さだまさしの歌声はどう変わった?「精霊流し」から50周年の歌い直しまで

さだまさし公式プロフィールの写真 さだまさし
さだまさし。写真出典:さだまさしオフィシャルサイト

グレープで「精霊流し」を発表した若い日の自分と、約半世紀後に同じ歌を録り直した自分。
さだまさしは2023年、後者の声について「太くなった」と語りました。
声が変わったことを隠すのではなく、長年の相棒・吉田政美と、その時の二人として音楽に向き合えたと振り返っています。

では、その間に歌い手として何を得たのでしょう。
1970年代のライブ録音、父に歌を認められた夜、代表曲の高さをあえて変えたセルフカバーをたどると、昔の声を再現することとは違う、さだの歌の進み方が見えてきます。

1974年、「精霊流し」を歌ったグレープ時代

さだまさしと吉田政美のグレープが「精霊流し」をシングルで発表したのは1974年。
長崎の行事を題材にした歌で、さだ自身が後年、グレープのヒット曲には「精霊流し」や「無縁坂」のような真面目な歌が多かったと振り返っています。

まだ二十代前半のさだは、吉田と作る音楽の中で、自分が書いた物語を歌っていました。
ただ、ヒットしたことと、人前で歌う自信が持てたことは同じではありません。
後年さだは、当時は共演する歌手たちと対等だと思えず、舞台がつらいほど緊張していたと振り返っています。
歌が広く知られていく一方で、本人には歌い手として追いつきたい相手がいました。

このころの声が後のすべての基準になったわけではありません。
「精霊流し」は、グレープ解散後も歌い続け、再び録ることになる曲です。
1974年のシングル音源を2016年にリマスターした正規配信では、その出発点をたどれます。

1977年、客席の笑いも一緒に残った「雨やどり」

グレープ解散後、ソロになったさだは「雨やどり」をコンサートで披露します。
本人の回想によれば、前日に作ったばかりの歌を試したところ客席に大いに受け、ディレクターに勧められてライブ録音のままシングルにしました。
1977年のヒットです。

「精霊流し」の重い題材を知る人には、客席の笑い声が入った「雨やどり」は意外だったかもしれません。
さだも、真面目に書いた歌ではなく、洒落のつもりで作った曲が売れたことに驚いています。
聴き手の反応を受けながら一曲を運ぶ姿まで、録音に残りました。

歌に向き合う緊張を語っていた青年の作品に、今度は聴き手と楽しさを分け合う時間が入ってきました。
曲を書くだけでなく、舞台で客席から返ってくる反応も、次に届ける作品を決める力になったのです。

2000年ごろ、父に「歌が追いついた」と言われる

大阪のフェスティバルホールで歌い終えたさだの楽屋に、父が駆け込んできました。
本人の記憶では2000年ごろのことです。
父は音楽の専門家ではありませんでしたが、大都市でのコンサートによくついてきて、客を迎えていた人でした。
さだの舞台を、長い間そばで見てきた聴き手でもあったのです。

さだによれば、父の目には、それまで作詞家と作曲家としての自分に比べ、歌い手としての自分が遅れているように映っていたのでしょう。
その夜、父は「自分の歌に追いついた」と告げたのです。

さだも、その日は調子がよかったと覚えています。
ただし、父がどの音や技術を評価したのかは分かりません。
さだが受け取ったのは、自分の書いた歌を、伝えたいように歌える人になったという評価でした。
親子の出来事であると同時に、長く歌い続けてきた本人が歌手としての手応えを得た瞬間でもあります。

2002年の30周年記念公演『月虹』では、「奇跡~大きな愛のように~」を歌う姿が記録されています。
父が聴いた公演とは別の舞台ですが、さだが歌を届け続けた時期の演奏です。

2008年の取材で、さだは昔より歌が上手になったと思うと話しながら、これからも上手くなりたいと続けました。
父の一言は、成長の終点ではなかったのです。

2021年『さだ丼』、高い声が出ても高さを下げる

さだは2019年に『新自分風土記』の二作で自作曲を歌い直し、2021年にも第三作『さだ丼~新自分風土記III~』を発表しました。
「無縁坂」「案山子」「道化師のソネット」「関白宣言」など、長く親しまれてきた曲を新録音した作品です。

さだまさしの2021年のセルフカバーアルバム『さだ丼~新自分風土記III~』のジャケット
代表曲を歌い直した『さだ丼~新自分風土記III~』(2021年)。
画像出典:ビクターエンタテインメント

制作したのは、新型コロナウイルスの流行で、家族や命について考える人が増えていた時期でした。
本人も2020年、長くコンサートができない期間に入り、その間を使ってアルバムを作ったと話しています。
さだは、そのとき聴いてほしい曲を選んだと語っています。
若いころの声を保存し直す企画ではなく、既に知られた歌を、いま聴く人へ渡し直す試みでした。

歌の高さにも、その考えが出ています。
本人によれば、原曲の高さで歌える音域はまだある。
それでも、落ち着いて聴いてほしい作品では、あえて少し高さを下げました。
出せる音をすべて見せるより、曲の受け取られ方を選んだのです。

聴いてほしかったのは、昔からのファンだけでもありません。
本人は、自分の歌を知らない若い世代には、これらも新曲として届くはずだと考えていました。
同じ曲でも、聴き手に初めて出会う歌として歌い直せる。
その視点が、当時の声を懐かしむだけでは終わらない再録の目的につながっています。

同じ2021年には、先輩や仲間のフォーク曲を歌う『アオハル 49.69』にも取り組みました。
彼らが現役なのに、音楽を懐かしい過去としてまとめて扱うことへの違和感が、企画の出発点だったといいます。
自分の歌から原曲の歌手へ、若い聴き手をつなぎたいと考えたのです。

ところが、加山雄三の「旅人よ」は難しい曲でした。
さだはそれまで加山の隣でハーモニーを歌っていたため、自分が主旋律を担うと歌いにくかったと振り返っています。
歌い慣れた曲のそばにいても、役割が変われば新しい課題が生まれる。
父に歌を認められた後も、すべてを楽に歌える人になったと本人が考えていたわけではありません。

2023年、同じ「精霊流し」を今の二人で

グレープ結成50周年を機に、さだと吉田は2022年に復活コンサートを行い、翌2023年に『グレープセンセーション』を発表しました。
新曲に加え、二人が若いころに歌った「精霊流し」「縁切寺」「無縁坂」も新たに録っています。

さだは取材で、二十代のころに何度も歌った「精霊流し」を、古稀になった二人がまた歌うことに触れました。
若いころより声が太くなり、ギターもうまくなった、と本人は表現しています。
一方、吉田は今の二人を、寝かせたワインになぞらえたそうです。

1974年の曲を2023年に歌うとき、二人の年齢だけでなく、録音の条件も、歌を待つ人も違います。
さだは『さだ丼』では曲に合う高さを選び、グレープでは年を重ねた二人の声をそのまま持ち寄りました。
昔の歌を若いころの形に閉じ込めず、現在の自分たちが歌える作品として続けているのです。

声の変遷は、音域が広がったか狭まったかだけでは分かりません。
父に認められるまで歌い続け、届け方を自分で選び、半世紀近く前の曲をもう一度歌う。
さだまさしの歩みには、書いた歌に歌い手が追いついた後も、歌そのものを更新してきた時間があります。
曲の中で日本語の抑揚や声の強さをどう選ぶかは、さだまさしの歌い方で詳しく見られます。

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