テソンの歌には、切なさを深く伝える声と、客席を笑顔にする声があります。
BIGBANGのDAESUNG、日本ではD-LITEとして活動する歌手です。
力強く歌い上げる姿だけを追うと、その歩みの大切な部分を見落としてしまいます。
グループの中で声をつなぐこと、一人で一曲を引き受けること、そして観客と歌をつくること。
歌う役割の変化に沿って、表現の選び方も広がってきました。
2012年、緊張を越えて歌に力を込める
2006年にBIGBANGでデビューしたテソンは、舞台で失敗することへの不安が強かったと振り返っています。
実力を期待されるグループの中で、音を外すことが自信を奪っていたのです。
2012年の『ALIVE』期には、再び歌える喜びが恐れを上回り、声を出すことにも自信が生まれたと話しています。
その気持ちを作品へ向けた例が、ソロ曲「WINGS」です。
静かで沈んだ曲へ進むより、聴く人へ希望を渡したい。
G-DRAGONと話し合い、歌詞とともに声にも力を込めることを選びました。
声の強さに、聴き手を励ますという目的が加わった転機でした。
2013年、一曲全部を自分の声で語る
2013年の日本ソロデビュー作『D’scover』は、J-POPのカバーを中心としたアルバムでした。
テソンは、グループでは前に歌うメンバーの声や曲の流れを受け、自分の声色を考えると説明しています。
ソロなら、曲の初めから終わりまでを自分の物語として歌える。
出番が増える以上に、一曲全体の気持ちをつくる役割へ変わったのです。
歌う曲だけでなく原曲の歌手のほかの作品も調べ、その人の世界を知ったうえで、自分の解釈を探していました。
「逢いたくていま」では、MISIAの歌の印象が強く、すぐに自分の形を決められませんでした。
そのため録音を後へ回し、イメージを練っています。
難しい音を出せることだけでは、カバーを完成させられなかったのです。
同年3月の日本武道館公演では、「歌うたいのバラッド」などの聴かせる曲と、「全力少年」「じょいふる」のように会場を動かす曲を並べました。
言葉の意味を受け止めて歌う時間と、バンドとともに熱を上げる時間。
初のツアーから、その両方を一人でつなぐ姿がありました。
後年のにぎやかなソロ公演も、静かな歌を捨てて生まれたものではありません。
ソロでは、自分の調子がバンドやスタッフの雰囲気にも影響する。
ツアーを経験したテソンは、その責任も実感していました。
自由に歌えることと、舞台全体を引き受けることが、一緒に始まったのです。

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「I LOVE YOU」で、一曲の中に解釈をつくる
2013年7月の「I LOVE YOU」では、アルバムとは違う難しさに向き合いました。
複数の曲で自分を伝えるのではなく、一曲にメッセージを託す必要があったからです。
尾崎豊の原曲に加え、ほかの歌手によるカバーも調べて制作しています。
有名な旋律を自分の声で再現するだけでは、歌う理由にならなかったのでしょう。
そこで、前半は原曲の雰囲気を尊重し、2コーラス目へ自分が感じた強さを入れました。
同じ曲の中で、原曲から受け取る部分と自分から返す部分をつくったのです。
カバーの経験は、曲全体の感情を組み立てる経験にもなっていました。
2014年、オリジナルの切なさと、トロットの明快さへ
2014年7月には、初のオリジナルアルバム『D’slove』を発表します。
前年にファンから受け取った愛を、今度は自分から返したい。
その思いを掲げたツアーで、「Rainy Rainy」や「醒めて、眠れ」を歌いました。
ロックを基盤にした力強い音の中へ、切なさを伴う歌を置く。
名曲を借りて自分を伝えた前年から、自分の作品を中心に世界を組み立てる段階へ進んでいます。
本人が難しさを感じたのは、自分が好きな音楽を歌うことより、それを聴き手にも好きになってもらうことでした。
自分の好みを形にするだけでなく、相手へ届く作品にするという課題がありました。
同じ年の『でぃらいと』では、別の得意分野が前へ出ます。
幼い頃から親しみ、2008年にもソロ曲を発表していた韓国の大衆歌謡、トロットです。
ツアーでの「ナルバキスン(Look at me, Gwisun)」や「古い日記」の反応が、楽しく盛り上がれる作品をつくるきっかけになりました。
切ない歌へ集中してもらうことと、歌に参加してもらうこと。
2014年の二つの作品は、その両方をソロの中心に置けることを示しています。
2017年、カバーした作家と新しい曲をつくる
『D-Day』では、絢香、秦基博、水野良樹に楽曲を依頼しました。
『D’scover』で歌った作品の作家たちが、今度はテソンのために曲を書く関係になったのです。
本人は、観客と楽しみながら歌うことが、以前より好きになったと説明しています。
大人の切なさを描いた『D’slove』から、希望や若々しさを感じる作品へ。
秦にはリズムのある曲を望み、水野には一緒に盛り上がれる曲を託しました。
観客とのやりとりを思い描いて、曲と声の方向を決めていました。
亀田誠治と2曲のメロディーづくりにも関わり、自分のイメージを歌詞へ託しました。
歌を受け取る段階から、その形を一緒につくる段階へ、関わり方も深まっています。
ソロ公演では、踊りを見せ続けるより、舞台を移動しながら客席の一人ひとりと目を合わせて歌うことを大切にしていました。
観客の喜ぶ姿から、自分も力を受け取る。
一人で全曲を歌う責任が、客席と一緒につくる楽しさへ結びついていったのです。
2023年、声の状態を自分で調節する
入隊やコロナ禍を経て、2023年にソロ活動を再開する際には、長く歌い続けるための取り組みも語っています。
週3回の歌のレッスンを続け、ボーカルトレーニングは当時で7年目でした。
本人が挙げた成果は、誰にでも分かる派手な変声ではありません。
調子の良し悪しを自分で把握し、調節できるようになったことです。
声の迫力を増すだけでなく、その日の自分の声を扱う力も育てていました。

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2025年、日本で培った歌を韓国語作品へ
2025年4月の『D’s WAVE』は、韓国での初のソロミニアルバムです。
約2年をかけて準備し、ロックを土台とするバンドの音と、感情の濃い歌声を組み合わせました。
テソンは5曲で作詞・作曲に参加しています。
日本のカバーやオリジナル曲で育ててきたソロの表現を、母国語のまとまった作品へ広げる機会になりました。
本人も、日本でのソロ活動の経験が制作に生きたと話しています。
「Umbrella」は、もとは韓国語で書いた曲を日本語にして公演で披露し、後に韓国語でアルバムへ収録した例です。
二つの国での活動は、歌を通じてつながっていました。
同年12月の「HANDO-CHOGUA」では、トロットの明るさを再び前面に出しました。
G-DRAGON、KUSHとともに手掛けた表題曲に加え、同じシングルにはシンセロックやR&Bバラードも収めています。
一つのジャンルへ落ち着くより、異なる表情を一つの作品へ入れる歩みです。
2026年1月のソウル公演では、「Universe」などの新しい曲と、初期の「Laugh It Off」「Baby Don’t Cry」、トロットの曲が同じ舞台に並びました。
新しい歌い方を得るたびに、古い歌を切り離してきたわけではありません。
続く大阪公演では、バラードの後に置かれた「Wolf」の野性味が際立ち、曲順によっても声の表情が引き出されていました。
テソンの変化は、声が強くなったかどうかだけでは捉えきれません。
歌う自信を得ることから、一曲の物語を担い、観客とその時間を分かち合うことへ。
切なさ、明るさ、力強さをそれぞれ必要な場所で使うことで、一人の歌手がつくれる世界を広げてきたのです。
曲ごとの声の選び方は、テソンの歌い方で詳しく扱っています。

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それでも、デビュー初期と現在の歌は同じでは…



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