アグネタ・フォルツコグ(ABBA)の歌声の変遷|休止のたびに、歌う感覚を取り戻してきた声

1979年10月、ロッテルダムに到着したアグネタ(撮影:Fernando Pereira/Anefo) アグネタ・フォルツコグ
1979年10月、ロッテルダムに到着したアグネタ(撮影:Fernando Pereira/Anefo)

ABBAで世界を魅了した声の持ち主が、再び歌えるのかを不安に思う。
アグネタ・フォルツコグの復帰には、そんな時間がありました。
歌う感覚を取り戻し、その時の声に合う表現を探す。
彼女の歩みは、若い頃の声を保つことだけでは説明できません。

1967〜1975年――自分の歌から、ABBAの声へ

1967年、17歳のアグネタは、自作曲「Jag var så kär」でレコードデビューします。
ABBAの活動が始まる前から、曲を書き、歌う人でした。
1975年のソロ作『Elva kvinnor i ett hus』でも、スウェーデン語版「SOS」を除く曲を自分で作っています。
ところが、同じ頃にABBAの国際的な成功が本格化し、ソロの作り手としての道はいったん脇へ置かれました。

1975年のABBAのアルバム『ABBA』では、「SOS」の切なさを帯びたアグネタのリードと、幾重にも重なるハーモニーが、大切な役割を果たします。
ひとりの歌として感情を伝えながら、重なればグループの響きになる。
自分の曲を歌っていた声は、仲間と一つの音を作る声にもなっていったのです。

1977〜1982年――きらびやかな重なりから、一人の物語へ

「The Name of the Game」(1977年)では、アグネタの切実さとフリーダの温かさが、複雑な曲の中で交わります。
二人が重なると、それぞれとは違う「第三の声」が生まれる。
親しみやすいヒット曲の勢いに加えて、入り組んだ気持ちを扱う歌へ進んだ時期でもありました。

1980年の「The Winner Takes It All」になると、一人の歌の強さが前へ出ます。
アグネタは後年、この録音を、ビョルンとの離婚後の悲しみと重なる、非常に強い経験として振り返っています。
ただし、歌のすべてが実生活の再現というわけではないとも話していました。
自分の経験を含みながら、それを一曲の人物の気持ちとして歌う。
明るいグループの一員という印象だけでは収まらない、物語を引き受ける力が表に出た作品です。

さらに「The Day Before You Came」(1982年)では、日常を語る普通の女性として歌うよう求められました。
声の華やかさを前面へ押し出さず、出来事を語る人物になることも、彼女の表現の中にありました。

1979年10月、ヨーテボリ公演のアグネタとフリーダ(撮影:Kåre Eide)
1979年10月、ヨーテボリ公演のアグネタとフリーダ(撮影:Kåre Eide)。
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1983〜1987年――悲しいバラードの外へ、声の使い道を広げる

英語のソロ作『Wrap Your Arms Around Me』(1983年)では、マイク・チャップマンと歌の作り方を話し合っています。
アグネタは、彼が自分の提案に耳を傾け、ボーカルをどう仕上げるか相談できたと語りました。
新しい歌唱スタイルを試したいという思いも、この作品にはありました。
当時の取材では、ABBAで同じような提案ができたかと問われ、できなかったとも答えています。
これは、ABBAで何も工夫していなかったという意味ではなく、新しい制作相手との間で、自分から歌唱を相談できる手応えを語った場面です。
歌を渡されるだけでなく、自分の声の扱いを相談しながら決める関係が、ソロ活動を支えたのです。

「The Heat Is On」の陽気な曲調も、その方向を示しています。
本人が望んでいたのは、別れや苦しさを歌うバラードばかりではない、よいメロディーと前向きな気分を持つ曲でした。
その後は『Eyes of a Woman』(1985年)、『I Stand Alone』(1987年)へ進みます。
エリック・スチュワート、ピーター・セテラと制作相手を変えて歌った後、長い休止へ入りました。

2004年――好きだった歌で、マイクの前へ戻る

17年ぶりのアルバム『My Colouring Book』で選んだのは、主に1960年代の歌でした。
復帰の理由をアグネタは、もう一度歌いたくなったからだと説明しています。
ただ、長く離れていた録音では、自分の声がまだ使えるのか不安で、マイクを怖く感じる時期もありました。
戻ると決めた瞬間から、昔どおりに歌えたわけではなかったのです。

録音を助けたのは、どこで行き詰まるかをよく知るマイケル・B・トレトウでした。
彼が病気になった後は、アンダース・ネグリンらと制作を続けています。
アグネタは、頭の中にある響きや曲の進め方を伝え、演奏者たちとも一緒に作品を作りました。
声を出す自信と、自分の望む音楽を形にする仕事が、同時に戻ってきた復帰だったのです。

音楽評論家ブルース・イーダーは、この作品の「Fly Me to the Moon」の音数を絞った仕上がりを評価し、声と表現の素直な純粋さが残っていると評しています。
ABBAと同じ伴奏を取り戻すことが、復帰の条件ではありませんでした。
違う器の中でも、その人の声だと伝わるものが残っていたのです。

2013年――呼吸を思い出し、新しい曲を歌う

『A』の制作を前に、本人はまた、長く歌わなかった声が十分に働くのか気にしていました。
ヨルゲン・エロフソンとペーター・ノルダールが持ってきた歌は気に入った。
それでも、自分がどう歌えるかは別の問題です。
そこで歌のレッスンを受け、呼吸の仕方を取り戻していきました。
本人は、再び歌えそうだと思えた過程を、その感覚の回復と結びつけて話しています。

完成作について、評論家スティーヴン・トマス・アールワインは、声に厚みがあり、歌手の持ち味が生きるよう曲と制作が整えられていると評しました。
「Dance Your Pain Away」にはディスコの要素があり、作品の中心にはバラードがある。
昔と同じ高さを出せるかだけでなく、今の声を、どんな歌の中へ置くかが大切になっています。
『A』は、その声を新曲へつなぐ復帰でした。

2013年公開のアグネタの広報写真(Stockholm Pride)
2013年公開のアグネタの広報写真(Stockholm Pride)。
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2021年――変わらない響きへ、積み重ねた感情を入れる

ABBAの『Voyage』に向けた録音でも、最初は声への不安がありました。
しかしアグネタは、フリーダと歌うと、以前に近い響きがすぐに現れたと話しています。
その一方、今は歌の物語へ入り込み、気持ちを伝えるために、さらに多くを注ぐとも語りました。
長く生きてきた分だけ、込める感情が増えている。
「Don't Shut Me Down」で再びリードを担った時、本人が意識していた変化は、声の新しさより、歌に入れるものの深さだったのです。

2023年――声を録り直す変化と、同じ声を生かす変化

『A+』は、2013年の『A』の歌声を残し、伴奏を新しく作り直した作品です。
ラジオから流れた昔の曲をきっかけに、今作ったらどうなるかとアグネタが考えたことから始まりました。
新しいリズムや音色で印象が変わっても、その歌唱を全部、2023年の声の変化として数えることはできません。

一方、追加曲「Where Do We Go From Here?」は、新しく録音した歌です。
昔の歌声を新しい音の中へ置くことと、今の自分で新しい曲を歌うこと。
その両方を含むのが、この作品でした。
歌い直してこそ起こる変化もあれば、すでに歌った声をどう生かすかという変化もある。
長い録音の歴史は、過去の声と今の声が同じ作品へ並ぶ場所にもなりました。

アグネタの変遷は、若い声が別の声へ置き換わるだけの歴史ではありません。
仲間と重ねる声、一人の人物を引き受ける声、休んだ後に取り戻す声。
時期によって向き合う課題が変わっても、歌の中に気持ちを入れる仕事は続いていました。
曲ごとの声の選び方は、アグネタ・フォルツコグの歌い方で詳しくたどります。

アイキャッチ:1979年10月、ロッテルダムに到着したアグネタ(撮影:Fernando Pereira/Anefo)/画像掲載元/CC BY-SA 3.0 nl
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