フリーダの歌声の変遷|ABBAの重なりから、ソロで選び直した声へ

1982年10月1日、スキポール空港に到着したフリーダ(撮影:Rob Bogaerts/Anefo) シンガー
1982年10月1日、スキポール空港に到着したフリーダ(撮影:Rob Bogaerts/Anefo)

ABBAのフリーダは、低い声で相方を支えるだけの歌手ではありません。
ソロではロックへ踏み込み、母語へ戻り、長い間隔を置いて録音にも参加してきました。
声が変わったことと、その声を置く場所を変えたこと。
両方をたどると、ABBAでの再会も、昔へ戻っただけの出来事ではなく見えてきます。

ジャズへの憧れから、二人で作るポップスへ

フリーダは13歳からダンスバンドで歌い、1967年には歌のコンテストで優勝しました。
その日のうちに全国放送へ出演し、レコード契約につながります。
ABBAに入る前から、舞台で歌ってきた人でした。

若い頃に惹かれていたのは、エラ・フィッツジェラルドやペギー・リーです。
本人は、ベニー・アンダーソンとの出会いによって、音楽の好みが、より同時代のポップスへ向かったと振り返っています。
かつては動かずに歌うタイプのボーカリストだったともいい、ABBAのステージへ至るまでには、歌う姿そのものの変化がありました。

1971年の初アルバム『Frida』には、ジャズの影響を残した軽やかな歌があります。
豊かな伴奏に、声をしなやかに合わせていく表現です。
後のABBAで強い響きを担う歌手を、その力強さだけで捉えると、この出発点を見落としてしまいます。

1975年の『Frida ensam』は、ABBAで活動しながら作ったソロ作品でした。
本人が望んだのは、グループではできないことを歌う機会です。
この作品の「Fernando」は、後にABBAの英語版へ生まれ変わりました。
ソロとグループは、最初から切り離された道ではなかったのです。

1967年9月4日の新聞に掲載されたフリーダ(Expressen)
1967年9月4日の新聞に掲載されたフリーダ(Expressen)。
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ABBA後期――華やかな重なりの中に、一人の歌を置く

1981年の『The Visitors』では、フリーダの歌う役割がいくつにも分かれます。
「I Let the Music Speak」は、後にミュージカルへ向かうベニーとビョルンの発想を感じさせる、劇的な構成の曲です。
一方、「Like an Angel Passing Through My Room」では、最小限のシンセサイザー伴奏に、一人の声が置かれました。
二人の声を重ねて華やかさを作るだけでなく、一人で曲の空間を保つ役割も、すでに担っていたのです。

1982年――ABBAの外で、鋭さと親密さを試す

『Something's Going On』は、ABBAの活動が続いていた1982年に作られました。
プロデューサーはフィル・コリンズです。
フリーダは彼の『Face Value』に強く惹かれ、自分の制作相手として選びました。

目指したのは、ABBAのポップスとは異なるロックの方向でした。
「I Know There's Something Going On」の力強いドラムは、その選択を象徴しています。
アルバムの歌には、鋭く冷ややかな表情と、温かく親密な表情の両方があります。
強い伴奏を得たことを、すべての曲で大声になった変化と捉える必要はないでしょう。

フリーダは、アグネタと一緒に歌うことと、一人でアルバムを録音することは違うと話しました。
たくさん届いた候補曲を聴き、望む方向が見つからなければ、作家に直接依頼する。
ソロは、声だけを借りてもらう仕事ではなく、何を歌うかから自分で決める制作でもあったのです。

1984年――声を包む音を、さらに変える

次の『Shine』では、スティーヴ・リリーホワイトと組みました。
フリーダは、前作より大胆な音になり、以前は出口のなかった音や制作方法に出会えたと説明しています。
この変化は、声そのものが別物になったというより、声を使える音楽の範囲が広がったと考えるほうが自然でしょう。

この時期には曲作りにも挑み、自作のバラード「Don't Do It」をアルバムに収めています。
歌う曲を選ぶところから、自分で曲を書くところへ。
1980年代のソロは、プロデューサーが変わるたびに、歌手として参加する範囲も広がっていきました。

『Shine』の中にも、親しみのあるハーモニーを前へ出した「Slowly」と、密度の高い「Twist in the Dark」のような違いがあります。
新しい音へ進むことは、ABBAで身につけたものを全部捨てることではありませんでした。
それまでの旋律的な歌を、別の音の組み合わせへ持ち込む試みでもあったのです。

1996年――母語で、今の自分に合う言葉を歌う

12年ぶりのアルバム『Djupa andetag』では、スウェーデン語へ戻ります。
フリーダは、母語で歌いたかったことに加え、国際的な宣伝から距離を置き、規模を小さくしたかったと説明しました。

制作を担当したアンダース・グレンマークとは、離れた国からファクスで歌詞をやり取りしました。
今の自分の経験に合う言葉になるまで検討し、曲ごとの気分を探していく。
母語への回帰は、単に言語を変えることではなく、歌う内容との距離を縮める作業でもありました。

2010年代以降――変化した声で、録音の喜びを取り戻す

2010年には、ギタリストのJojje Wadeniusの作品で「Morning Has Broken」を歌います。
当時のフリーダは、声が少し低くなり、若い頃と同じ音域ではなくなった一方、新しい成熟もあると話していました。
この曲は亡き夫との結婚式でも歌われた、思い出の曲でした。
若い声を再現するだけでなく、その時の自分が歌いたい曲を選ぶ録音だったのです。

2013年5月6日、ABBA博物館の開館時のフリーダ(撮影:Frankie Fouganthin)
2013年5月6日、ABBA博物館の開館時のフリーダ(撮影:Frankie Fouganthin)。
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2018年の「Andante, Andante」では、スペイン語で歌い、アルトゥーロ・サンドヴァルのトランペットと共演しました。
制作したグレッグ・フィールドが驚いたのは、録音の間隔が空いていても、声を正確に重ねられたことです。
声域の変化があっても、積み重ねてきた録音の技術まで一緒に失われるわけではありません。

2021年、ABBAの『Voyage』が届きます。
フリーダは、若い頃ほど何かを証明する必要を感じず、楽しみのために制作できたと話しています。
うまくいかなければ発表しなくてもよい、という余地を持った再会でした。

「I Still Have Faith in You」は、落ち着いた低めの歌い出しから、二人の声が重なる大きな広がりへ進みます。
その一曲には、年月を経た一人の声と、ABBAならではの組み合わせが、どちらも残っています。
昔の響きを保存するだけでなく、今の声を合わせ直して生まれた再会として受け取りたいところです。

フリーダの歩みは、声が強くなった、低くなったという一本の線だけでは捉えきれません。
誰と歌い、どんな伴奏に置き、どの言葉を選ぶか。
その選択を続けてきたことが、長い活動の中で歌を変えてきました。
声の使い分けと録音の具体例は、フリーダ(ABBA)の歌い方で詳しく取り上げています。

アイキャッチ:1982年10月1日、スキポール空港に到着したフリーダ(撮影:Rob Bogaerts/Anefo)/画像掲載元/CC BY-SA 3.0 nl
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