2006年、ロンドンの小さなバーで歌ったエイミー・ワインハウスは、客の話し声が気にならないかと尋ねられました。自分の歌が聴こえるなら構わない、毎晩でも演奏したい。そう答えた彼女は、まもなく『Back to Black』を携えて大きなステージに立ちます。
その間の変化を「ジャズをやめてソウルになった」と言い切るのは惜しいでしょう。『Frank』にはヒップホップの感覚があり、後の活動にもジャズ、スカ、レゲエが残りました。変わったのは、どんな曲と編成なら、いま書いている言葉を歌えるかという選び方です。本人が話した音楽の好みと、制作に立ち会った人の証言をたどります。
2003~04年|『Frank』にあった、ジャズとヒップホップの同居
初作『Frank』の「Stronger Than Me」では、恋人への不満を遠回しにせず言います。ジャズを思わせる旋律でも、古い歌の登場人物を演じているわけではありません。2002年、エイミーはギターを持ってサラーム・レミのスタジオへ来ました。レミが初めて聴いたのは、彼女が歌うボサノバの「イパネマの娘」だったといいます。その後の『Frank』制作では、ギターや電気ピアノを弾きながら自分の曲を考えたと、録音技師ゲイリー・ノーブルは振り返っています。
ノーブルによると、曲を作るときはレミがリズムの下書きを用意し、完成した録音では生楽器が使われました。本人も後に、この時期の自分はジャズとヒップホップを聴いていたと話しています。「ジャズ歌手」という一語では、曲を動かすリズムも、率直な言葉も片づけられません。

2004年の写真に写るのは、北海ジャズ・フェスティバルに出演したエイミーです。翌年に別の音楽へ突然入れ替わる前の、純粋な「ジャズ時代」というより、すでに複数の音楽を自分の歌に同居させていた時期と考えるほうが近いでしょう。
2005~06年|短いコード進行で、言葉を前へ出す
二作目の準備中、エイミーが聴いていたものは変わりました。2006年の取材で本人は、ザ・シャングリラス、レイ・チャールズ、ザ・スペシャルズを挙げ、最近書いた曲はギターの音が強く、コードも以前ほど複雑ではないと説明しています。商業的に聞こえるよう計算したのではなく、当時よく聴いていた音楽に近づいたのです。
ただ、『Frank』の作業が終わると同時に、別の歌手に変わったわけではありません。レミは、後に『Back to Black』へ入る「Just Friends」と「Addicted」の原型は、前作の制作末期から始まっていたと振り返ります。2005年から翌年にかけてエイミーは、ザ・シャングリラスやドゥーワップのレコードをレミに聴かせ、次に進みたい方向を自分から示しました。
「Just Friends」にレゲエのリズムがあるのも大事な点です。二作目は一色の復古的ソウルではありません。恋をめぐる言葉を、短いコードの歌、ドゥーワップ、レゲエなど、違う器に置いています。
2006年|『Back to Black』を一つの音に閉じ込めない
マーク・ロンソンと初めて曲を作ったときも、エイミーが持ち込んだのは、当時聴いていたガールズグループとモータウンの話でした。ロンソンは、ザ・シャングリラスを思わせるピアノの土台を用意します。エイミーはそれを気に入り、メロディーと歌詞を書きました。バンド、ザ・ダップ・キングスも制作に加わって、アルバム表題曲の大きな響きが生まれます。
しかし「古いソウルらしく飾ればよい」と考えていたわけでもありません。「Love Is a Losing Game」でロンソンが弦楽器を加えようとすると、彼女は最初、反対しました。完成した響きを聴いて弦は受け入れたものの、ハープは外すよう求めたとロンソンは話しています。曲の大きさと、歌の言葉をどこに置くか。その境目は制作の中で決めていったのです。
その違いがもっと見えるのが「Tears Dry on Their Own」です。2005年にレミと録った遅い形の「Tears Dry」は、2011年に『Lioness: Hidden Treasures』で公表されました。『Back to Black』に入ったのは、テンポを上げた別の形です。
レミによると、アルバムには遅い曲がすでに多く、彼は「Ain’t No Mountain High Enough」のリズムを手がかりに新しい編曲を提案しました。エイミーはすぐに歌えたわけではなく、数日かけて速い形に合う歌を探したそうです。静かに語るような原型と、前へ進むリズムの完成版。二作目の変化は、声質が急に別物になったという話ではありません。自分の言葉を、どの曲の歩幅で運ぶかを選び直したのです。
2006~07年|バーの話し声から、フェスの観客へ
『Back to Black』の曲を作っていた2006年、冒頭のバーでは、客の会話も演奏の場の一部でした。彼女は話し声に動じず、バンドと演奏できることを楽しんでいます。この小さな部屋での距離感を知ってから、翌年のグラストンベリーを見ると、変化が別の形で分かります。
2007年、エイミーはピラミッド・ステージに立ちました。後に公式ライブ盤になったその公演には、「Back to Black」「Rehab」「Tears Dry on Their Own」だけでなく、サム・クックの「Cupid」、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの「Monkey Man」、ザ・スペシャルズの「Hey Little Rich Girl」も並びます。新作の歌を大勢に届けながら、愛してきた音楽へ行き来できる曲順です。
同じ2007年のワイト島での公演では、ザ・ズートンズの「Valerie」も歌いました。この曲も、一つの完成形に決めていたわけではありません。2006年に録った遅い版があり、ロンソンが制作した別の版もあります。レミは、エイミーが自分のバンドと歌うときは、初めの版に近いことが多かったと振り返っています。
小さなバーを離れたからといって、声が単なる「大観衆向けのソウル」になったわけではありません。歌う場所が広くなるほど、彼女は自作曲に加え、レゲエやスカの歌もバンドと観客の間に置きました。
2007~08年|大きな舞台でも、生演奏の中心にいる
2007年からツアーの音響を担当したジェラール・アルボは、初めて一緒に仕事をしたスペインのフェスで、エイミーとバンドの演奏に驚いたと振り返ります。翌年の大きな公演でも、演奏に録音済みの伴奏を流したり、コンピューターに任せたりはしなかったそうです。ドラム、ベース、ギター、電気ピアノ、管楽器、二人のバッキング歌手が、その場で鳴らしていました。
アルボによれば、エイミーはマイクに近づいて歌い、その声を数万人の観客へ届けられました。ここから声域や喉の状態がいつどう変わったかまでは判断できません。ただ、レコードで選んだ古い響きを舞台で流すのではなく、生身のバンドと歌う形にしたことは分かります。スタジオで曲を選んだエイミーと、ステージで歌うエイミーは、そこでつながっています。
2008年のBRIT Awardsでは、ロンソンと「Valerie」を披露しました。自分のバンドでも、ロンソンとの共演でも、このカバーを歌の一部に置き続けています。アルバムの表題曲だけでなく、別の歌手が書いた一曲にも、複数の形を持たせていたのです。
歌うたびに変わる細かな節回しや、後年トニー・ベネットとジャズ曲を歌ったときの応答は、エイミー・ワインハウスの歌い方でたどれます。ここで追ってきたのは、その声をどんな曲と編成に置いたかという変化です。
変わったのは「ジャズの声」ではなく、歌を置く場所
『Frank』のエイミーは、ジャズとヒップホップを使って自分の言葉を歌いました。『Back to Black』では、新たに惹かれたガールズグループの短い曲作りを手がかりに、同じ言葉でも編曲の違う二つの「Tears Dry」を残します。そして2007~08年には、その曲たちをスカやレゲエのカバーとともに、大きな生演奏の舞台へ持っていきました。
「ジャズからソウルへ」という移動だけを見ていると、彼女が決め続けたことが隠れます。どのリズムで、どの楽器と、どの場所で歌えば、その言葉は自分のものとして届くのか。エイミーの変遷は、そこに答えを探し続けた記録です。

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