マイケル・ブーブレは、名曲を巧みに歌えるようになってからも、録音の方法を変え続けてきました。
憧れの歌手と同じ編曲を使うことへの迷い、完璧に整えすぎない録音への挑戦、長く握ってきた制作の主導権を人へ預ける決断。
そのたびに、歌へ残したいものを選び直しています。
2003年のメジャーデビューから『Crazy Love』『Nobody But Me』『Love』『Higher』へ。
滑らかな声という印象の内側で変わってきたのは、誰の言葉として歌い、どこまで感情を録音へ持ち込むかという姿勢でした。
名曲の歌手として出発し、自分の印を求めた頃
2003年のアルバム『Michael Bublé』には、「Fever」「Moondance」「Come Fly with Me」などが並びました。
プロデューサーのデイヴィッド・フォスターに導かれ、長く歌ってきたスタンダードを、大きな聴衆へ届ける作品です。
ただ、フォスターは後年、初期のブーブレにも、すでにはっきりした自分の個性があったと振り返っています。
2005年の『It’s Time』制作時、その意志は具体的な選択になっていました。
「I’ve Got You Under My Skin」では、フランク・シナトラと同じ編曲を使うことに抵抗を示します。
尊敬する歌手へ近づくだけでなく、自分の作品として印を残したい。
その思いが、制作現場での話し合いに表れていました。
同じアルバムには自作曲「Home」も収録され、後年には「Everything」も続きます。
スタンダードの歌手として売り出したい周囲と、オリジナル曲を歌いたい本人との間で、意見がぶつかることもありました。
2007年の『Call Me Irresponsible』では、フォスターがブーブレに導かれる場面が増えました。
「The Best Is Yet to Come」や「Wonderful Tonight」にも、本人の具体的な構想があったといいます。
用意された世界で歌うだけでなく、どういう歌にするかを自ら決める役割が大きくなっていきました。
『Crazy Love』で、整いすぎない録音を求める
2009年の『Crazy Love』では、歌を録る環境そのものへ手を入れます。
目指したのは、これまでより内省的で、自分にとって真実味のある作品でした。
そこで、歌手と演奏者が同じ部屋で音を出し、互いの音がマイクへ入り込む録音を選んでいます。
別々に録った音をきれいに組み上げるのではなく、聴く人も演奏の場に居合わせているようにしたい。
多少の不完全さを残してでも、その場で起きる音楽を届けようとしたのです。
歌声をどんな演奏の中に置き、どんな手触りで残すかという選択でした。
一方、表現を大きくする想像力も失っていません。
「Cry Me a River」では、本人が思い描いたのは暗さを帯びた映画のような世界でした。
悲しい曲をただ静かに歌うだけでなく、歌の主人公が抱える怒りや復讐心まで表す。
自然な録音を求めることと、劇的な人物を演じることは、同じ歌手の中にありました。
歌える曲と、まだ自分の言葉にできない曲
2013年、ブーブレは「My Way」をまだ歌わない理由を語っています。
当時37歳の自分には、人生を十分に生きてきたという実感が足りない。
歌詞を本心として歌えなければ、聴き手にも伝わらないと考えていたのです。
有名な歌を歌える技量があっても、その曲を自分の言葉にできるとは限りません。
レパートリーが増えても、選曲の基準まで無制限になるわけではなかった。
この慎重さは、後に家族への思いを録音へ持ち込む姿勢を理解するうえでも大切です。

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2016年、共同プロデュースで残した親密さ
『Nobody But Me』では、初めてアルバムの共同プロデューサーを務めました。
表題曲にはブラック・ソートのラップも加え、ジャズやロカビリーとヒップホップを結びつけています。
目指していたのは、ヘッドホンで聴く人が、すぐそばにいるような親密さでした。
本人は、俳優が自ら監督することにもたとえています。
歌をどう受け取ってほしいかまで、自分で形にしようとしていました。
同じ制作期、「God Only Knows」では、ごく親密な感情が録音へ入ります。
家族に会えず、感傷的になっていた本人は、妻と子どもたちの写真を見ながら歌いました。
これは2016年夏の取材でも語られた録音の話で、後に家族のために活動を休むことになる以前の出来事です。
歌う本人の生活に近い感情を、名曲の中へ残していく。
その声の作り方は、マイケル・ブーブレの歌い方で掘り下げています。
『Love』で、歌う喜びを取り戻す
2016年、長男の病気を受けて活動を離れたブーブレは、2018年の『Love』で戻ってきます。
本人は休止前、仕事が決まりきったものになり、周囲にどう見られるかを気にしすぎていたと振り返りました。
成功を重ねたからこそ、歌う楽しさが見えにくくなっていたのです。
再び音楽へ向かうきっかけは、仲間と集まり、演奏を楽しむ時間でした。
何かを証明するための仕事としてではなく、好きだから歌う。
その感覚を取り戻し、フォスターと再び組んで、愛を主題にしたアルバムへ進んでいます。
2019年のテレビ特番では、歌の伝え方にも本人の意志が表れました。
細かい編集や大量のカメラの切り替えより、広い画と寄った画を使い、レンズへ向かって物語を届けたいと話しています。
大編成を背負っていても、歌い手と見る人の関係を近く保つことを重んじていました。
同年のツアー中には、昔の自作曲を聴くと、その曲を書いた頃の自分へ戻されるとも語っています。
「Home」や「Everything」は、ヒット曲であると同時に、以前の人生を思い出す歌になっていました。
新しい心境で舞台へ戻ることは、過去の歌の意味を受け取り直すことでもあったのです。

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『Higher』では、すべてを決める役割を手放した
2022年の『Higher』へ向かう時期、ブーブレは慣れた制作の外へ出たいと考えました。
長く一緒に仕事をしてきた人や方法だけに頼らず、自分にも聴き手にも新鮮な作品にする。
ただし、これまで歌ってきた音楽の持ち味まで捨てようとしたわけではありません。
大きかったのは、細部まで自分で管理する姿勢を緩めたことです。
長年の協力者アラン・チャンの助言もあり、グレッグ・ウェルズやライアン・テダーらに制作を委ねました。
自分の意志を通せるようになった歌手が、今度は、他人の発想から自分にも予想できない歌を引き出そうとしていたのです。
「My Valentine」では、作者のポール・マッカートニーが制作に参加しました。
ポール自身も、ニューヨークの録音現場に立ち会ったことを伝えています。
かつての名曲を受け継ぐだけでなく、作者と同じ場で、新たな歌唱を作る機会になりました。
2024年の『The Best of Bublé』には、スタンダードとオリジナル曲が共に並びます。
名歌手の歌を受け継ぐ歩みの中で、録音する瞬間の気持ちを残し、さらに他人へ任せることも覚えた。
自分の声を持つことの意味を、作品ごとに広げてきました。

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