた土地の言葉を歌うと、自分の気持ちが動く。その発見は、初期にはなかったものです。

2017年、昔の自分だけを聴かれていたわけではない

20周年のリクエストベストを作るとき、Coccoはファンに曲を募りました。初期のヒットを通して声を掛けられることが多く、今の自分の行き場が分からなくなる時もあったそうです。しかし集まったリクエストには近年の曲も多かった。過去のCoccoだけではなく、20年歌ってきた自分も認められていると安心した、と本人は語ります。

同年の日本武道館公演は、初期の歌だけを再現する場ではなく、ファンやスタッフと歩んだ時間を同じ場所で確かめる舞台になりました。あの日の曲ごとの激しさと柔らかさの切り替えは、歌い方の記事で扱っています。変遷として大事なのは、昔の曲を期待する人たちが、新しい曲を聴いてきた人たちでもあったという発見です。

2017年の日本武道館公演で演奏するCoccoとバンド
Coccoとバンド、2017年7月12日の日本武道館公演。撮影:田中聖太郎/出典:音楽ナタリー。

2019年、やめようとしても生まれた「ありがとう」

その20周年の後、Coccoはいったん歌うのをやめ、ジュエリー制作を学びました。ところが、作業をする日々にも曲は生まれます。最初は絵本に添える数曲という話が、曲を入れ替えるうちに12曲のアルバム『スターシャンク』へ育ちました。歌をやめたいと思った時期を経て出た作品です。

収録曲「海辺に咲くばらのお話」には、ファンへ伝えきれなかった感謝を託したと、本人は説明しています。2001年の休止後に描いたバラは、20周年の記念品にも使われましたが、それでも伝えきれなかった思いが歌になった。かつて録音から発売までの時間差に苦しんだ歌い手が、今度は長い時間を経た気持ちを一曲にして届けています。

歌を離れようとすることも、歌が生まれることも、Coccoの中では同時に起こり得ます。かつて「見返したい」思いで始まった歌に、今度は聴き手への「ありがとう」が加わりました。

2022年、古い曲に別の人が新しい景色をつくる

2021年、Coccoはダンサーの重下真由が「強く儚い者たち」で踊る投稿を目にします。長く歌いすぎて、新作を出すたび同曲を求められることに距離を感じていた彼女にとって、それは思いがけない出会いでした。本人は、いつもの弁当をきれいな皿に盛りつけてもらったようだったと語ります。

そこで25周年に、ダンサーを迎えたMVを自ら提案しました。1997年に発表した歌は、新しい振付と映像を得ます。Coccoにとっては、同じ曲を受け取る人が増え、「また歌いたい」と思える関係になったことが大きかったのです。

同年のアルバム『プロム』では、以前から顔を合わせていても作品を一緒に作ってこなかった人たちへ声を掛けました。Coccoは、25周年という「パーティ」の機会だからこそ実現できると考えたそうです。かつてSINGER SONGERで人前へ戻る力を得た歌手が、今度は自分の作品の中へ、さまざまな音楽家を招きます。

同年春の『プロム』ツアーでは、25周年にもかかわらず初期のヒット曲を並べず、2021年の『クチナシ』と新作『プロム』の曲だけを中心に歌いました。6月の東京公演を見た記者は、「コバルト」でクールなラップから沖縄色を帯びたサビへ、「True Lies」で暗い表情へ、「ままいろ」でやさしい歌声へと移る様子を記しています。初期の一曲で培った強さを再現するだけでなく、いまの曲ごとに異なる声の置き方を選んだ舞台でした。

その後の25周年ベストツアーには、昔の曲も戻ってきます。公式映像作品には、2022年11月のバンド公演と2023年5月のアコースティック編の両方に「強く儚い者たち」が収録されました。とくに2023年の歌は正規のライブ音源として残っています。最初のスタジオ録音と後年の舞台を、同じ曲でたどれるようになりました。

2023年、歌うときの気持ちを本人が言葉にする

2023年の新曲「ファンタジー」で、Coccoは、立ち止まっても世界は回るのだから疲れたら休んでいい、と自分や聴き手へ伝えたいと話しました。ライブで歌ううちに、曲が持つ意味に自分でも気づくことがあるそうです。歌を届ける相手がいて初めて見えてくるものも、彼女の表現に加わりました。

同じ取材で、デビューした頃には感謝の気持ちは一つもなかったが、今は「ありがたい」という思いで歌っていると、Coccoははっきり比べています。初期の「見返したい」歌から、聴き手に感謝を伝える歌へ。2019年の「海辺に咲くばらのお話」も、古い「強く儚い者たち」を再び歌いたいという2022年の選択も、この本人の言葉に重なります。

その歩みは沖縄の歌にも続いています。2015年に始まった、同級生の辺土名直子が主宰する舞台「沖縄のウタ拝」では、Coccoは踊り手として加わった後、歌も始めました。2024年にはこの舞台からアルバム『UTAHAI』が生まれます。1997年の歌を今も歌い、父に訳してもらった土地の言葉でも歌い、仲間の舞台にも声を置く。一人で抱えていた歌を、誰かと育てていく。その時間の中でCoccoは、かつて距離を置きかけた代表曲とも、もう一度出会いました。

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