KANの歌声の変遷|「愛は勝つ」を歌い続け、一人の声を重ね、仲間と歌った

2020年のインタビューで話すKAN KAN
2020年のKAN。撮影:朝岡英輔/音楽ナタリー

2019年、KANは「愛は勝つ」を約30年間ライブで歌い続けてきたと話しました。
昔のヒット曲を久しぶりに取り出した感覚はなく、本人には「いつものように歌っている」曲でした。
けれど、その間にKANの声が担う仕事は増えています。
バンドの前で歌うだけでなく、ピアノと歌だけで公演をつくり、録音では自分の声を幾重にも重ねました。

2021年には、長く歌ってきた「愛は勝つ」を、仲間と完全なアカペラで披露しています。
同じ曲を手放さなかった歌手は、声をどんな場面で、どう使うようになったのでしょうか。

1990年、「愛は勝つ」をバンドと歌う

KANは1987年にデビューし、初期のコンサートは主にバンド編成で行っていました。
1990年に発表した「愛は勝つ」も、その活動のなかで生まれた曲です。
ステージで一、二曲だけピアノ弾き語りをすることはあっても、公演全体を一人で担うことはありませんでした。

「愛は勝つ」は大きなヒットとなり、その後もKANのライブから消えません。
2019年、共演する宮田和弥が昔の曲を年齢を重ねて歌う意味を語ったとき、KANは少し違う立場を明かしました。
自分はこの曲をずっと歌ってきたので、「今だから改めて」という感覚ではないというのです。
過去の自分と現在の自分を対立させずに歌い続けていたことが、後の試みにもつながります。

2019年の対談に臨むKAN
2019年のKAN。
Photo:Yuma Totsuka/Billboard JAPAN

2005年、ピアノと歌だけで公演をつくる

2002年からフランスに滞在した背景には、毎年アルバムを作ってツアーに出る生活から、一度離れたいという思いがありました。
KANは後年、その頃はCDを聴くことさえ楽しくなくなっていたと振り返っています。
パリでは語学を学んだ後、ピアノを学ぶ学校にも通いました。

そこで、自分の活動を見直す出来事がありました。
先生を待っていたとき、外国の友人から、日本でやっている音楽を聴かせてほしいと言われたのです。
少し演奏はしたものの、堂々と応じられない自分に気づきました。
日本では十五年ほどのプロ経験があるのに、ピアノ一台で自分の音楽を示すことに自信がない。
このままではいけないという思いが、帰国後の課題になりました。

2004年に帰国したKANが取り組もうとしたのは、一人で最初から最後まで演奏し、また来たいと思ってもらえる公演です。
そこで2005年に始めたのが「弾き語りばったり」でした。

バンド公演では演奏や舞台の仕掛けを使って楽しませる。
一方、弾き語りでは演出を外し、ピアノと歌だけで聴き手に納得してもらえるかを問う。
KANはこの二つを別の挑戦として続けました。
曲間の話はあっても、音楽を鳴らすのは自分一人。
前の曲から次の曲へ、声とピアノでコンサートを進めなければなりません。

本人によれば、弾き語りツアーの直前には約二週間、他の予定を入れず練習します。
ピアノだけでも、声だけでも足りず、両方の質を上げるためです。
一曲ごとの歌い分けを超えて、歌声はコンサートの最初から最後までを支える存在になりました。

準備する曲は多めに用意し、少しずつ絞って曲順を組み立てました。
一人だから直前まで考えられますが、いったん決めた構成はツアー中に変えません。
何度も歌う本人と違い、客席の人にとっては、その一回がすべてかもしれないからです。
いつ来ても同じ質の公演を届けるという考えが、独演の練習を支えていました。

2017年、同じ曲を別の編成で歌い直す

弾き語りを始めた後も、「愛は勝つ」はバンド公演で歌い続けました。
KANは2017年のセルフカバー作品『la RINASCENTE』について、初出から26年の間、バンドでも弾き語りでも少しずつ編曲を変え、フルオーケストラ版も作ったと説明しています。
そしてこの作品では、それらの中間を取るように、ピアノと弦楽四重奏で改めて録音しました。

KANがこの再録について詳しく説明したのは、声質よりも編曲の選択です。
1990年盤と2017年盤は編成も録音条件も違います。
バンドで歌い続け、独演に持ち込み、弦楽とともに録り直した歩みには、代表曲を一つの伴奏に固定せず、別の場で歌い直す選択が見えます。

2020年、歌う声を伴奏にも使う

2020年のアルバム『23歳』に収めた「ほっぺたにオリオン」では、KANの声は主旋律を歌うだけにとどまりません。
この曲を書いたのは2011年。
ビッグバンドで作った別の曲の楽しさをもう一度試したかったものの、同じ編成では小さくまとまりそうだと考え、しばらく寝かせていました。

その後に選んだのは、ドラムとベース以外の音を自分の歌声で重ねる方法です。
異なる高さの声を録音し、楽器の代わりに和音を組み立てていきます。
KANは、ジャズ風に和音が動くため、声の音程が少しでもずれると成立せず、ライブでは再現できないと話しています。

2005年の弾き語りでは、一人の歌声とピアノがその場の演奏を支えました。
「ほっぺたにオリオン」では、同じ人の声を録音で何度も重ね、一人では同時に出せない音まで曲にしました。
一曲のなかの掛け声やシャウトなど、KANが声に任せた細かな役目は、KANの歌い方の記事で扱っています。
ここで変わったのは、声を伴奏そのものにまで広げたことです。

2020年のインタビューで笑顔を見せるKAN
アルバム「23歳」について語るKAN(2020年)。
撮影:朝岡英輔/音楽ナタリー

2020〜2021年、二人が違う旋律を歌える高さを探す

別の人の声と組み合わせる試みでは、秦基博との「カサナルキセキ」があります。
KANの「キセキ」と秦の「カサナル」は、それぞれ一曲として発表され、重ねるともう一つの曲になるよう作られました。
同じ和音の流れとテンポの中で、二人が別の旋律を歌う企画です。

ただ、それぞれに良いメロディーを書けば、そのまま重ねられるわけではありませんでした。
KANは当初、秦の高音域も考えて、自分の曲より少し高めの調に設定したと話しています。
ところが、サビを作るうちに二人とも高さが難しくなり、調を下げることにしました。
今度はAメロが低くなりすぎるため、秦がそちらの旋律を作り直します。

旋律が決まってからも、ぶつかる音を避ける調整を重ねました。
歌詞も互いにやり取りし、一方の言葉をもう一方が追う箇所や、韻の響きをそろえる箇所を作っています。
自分の声を何層も録った「ほっぺたにオリオン」とは違い、ここでは相手の声と自分の声が一緒に生きるよう、歌う高さと旋律から考え直したのです。

2021年、「愛は勝つ」を九人の声で組み立てる

ピアノと歌だけの公演は、2021年の「弾き語りばったり #30」にも続きました。
2005年に始めた一人の舞台を、長く続けていたのです。

同じ年、KANは正反対にも見える形で「愛は勝つ」を歌います。
音楽イベント「風のハミング」の生配信で、スターダスト☆レビューの六人、馬場俊英、杉山清貴とともに、九人の完全なアカペラに挑んだのです。

KANは配信を見る人に一緒に歌ってもらえるよう、自分たちが声だけで伴奏を作る案を出しました。
曲を決めるとき、根本要が提案したのが「愛は勝つ」。
KANにとっては31年歌ってきた曲でしたが、完全なアカペラは初めてでした。
全員が曲を通して歌うため、通し練習のたびに高さがきついと感じ、準備にも時間がかかったと振り返っています。

特に転調のある曲を、楽器に頼らず九人で合わせるのは簡単ではありません。
根本は、次の調の音を頭に入れて歌う必要があると説明しました。
KANが長年覚えてきた主旋律を一人で押し出すだけでは、この演奏にはなりません。
各人が異なる音を受け持ち、全員で曲を進める。
1990年から同じ「愛は勝つ」を歌っていても、声に求められる仕事はここまで変わりました。

本番では冒頭にアカペラ版を披露した後、中盤でもう一度、視聴者が主旋律を歌うためのアカペラ伴奏を届けました。
舞台から歌うだけでなく、画面の向こうで歌ってもらう場所を、仲間の声と一緒に作ったのです。

KANの歌声の変遷は、若い頃の声と後年の声を優劣で比べる話ではありません。
バンドで歌い始めた曲を、ピアノと歌だけの公演に持ち込み、録音では声を重ねて伴奏まで作り、2021年には仲間の声と組み合わせた。
代表曲を歌い続けながら、一人の声の役割を変え、他の人の声と組み合わせる方法も探し続けたのです。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました