「私鉄沿線」を歌うとき、野口五郎が守りたいのは原曲の高さです。
若いころから楽に出せた高さではありません。
むしろ、その少し苦しい高さに声を向けることまで含めて、曲の表情だと考えています。
もう一つのこだわりは、一曲を最初から最後まで続けて録ること。
録音を自分で扱える人が、なぜ歌だけは気に入らない箇所を後からつながないのでしょうか。
高さと録り方、二つの選択から歌い方を見ていきます。
1975年の「私鉄沿線」は兄の佐藤寛が作曲し、筒美京平が編曲した代表曲です。
あの高さが、歌の切実さにつながっている
「原曲のキーを変えない」と聞くと、若いころと同じ高音を出せることの証明に思えるかもしれません。
野口が語っているのは、それよりも曲そのものとの関係です。
2024年のインタビューで、彼は「私鉄沿線」を原曲のキーであるヘ短調で歌うことへのこだわりを説明しています。
筒美京平のアレンジは、その高さで歌うことを含めて完成している。
そして、昔から簡単には出せなかった高さで歌うからこそ、曲の良さが伝わるのだという考えでした。
この話からは、その高さへ向かって声を出すときの緊張も、彼が大事にしていることが分かります。
別れた人を忘れられず、もう一度会えるかもしれないと待ってしまう。
そんな人物を歌う声には、余裕ばかりがあればよいわけではないのでしょう。
これは、野口自身が長く歌ってきた「私鉄沿線」についての判断です。
どんな歌でも高いほど気持ちが伝わる、という話ではありません。
彼はこの曲について、伴奏の響きと自分の声の負担を切り離さずに考えています。
野口が守ろうとしているのは、ただ音域の広さではなく、この曲を歌うときに生まれる切実さなのだと受け取れます。
その一方で、野口は同じ取材で、長く歌ってきても歌い方は分からないと話しています。
声を使い過ぎることにも気を配り、その時に出せる声で歌うことを大切にしていました。
原曲のキーを守るという強い言葉だけを取り出すと、ひたすら高音に挑み続ける人物像になりますが、本人の話には声の状態を見極める慎重さもあります。
音の高さが同じでも、歌う本人の感覚まで十代と同じに戻るわけではありません。
今の声で、その曲に必要な緊張をどう生み出せるか。
原曲キーへのこだわりは、過去の歌唱をそっくり再現するためというより、変わっていく自分が曲に向き合うときの基準なのでしょう。
歌の一部分だけを、後から取り替えたくない
では、今の気持ちを込めて歌い直すとき、野口はどんな録音をするのでしょうか。
2016年のアルバム『The birth GORO anniversary』には、「甘い生活」と「私鉄沿線」の新しい歌唱が収められています。
伴奏は五年前に録ったものを使い、歌を新たに録り直しました。
その制作について、彼は、歌の気に入らない部分があっても、そこだけを後から差し替える方法を取らないと話しています。
もう一度、最初から歌い直すのです。
理由は、時間がたつと声の状態も、その場の空気も変わるから。
一曲を続けて歌ったものと、一部を別のときに歌って取り替えたものでは、自分の中で何かが違ってしまうと感じていました。
ここでいう録り方は、一度だけ歌って終えるという意味ではありません。
納得できなければ、初めから何度でも歌う。
一つ一つの箇所で最もよく歌えた部分を集めるより、一曲を続けて歌ったときの流れを大事にしているのです。
実際、2016年の「私鉄沿線」は、一日中歌っていたと本人が振り返っています。
歌い始めた後で別のことが頭に浮かぶ場合もあり、食事を挟むと声の感覚も変わるため、また初めからやり直す。
これは食事と発声の一般的な法則を説いた話ではなく、同じ録音の中でも変わる自分の状態に、どれほど敏感なのかが伝わるエピソードです。
一曲を通すという選択から考えると、聴く側もサビの高い音だけに注目していては、彼が残したいものを取りこぼすかもしれません。
歌い出しから言葉を重ね、気持ちが動き、終わりの一節へ向かうまでをひと続きに聴く。
そうすると、音を外さずに歌えたかとは別に、その一回の歌唱としてどんな流れが生まれたか、という楽しみ方ができます。
そうした姿勢は、「私鉄沿線」を原曲の高さで歌いたいという話にもつながります。
彼は、必要な音がそれぞれきれいに出ているかだけで、自分の歌を判断していません。
どの高さで歌うか、最初から最後までどう歌い続けるか。
一曲全体を歌うときの感覚を、録音にも残そうとしています。
音を作り込める人が、歌では通して歌う

撮影:山口比佐夫/出典:ENCOUNT。
野口は、歌うだけでなく録音の作業にも詳しい人です。
自宅に録音環境を持ち、楽器を演奏し、録った音を自分で調整することまで行います。
2024年のセルフカバー集『GOROes by my self 2 ~CITY POP~』では、楽器の演奏から録音まで自分で手がけました。
その経験は、自宅録音が広く普及してから始まったものではありません。
野口は18歳でミキサーを扱い始め、一人で録音を進められるよう、足元で録音や停止を操作する仕組みまで自作したと語っています。
歌の表情を作る側と、その声を録る側を、若いころから同じ人が担ってきたわけです。
音を加工したり、録り直したりする方法を知ったうえで、自分の歌については、一曲を通して歌った感覚を重視している。
技術を使えるかどうかよりも、何を残したいかが先にあるのでしょう。
「私鉄沿線」に使うマイクの話にも、その選び方が表れています。
野口は、最初の録音で使ったノイマンのU67という機種を、2016年のアルバムでも使ったと話しています。
別のマイクも試しましたが、自分にはこの機種が合うと感じていました。
新しい録音機材を取り入れながら、声を捉えるマイクは長く使ってきたものを選ぶ。
歌詞の感じ方は変わっても、歌う高さにはこだわる。
野口は、古いものを全部守るわけでも、新しくできるものを全部変えるわけでもありません。
自分の歌に必要だと感じるものを、一つずつ選んでいます。
録音の機械は新しくできても、一曲を通して歌った時の流れは後から組み立てられない。
野口が選ぶ原曲の高さと歌の一続きの時間には、そうした判断があります。
一方、「私鉄沿線」の歌詞の受け止め方は十代から変わりました。
野口五郎の歌声の変遷では、1975年の初録音、2002年のリメイク、2016年の再録から近年の共演までをたどります。







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