「翼の折れたエンジェル」は傷ついた人の歌です。
だから録音時の中村あゆみも悲しみを込めた、と思いたくなります。
本人の回想は逆でした。
詞のよさがまだ分からず、切なさを込めずに元気に、いつも笑顔で歌ったというのです。
暗い言葉と前へ出る声。
その食い違いこそ、この歌をただの悲しい物語で終わらせない力になりました。
名曲だと知らずに歌入れへ向かった
中村は1984年にデビューし、「翼の折れたエンジェル」を発売前からライブで歌っていました。
作詞・作曲者の高橋研が弾き語りで聴かせてくれたとき、本人はすぐに曲のよさを理解できなかったそうです。
後に多くの人の記憶に残る言葉も、その時点の中村には奇妙に感じられました。
それでもレコーディングでは、この曲を歌い切りました。
後から「名曲だから」と意味を知って歌った声ではありません。
まだ十代の歌い手が、今の自分の勢いで詞と向き合った声です。
その距離が、曲に予想外の表情を与えます。
悲しい詞を、悲しい顔でなぞらない

画像:Re:minder掲載
2016年の取材で中村は、歌入れの際に悲しみや切なさは込めず、元気に歌ったと話しました。
詞の世界とは反対向きで、いつも笑顔だった。
そのことが、かえって切なく聞こえたのかもしれないと本人は考えています。
歌詞には翼を失った人物がいますが、声まで同じように折れてしまったら、物語は一つの感情だけで閉じます。
中村の歌はそこへ別の方向から力を加えました。
つらさを知っている人が、それでも前へ出ようとするように聞くこともできます。
ただし、これは本人の当時の意図として作られた演技というより、後年に振り返って見つけた効果です。
ハスキーな声を作ったわけではない
中村のハスキーボイスは曲の印象と強く結びついています。
一方、本人は十代の頃にその声を嫌っていたと話しています。
生まれつきの声で、会話を続けると声が出なくなることもあり、人と話すのを避けた時期があったというのです。
だから、曲のためにわざと喉を傷めて声をかすれさせた、という説明は違います。
本人には悩みだった声が、歌の中では唯一無二の輪郭になりました。
あの録音を特徴づけるのは、ハスキーさ単独ではありません。
その声の持ち主が、悲しい言葉を悲しい顔で歌わなかったことです。
声色を一つの感情に結びつけると、こうした面白さを聞き落としてしまいます。
かすれた声だから疲れている、力のある声だから怒っている、と決まるわけではありません。
同じ声に明るい表情が乗れば、弱さを抱えたまま踏み出す人物にもなります。
中村の声を考えるときは、声の質感と、その曲で向けている気持ちを分けて捉えると分かりやすいでしょう。
三人で目を合わせた「WINDING ROAD」
その前へ出る声は、ほかの歌い手と並ぶ場面でも生きています。
2009年、つるの剛士のアルバム『つるのうた』では、中村とSkoop On SomebodyのTAKEが「WINDING ROAD」に参加しました。
別々に録る予定だった歌を、三人が一緒にブースへ入って録音しています。
BARKSが伝えた制作時の様子によれば、初対面の三人は互いに目を合わせ、ときどき笑顔を見せながら歌ったそうです。
中村自身も、つるののリズムの感じ方に自分との近さを覚えたと話しています。
ここで注目したいのは、共演者の声を形容するだけでなく、音楽にどう乗る人なのかを捉えていたことです。
複数の声が重なる歌では、自分の一節が気持ちよく歌えるだけでは十分ではありません。
前の人の言葉から受け取り、次の人へ渡し、同時に歌うところでは一つの流れを作る必要があります。
三人が同じ場所で表情を交わせたという話は、そのやり取りを想像させます。
ハスキーな声の存在感を、ほかの声と競う強さだけで説明できない録音です。

Warner Music Japan掲載
「窓辺」で思い浮かべた歌謡曲の人物像
「翼の折れたエンジェル」で笑顔が効果を生んだからといって、どんな物語にも同じ表情を当てはめるわけではありません。
2015年のアルバム『Chameleon』に入った「窓辺」には、かつて愛した人の死を知らされる人物が登場します。
中村は歌ネットの取材で、最初に歌ったとき、ちあきなおみの「喝采」の世界を思い浮かべたと説明しました。
ここでは、ロックの勢いをどれだけ出せるかとは別に、誰の立場で言葉を発するのかが入口になっています。
歌の人物は悲しい知らせを受けても、その前から続いていた人生を持っています。
悲しみの大きさだけを示すのか、過ぎた時間や言い残したことまで感じさせるのか。
そうした違いを考えながら聴くと、「翼の折れたエンジェル」で知った声に、別の物語を託す面白さが見えてきます。
同じ取材で中村は、松井五郎が書いた詞を歌っているうちに、その意味が後から分かる瞬間もあったと話しています。
最初の理解を完成形として固定せず、声に出すことで人物に近づいていく。
「窓辺」を「喝采」と結びつけたのも、歌謡曲風の声をまねたという発言ではなく、詞から思い描いた世界の話として受け取りたいところです。
『Chameleon』では女性の立場の言葉を多く歌い、「恋ノ乱」には自分では照れて書けない世界も見つけたそうです。
他人が用意した詞だから、自分にはない表情を試せる。
そのとき、持ち味の声を別人の声に取り替える必要はありません。
同じ声の持ち主が、別の人物の気持ちを引き受けることに、歌い手としての幅があります。
本人がカラオケで教えるのも「笑顔」
中村は後に、この曲を歌う人へ、口角を上げて笑顔で歌うことを勧めました。
本人はそれで音程もよくなると説明し、Bメロでは母音を短く切らずに粘らせることも挙げています。
特定の曲に対する本人の助言であって、すべての人の発声へそのまま当てはまる法則ではありません。
Bメロの助言は、単に大声で押し切るという説明より具体的です。
言葉の母音を残すと、次の言葉まで声が続く時間が変わります。
一音ずつ短く進む場合と、言葉の終わりに気持ちを残す場合を比べれば、元気さの中に粘りを持たせる意味もつかみやすくなります。
声のざらつきだけに耳を向けず、言葉がどこまで続くかを聴く手がかりになる助言です。
ここでも、曲の題名から想像する沈んだ表情ではなく、言葉を前へ届ける姿勢が見えます。
ハスキーな声をまねようと力を入れるより、歌詞と声を同じ暗さに塗らない。
その選択に、中村あゆみらしい歌い方が表れています。
初めはよさが分からなかった曲が、2008年の再編曲や2016年の歌い直しでどう意味を変えたかは、中村あゆみの歌声の変遷で追っています。







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