横山健の歌声の変遷|ギタリストが、歌の表情に向き合うまで

2026年の取材に掲載された横山健 シンガー
2026年の取材に掲載された横山健

横山健は、自分の歌に最初から自信を持っていた人ではありません。
Ken Yokoyamaで長くフロントに立つようになっても、歌手としての自分には、どこか距離を置いていました。
その人が、録音のたびに歌の表情を考え、日本語で歌う声の違いにも向き合うようになる。
転機になったのは、歌のうまい人の完成品を聴くことだけでなく、その人が歌を準備する姿を間近で見た経験でした。

歌う自分を見るのが恥ずかしかった

Hi-STANDARDではギターとコーラスを担い、自身の名前を掲げたKen Yokoyamaでは、ギターを弾きながら主な歌を受け持つ。
同じ横山健でも、この二つでは歌との距離が違います。
バンドの中心に見えるギタリストであることと、曲の言葉を自分の声で引き受けることは、本人にとって同じ仕事ではありませんでした。

Hi-STANDARDより前のバンドでも、一時的にギターボーカルになったことがあります。
ベースの脱退を受け、歌っていたメンバーがベースに回ったためです。
ところが、横山は数回のライブを映像で見返し、自分は前に立つべきではないと落ち込んでしまったといいます。

のちにKen Bandを始めてからも、歌うことへの気恥ずかしさは残っていました。
そこでやめるのではなく、恥をかく経験ごと引き受けながら続けた。
2018年に難波章浩と話した際には、そうやって少しずつ歌えるようになったと振り返っています。
出発点にあったのは、歌で人を圧倒したいという自信よりも、慣れない役割を続ける覚悟でした。

2004年、自分の歌からバンドの歌へ

2004年の最初のアルバム『The Cost Of My Freedom』は、当初、アコースティックギターを中心にした歌の作品として構想されていました。
Hi-STANDARDが活動を止めていた時期に、一人でギターを弾き、メロディを作る。
制作を進めるうちにバンドの音が欲しくなり、仲間を迎えた録音へ広がっていきます。

その曲を人前で演奏するために集まったのが、Ken Bandの始まりでした。
一人で作った作品があり、ライブをともにする仲間ができ、2005年の『Nothin’ But Sausage』では、そのバンドで次の作品を作る。
歌う場も、私的な制作の時間から、メンバーと観客を前にした時間へ広がります。

初期から、速いパンクだけで声を使っていたわけではありません。
最初の作品にはアコースティックのバラードがあり、2007年の『Third Time’s A Charm』には、息子への思いを歌う「Father's Arms」も収められました。
ほぼ弾き語りのこの曲では、バンド全体の勢いに乗るときより、一人の言葉と歌が前に出る構成になっています。

後年の感情のこもった歌を、年齢とともに突然生まれたものとして捉えると、この初期の幅が見えなくなります。
個人的な思いを歌う場所は、早くから用意されていました。
その場所で、自分の声をどこまで吟味して使うかが、のちに大きく変わっていきます。

2015年、速さ以外の音楽へ踏み出す

2015年の『Sentimental Trash』では、メロディックパンクに加え、古いロックンロールやロカビリー、ブルースへの関心が作品に入りました。
きっかけの一つは、横山が新しいギターを手にして、以前から知っていた音楽を改めて面白く感じたことです。
これまでKen Bandでやらなくてもいいと考えていた曲調も、自分たちで形にしようとしました。

アルバムの幕開けも、速い曲で飛び出す形から、ゆったりした「Dream Of You」へ変わっています。
曲の速さや楽器の響きが変われば、歌のメロディを受け取る時間も変わります。
疾走する演奏のなかで言葉を渡す場面と、旋律をじっくり聴かせる場面が、一つの作品に並ぶようになったのです。

ただし、曲調が広がったことと、本人が歌手としての自分を全面的に認めたことは、同時ではありません。
歌のための舞台は広がっていても、そこに立つ横山の意識には、まだ変化の余地がありました。

2019年、宮本浩次の準備を間近で見る

大きな転機は、宮本浩次の2019年の「Do you remember?」でした。
横山は制作に関わり、宮本が練習を重ね、息を継ぐ場所まで準備して録音に臨むことに、強い影響を受けます。
ギターや作曲のことなら日常的に考えていた自分が、歌にも同じように向き合っていただろうか。
才能の違いを眺めるだけでは済まない経験になりました。

その変化は、2020年の『Bored? Yeah, Me Too』、2021年の『4Wheels 9Lives』へつながります。
ベースのJun Grayが気づいたのは、録音を選ぶ際の基準でした。
以前は音程を気にしていた横山が、歌詞に合う表情で歌えているかを、以前より重く見るようになったのです。

同じ高さの音が出ていても、言葉の切実さまで同じように伝わるとは限りません。
どの歌を作品に残すかという判断に、言葉と声の関係が入ってくる。
この転機は、歌声の変化を音域の拡大だけで説明できない理由でもあります。

2024年の『Indian Burn』を語る頃、横山は、以前ならまず歌を録り、ライブで歌いながら慣れていけばいいと考えていたことを明かしています。
録音を丁寧に考えるようになり、「Deep Red Morning Light」では感情を込められた手応えを得ました。
一度の共演で別人になったのではなく、作品を重ねて、歌への向き合い方を自分のものにしていった変化です。

2021年の取材に掲載された横山健(左)とJun Gray(右)。撮影:横山マサト
2021年の取材に掲載された横山健(左)とJun Gray(右)。撮影:横山マサト。
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ホールで、昔の曲をもう一度歌う

2023年11月のLINE CUBE SHIBUYA公演では、速い曲の間に「Soul Survivors」や「A Beautiful Song」が置かれました。
ライブハウスでは休憩のように受け取られがちだった中くらいのテンポの曲も、座席のある会場では、じっくり届く時間を持てます。
歌の幅を作品に収めるだけでなく、それを聴いてもらう場の使い方も広がっていました。

この日のアンコールでは、「Father's Arms」をアコースティックギターで弾き語りしています。
新しい曲「These Magic Words」を作ったことをきっかけに、以前の曲に込めた子どもへの思いが、今も変わっていないと気づいたためでした。
昔の曲を懐かしむだけでなく、今の自分がもう一度歌う理由を見つけて、ステージに戻しています。

新しい声になるとは、古い曲を捨てることばかりではありません。
かつて書いた言葉を、現在の自分が引き受け直すこともある。
歌に向き合うようになった横山の変化は、新曲の録音と、過去の曲を歌う場面の両方に表れていました。

2026年、日本語で歌う自分を引き受ける

2026年の『The Ballad』では、Ken Yokoyamaとして初めて、日本語の歌詞による曲に踏み出しました。
90年代のパンクをカバーした2024年の作品を終え、次の構想がまだない時期に、自分からタイアップのような新しい経験を望んでいたといいます。
『ゴールデンカムイ』のエンディングテーマの話と、日本語で歌う条件を受け、長く守ってきた英語の歌のイメージも動かすことになりました。

横山にとって、日本語は日常で使うから簡単に歌える言葉ではありませんでした。
英語で歌うときと声の質感が変わり、過去の日本語歌唱では自分の良さを出しきれないと感じたこともあります。
今回はその難しさに取り組み、録音では、新しい勢いのある歌ができたという実感を得ています。

『The Ballad』を語る2026年の取材に掲載された横山健
『The Ballad』を語る2026年の取材に掲載された横山健。
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同年9月、Ken Bandは、2027年6月予定の「SATANIC CARNIVAL 2027」を区切りに、バンド活動を休止すると発表しました。
ここまでの変遷には、その区切りが近づくなかでも、歌の新しい可能性に取り組んだ2026年の作品が残っています。

横山健の歌は、自信のある声を最初から磨き上げてきた道のりとは少し違います。
歌う役割を続け、他の歌手の準備に心を動かされ、自分の録音でも表情を選ぶようになった。
日本語の曲でも、慣れた自分の声がそのまま使えるとは限らないところから、もう一度始めています。
その試行錯誤が曲ごとの声にどう表れるかは、横山健の歌い方で詳しく見ていきます。

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