河口恭吾の歌声の変遷|20年ぶりの「Shibuya」で向き合った声と、新しいリズム

河口恭吾(2021年の20周年取材記事に掲載) シンガー
河口恭吾(2021年の20周年取材記事に掲載)

約20年、発表されないまま眠っていた曲を、もう一度歌う。
河口恭吾の「Shibuya」は、過去の自分と向き合う機会になりました。

若い頃には、2021年の録音より半音高いキーで、声を張って歌っていたと本人は振り返っています。
変わった声を受け止めながら、他の歌い手との制作で新しい表現を覚えていく。
「桜」で知られる歌声の歩みには、昔の自分へ戻ることだけを目指さない面白さがあります。

「桜」の頃から、歌の中に置いていた一人の相手

2000年に「真冬の月」でデビューし、2003年には「桜」が大きな転機になります。
同年の最初のアルバムにも入っていた曲が、12月にワーナーからシングルとして発売され、広く届いていきました。
歌手としての出発と、代表曲が生まれた時期は少し離れています。

「桜」の発想は、曲を書いていた部屋の窓から見えた桜でした。
翌年も大切な人と花を見られたら、という願いがありましたが、永遠に別れない二人だけを描いたわけではありません。
いずれ離れるとしても、今そばにいたい気持ちは本物である。
本人が説明したこの前提を知ると、優しい歌の中に、失う可能性も含まれていたことが分かります。

2005年には、より多くの人へ届けようと意識した時期を経て、まず一人に伝わる歌を大切にしていると語っています。
映画から着想した「夢の真ん中」でも、安易に明るい結末を付けず、つらい現実を受け入れる心情を残しました。
初期の河口を、ただ穏やかに励ます歌手と捉えると、この苦さを見落としてしまいます。

ラジオ番組で歌う河口恭吾(2018年掲載)
ラジオ番組で歌う河口恭吾(2018年掲載)。
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代表曲を歌い続ける意味が、少しずつ変わる

大きなヒットは、歌を続ける支えになる一方、その曲とどう付き合うかという悩みも生みました。
2011年、Tiaraが「桜」をカバーした際、河口は、数年間この曲の捉え方に迷っていたと明かしています。
別の歌い手が新たな物語を与えた「桜」に、過去を認めて先へ進む力をもらったのです。

2018年には、歌の中でそばにいると伝える相手が変わった、と説明しています。
曲を書いた頃は独身で、その後は家族がいる。
同じ歌詞でも、歌う人の生活に重なる相手が増えていました。
これは高音の出方の話とは別ですが、長く同じ曲を歌う人の表現を考えるうえで、大事な変化です。

他人の作品を歌うことへの考え方も、固定されたままではありませんでした。
カバーブームの中でアルバムを作った時には、気が進まない自分もいたと、2021年に振り返っています。
経験を重ねるにつれて、以前なら抵抗があったことも楽しめるようになり、まだ歌ったことのない言葉を歌いたい気持ちが強くなっていました。

2019年「砂雪」――いつもの恋の歌とは違う声へ

普段とは違う歌への挑戦は、2019年の「砂雪」にも表れています。
佐橋佳幸とDr.kyOnのユニット、Darjeelingの作品で、鈴木慶一が詞を書き、河口が歌いました。
佐橋は、高めで癖を押し出さない歌声を求めていました。

河口は、ミュージカルの曲のように捉えてよいかと相談します。
普通のラブソングとは違う世界を、どう歌で表すか。
本人には不慣れな歌い方でしたが、佐橋はその選択を評価しました。
声の持ち味を買われた仕事が、声の使い方を変える機会にもなったのです。

2021年「Shibuya」――昔の高さと、今の声の間で

「Shibuya」は本来、デビュー後の2枚目のシングルになるはずでした。
小幡英之が書いた曲でしたが、所属レコード会社がなくなり、発表が流れてしまいます。
2020年に事務所の社長から曲の存在を伝えられ、翌年の20周年アルバム『No Rain No Flower』で、ようやく日の目を見ました。

アレンジは変える案も試したものの、結局は昔のデモに近い形へ戻りました。
一方、キーは当時より半音低くなっています。
本人は20代の頃とは声も体力の感覚も違うと話しており、その違いと日々折り合いをつけていました。
ただ、この一曲のキー変更から、歌える音域全体が縮んだと決めることはできません。

曲の舞台の渋谷も、昔よく通った頃とは姿を変えていました。
本人は街に感じる魅力も以前とは違うとしつつ、そこにあるエネルギーを認めています。
過去の歌を持ち出しても、歌い手の時間は巻き戻らない。
「Shibuya」には、同じ曲と違う自分が出会う面白さがあります。

20周年記念公演の河口恭吾(2021年12月11日/撮影:森久)
20周年記念公演の河口恭吾(2021年12月11日/撮影:森久)。
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同じ20周年に、旋律の中のリズムを学び直す

20周年の制作では、慣れた相手や自分の曲だけで完結させず、共演者と一緒に新曲を作りました。
ISEKIとの「lai・lai・lai」では、河口が送った言葉をもとに、相手が旋律を作っています。
歌の録音でもISEKIが助言する立場に入り、作詞・作曲から歌入れまでを二人で進めました。

河口が刺激を受けたのは、一見親しみやすい旋律の中に、独特のリズムが含まれていることでした。
好きな曲を聴く時と、それを自分の声で歌う時とでは、気づくことが違う。
自分の内側から自然に出る節回しを離れることで、旋律の捉え方を新しくしていったのです。

同じアルバムの「come back to me」では、ポップスとEDMを組み合わせています。
本人はこの制作を通じ、リズムに対する感覚が鋭くなったと説明しました。
伴奏のドラムだけでなく、旋律そのものにも体を動かしたくなるリズムがある。
以前の声の高さを取り戻すこととは違う方向にも、次の歌への課題が見つかっていました。

違う言葉を歌う試みでは、「ヘアゴムとアイライン」も印象的です。
作詞を依頼したのは、tonari no Hanakoのame。
河口自身が想像してきた女性の気持ちと、女性の書き手が描く恋愛には違いがありました。
本人は、40代の自分より20代の女性が歌う方が伝わるかもしれない、とも考えています。

それでも作品の強いエネルギーを気に入り、アルバムとライブで歌いました。
自分の声なら何でも最もよく表せると言い切らず、別の歌い手の可能性も感じながら歌う姿勢が見えます。

2021年12月の記念公演では、新しい曲と昔の曲が同じステージに並びます。
バンドでの「Shibuya」に加え、武藤良明のギターと二人で歌うコーナーもあり、アンコールの「桜」は弾き語りで独唱しました。
最後は「No Rain No Flower」をバンドメンバーと歌っています。
新作の方向へ過去を塗り替えるのではなく、歌の表情に応じて編成や関わる声を変える公演でした。

2024~2025年――代表曲の再録と、今だからできる表現

2024年には『春風と麒麟』に「桜(2024)」を収録し、代表曲そのものも新しく録音しました。
「Shibuya」は未発表曲を改めて歌った作品でしたが、こちらは長く知られた歌のセルフカバーです。
過去の録音を残すだけでなく、その時点の自分の歌唱を作品にする歩みも続いています。

2025年の『Almost Blue』では、1990年代から2000年代初めに聴いていた音楽の質感を、改めて作品へ取り入れました。
昔のヒット曲を聴き直すと、強い旋律やメッセージが心に響いたといいます。
新しいものを探し続けた先で、かつて親しんだ音楽へ戻る動きも生まれています。

「美しいもの」から始まるこのアルバムの歌詞を書いている時には、最初のアルバムの頃と、本質的に同じことを感じている自分にも気づきました。
遠くまで来たつもりだっただけに、初めは落胆もあったそうです。
けれど、20代とは違う表現が今の自分にはできる。
変わっていない心を、今の経験で歌える喜びへと受け止め直しました。

河口恭吾の変遷は、声の高さだけを追うと捉えきれません。
昔とは違うキーで歌い直し、他人の旋律からリズムを学び、初期と同じ思いにも新しい表現を見つける。
過去の歌を大切にしながら、過去と同じ歌い手でいようとはしない。
その積み重ねが、長く歌われる「桜」と、後の作品をつないでいます。

地声と裏声の切り替えや、デュエットでの声の役割は、河口恭吾の歌い方で詳しく扱っています。

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