スティーヴィー・ニックス(Fleetwood Mac)の歌声の変遷|「Rhiannon」の熱演から、歌い続けるための選択へ

1977年のスティーヴィー・ニックス。撮影者不詳 シンガー
1977年のスティーヴィー・ニックス。撮影者不詳

スティーヴィー・ニックスの歌声を昔と比べるとき、声が高かったか、低くなったかだけでは見えてこない変化があります。
その夜に力を出し切る歌から、次の公演でも歌えるように準備する歌へ。
バンドの中で声を合わせることから、自分の仲間と表現を広げることへ。
1970年代の代表曲から2024年までをたどると、声の個性を保つために、歌う環境と向き合い方を変えてきた歩みが見えてきます。

1970年代、「Rhiannon」で毎晩使い切っていた力

リンジー・バッキンガムとのデュオを経て、1974年末にフリートウッド・マックへ誘われたニックス。
翌年のアルバムに収めた「Rhiannon」は、彼女を印象づける曲になりました。

初期の「Rhiannon」は、歌う人を大きく消耗させる演目でもありました。
1976年の本人の説明では、「Rhiannon」は毎晩歌うには非常に重い曲。
曲が終わる頃には、自分も周囲も圧倒され、倒れそうになるほど力を使うと語っています。
幻想的な人物を歌う曲は、舞台の上では、歌い手が全身で感情を注ぐ演目だったのです。

一方、1977年の『Rumours』に入った「Dreams」では、最初の歌唱にしかない良さが録音に残りました。
共同プロデューサーのケン・キャレイは、何度録り直しても最初のテイクを超えられない部分があったと振り返っています。
熱演で押し切るだけが、若いニックスの魅力だったわけではありません。
その場の感情が、歌い直すことより大切にされていました。

1977年、フリートウッド・マックのステージ。撮影:Klaus Hiltscher
1977年、フリートウッド・マックのステージ。
撮影:Klaus Hiltscher。
画像出典:画像掲載元/CC BY-SA 2.0
画像は元データのまま掲載。

1981年、ソロで手にした三人の声と、生演奏の反応

ソロ活動は、書きためた歌を届けるために始まりました。
ニックスは、三人の作家が曲を分け合うバンドでは、自分の作品を十分に出しきれなかったと話しています。
その出口になったのが、1981年の『Bella Donna』でした。

制作では、ベンモント・テンチのピアノを囲み、シャロン・セラーニ、ローリ・ペリーと練習しました。
テンチの回想では、録音も基本的にはバンドと三人の歌い手が一緒に演奏する形です。
十分な準備によって、その場の反応を録音へ残せる状態を作っていたのです。

「Edge of Seventeen」では、ワディ・ワクテルが強く繰り返すギターを弾き、バンド全体で録音しました。
ワクテルは、公演ではニックスが曲を長く延ばすこともあると説明しています。
歌の展開を受け止める演奏者がいるから、舞台でさらに広げられる。
声だけで完結する個性ではなく、仲間の演奏とともに育った歌でもありました。

1997年、本番で声を慣らす歌い方を変える

1997年、フリートウッド・マックの再集結に伴うツアーを前に、ニックスは声のコーチを同行させると話しています。
公演日の午後に30〜40分ほど取り組み、舞台へ出る時点で歌う準備を終えておく。
本番の最中に声を慣らす、それまでの進め方を変えるためでした。
「Rhiannon」や「Stand Back」を含む長い公演を、何日も続けることが背景にあります。

2001年、本人は以前の「Rhiannon」を振り返り、連夜の公演で声が残らず、叫ぶように乗り切っていたと話しています。
練習を続けるようになってからは、以前は届かなかった高い音にも届くようになったそうです。
測定された音域ではなく、本人の実感です。
それでも、低くなっていく一方という見方とは違う、歌い手自身の手応えが残っています。

変わったのは、歌の熱量を小さくするという考え方ではなく、その熱量を出すまでの道筋でした。
一晩の勢いに任せるだけでなく、歌える状態を公演前に整える。
若い頃の歌を長く歌い続けるために、準備の仕方を作り直した転機といえます。

2000年代、同じ曲にも新しい声の組み合わせを

2007年、本人はバンドとソロの歌い方をはっきり分けて説明しています。
バンドでは三人の一員として声をなじませ、ソロではシャロンとローリとともに、もっと自由で華やかな表現へ出ていける。
同じ人が同じ曲を歌っていても、どこまで自分の声を前へ出すかは、共演する場によって変わるのです。

『Crystal Visions』に収めたメルボルン交響楽団との「Landslide」についても、編曲と三声のハーモニーが曲に新しい命を与えたと語りました。
若い頃の自分を再現することだけが、昔の歌を歌い続ける方法ではありません。
仲間の声と組み合わせ直し、同じ曲の中に、今の自分が歌える場所を見つけています。

2011年の『In Your Dreams』でも、長年の歌い手たちは制作に参加しました。
ニックスが求めたのは、入れ替えの利く一般的なバックコーラスではなく、二人それぞれの固有の声です。
自宅でデイヴ・スチュワートたちと作った作品では、長い付き合いの安心感と、新しい共同制作が同居しました。
歌の周囲を誰の声で満たすかにも、彼女の選択が表れています。

2014年、若い日の曲を、その時点の自分で録音する

『24 Karat Gold: Songs from the Vault』は、古い録音を並べた作品集ではありません。
過去に書いた歌を、新たに録音し直した2014年のアルバムです。
ナッシュヴィルの演奏家たちと短期間で作業を進めたため、長い時間をかけて作った前作とは制作のリズムも違いました。
作曲した年と、ここで歌っている声の年代を分けて捉える必要があります。

「Lady」は、ロサンゼルスへ移ったばかりの自分とリンジーの不安を映した曲だと、本人は説明しています。
その若い日の歌を録る2014年の生活には、朝の発声レッスンが組み込まれていました。
歌の中へ戻るのは昔の気持ちでも、歌うための準備は、後に身につけたものを使う。
過去へ戻るアルバムだからこそ、歌い手が積み重ねた時間も表れるのです。

当時の評には、若い頃ほど声域が広くないという見方と、編曲や感情の深さによって古いデモに十分向き合えているという評価が並んでいます。
「昔と同じ声か」と「その歌を今、どう成立させるか」は、別の問いです。
声の変化を認めながら、新しい録音の価値を考える視点が必要でしょう。

2024年10月12日、Saturday Night Liveで歌うスティーヴィー・ニックス。撮影:Will Heath/NBC/Getty Images
2024年10月12日、Saturday Night Liveで歌うスティーヴィー・ニックス。
撮影:Will Heath/NBC/Getty Images。
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2020年代、低くなった声にも残る意志と、次に歌う理由

2022年のツアーに参加したテンチは、ニックスが以前より低く歌うようになったとしながら、毎晩の歌を高く評価しています。
マイク・キャンベルも、コーチと日々取り組む彼女の姿勢を挙げました。
高い音を若い頃と同じように出すことだけを、歌の充実の基準にはしていません。
2024年の本人も、衣装を何度も変える大がかりな公演より、歌の合間に物語を伝える楽しさを語っています。

同年の「The Lighthouse」では、その声を女性たちへの呼びかけに使いました。
本人が描いた曲のイメージは、マーヴィン・ゲイが路地を歌い歩き、角を曲がるとフー・ファイターズに出会うような展開。
長く歌ってきた人の物語と、ロックの強さを一曲の中でつなごうとしています。
新しい歌を必要とする理由が、今もあるのです。

ニックスの変遷は、声を若い日のまま保存した歴史ではありません。
最初の歌唱にしかない感情を残し、共演者の声で曲を広げ、公演前の準備を習慣にする。
その積み重ねの中で、変わった声にも、歌いたいことを託してきました。
「Rhiannon」を使い切るように歌っていた人が、同じ歌を次の夜にも届ける方法を選ぶ。
その変化に、長い活動を支えた歌い手としての意志が表れています。

音の揺らし方やハーモニー、録音での声の選択は、スティーヴィー・ニックスの歌い方で詳しく扱っています。

アイキャッチ:1977年のスティーヴィー・ニックス。
撮影者不詳/画像掲載元

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