2024年、堀内孝雄は「ユズリハ」を一人で録音し直した。
もともとは2013年のアリスのアルバムに収めた曲で、堀内が歌い始め、途中から谷村新司の声が加わる。
新しい録音には、もう谷村の声はない。
堀内は歌い直すのがつらく、何度も泣いたと話している。
同じ2024年のシングルには、アリスを思わせる8ビートの新曲「青二才~わが友よ」も入った。
かつて堀内は、自分が変わるためにアリスを離れたいと谷村に伝えている。
それから40年以上を経て、アリスに近い曲をソロで歌い、アリスの曲を独唱した。
なぜ、そこへ戻ってきたのだろう。
谷村の詞を歌う十年に、別の言葉を求めた
堀内が歌い手として出発したアリスでは、堀内が作曲する曲に谷村が詞を書いた。
「遠くで汽笛を聞きながら」は1976年に発表された二人の仕事の一つだ。
谷村と堀内は、ともに歌う声でもアリスを形作った。
だが堀内は2024年の取材で、このまま二人だけで作り続けても、自分は歌い手として変わっていけないと当時考えたことを振り返っている。
以下の「遠くで汽笛を聞きながら」「愛しき日々」「竹とんぼ」の映像は、いずれも2022年に撮影された再演である。
1978年にはアリスの活動と並行して「君のひとみは10000ボルト」でソロのヒットも生んだ。
それでも、アリスの制作では谷村以外の詞を試したかった。
堀内はディレクターに外部の作詞家を迎えることを提案したが、二人で曲を作る形は変わらなかったという。
1981年、堀内は谷村に活動をやめたいと伝えた。
仲違いをしたからではない。
「このままでは歌い手として変わっていけない」と考え、別の作詞家の言葉に出会う道を選んだのだ。
アリスを離れた結果を、後から「フォークから演歌への転向」と片づけるのは、本人の話と合わない。
堀内は歌謡曲も以前から好きだった。
変えようと決めたのは特定の歌い方ではなく、自分に届く詞の相手だった。
小椋佳の詞が、別の人物を歌わせた
活動停止後、堀内は映画『小説吉田学校』の主題歌の仕事を通じて小椋佳と出会った。
1983年の「少年達よ」が二人の最初の仕事となり、1986年には時代劇『白虎隊』のために「愛しき日々」を作った。
堀内は、この頃から自分が変わっていくことを面白く感じたと振り返る。
ただ、出会った途端に新しい言葉を自在に歌へ変えられたわけではない。
2010年の取材では、小椋の詞には知らない言葉や独特の言い回しが多く、最初は作曲に苦労したと話している。
谷村には言えた詞の変更も、小椋には簡単に頼めなかった。
受け取った言葉を自分の得意な形へ直すのではなく、その形のまま音楽にする必要があった。
詞を先に受け取る作り方は、アリスの頃から同じだった。
ただ、そこに現れる人物は変わった。
「愛しき日々」の詞を読むと、主人公の姿や置かれた場面が堀内の中へ入ってきたという。
その人物に合わない旋律は、自然に候補から消えていった。
違う人生を語る詞を受け取り、その人が歌える曲を作った。
堀内は後に、演歌や歌謡曲への転向を自分で意識したことはないと話した。
詞の題材が違えばメロディの色も変わる。
本人にとっての変化は、アリス時代の谷村一人との制作から、作詞家ごとに異なる景色を受け取る仕事へ広がったことだった。

出典:USEN encore
荒木とよひさの詞が、ソロのもう一つの顔を作った
小椋佳に続いて、堀内は荒木とよひさとも組む。
「はぐれ刑事純情派」の主題歌を長く歌い、「恋唄綴り」や「竹とんぼ」などがソロの顔になった。
2024年の取材では、谷村からその仕事を歌謡曲だと言われたとき、堀内はむしろ好きで歌っていると答えた、と笑って振り返っている。
この仕事は、曲が次々に自然と生まれた時期でもなかった。
2022年の取材で堀内は、ドラマの次のシリーズが決まるたびに、新しい曲を求められる重圧があったと振り返る。
3年目にはもう曲がないと困り、麻生詩織に提供していた「恋唄綴り」を、自分でも歌うことになった。
ソロの代表曲の一つは、他の歌手へ渡した歌を引き受け直す中から生まれたのだ。
作詞家との向き合い方にも違いがあった。
堀内によれば、荒木は日常の会話のような言葉から詞を書き、付き合いが長くなると、求める旋律の感じも分かるようになったという。
小椋の言葉に苦労した経験と、荒木の言葉に親しんでいく経験。
どちらも、歌う人物の心情を受け取る入り口を増やしていた。
1998年発表の「竹とんぼ」も、荒木が詞を書いたドラマ主題歌の一つだ。
堀内は、谷村と作ってきた曲を消すのではなく、別の作詞家から届く言葉にも自分の旋律と歌を与えていた。
再び三人で歌うと、意識せず「アリス」になった
アリスは1981年の活動停止後も、何度か集まっている。
2013年には26年ぶりのオリジナルアルバム『ALICE XI』を発表した。
先に全国ツアーの話があり、多くの土地を回るのなら新しいアルバムも作ろうという流れだった。
久々に谷村の詞へ曲を付ける堀内には、楽しみと同時に、期待に応えられるかという不安もあった。
詞ごとに異なる曲想へ悩み、谷村から短調の箇所を長調に変えてみる助言をもらうこともあったという。
その取材で、聞き手は谷村と堀内の声がソロのときと違い、アリスの二人に聞こえると尋ねた。
堀内の答えは意外にも、特に意識していない、だった。
谷村は、二人で声を重ねるときには揺れ方を合わせるようにしていると説明する。
また、二人の歌声だけでアリスになるわけでもない。
三人で演奏や編曲を確かめ、矢沢透のドラムを含む音を作っていた。
堀内も、できたアルバムを聴いて自分のソロCDとは違うと感じたという。
アリスらしさは、二人の声とドラムを含め、三人で作る音の関係から生まれていた。
では、昔に戻ったのか。
堀内は26年の間にそれぞれの表現が大人になり、今は無理をせず自然にできたと語る。
若い日の勢いをそのまま再現しようとしたのではない。
三人でまた歌ったとき、変わった経験ごとアリスになったのである。
同じアルバムの「ユズリハ」では、堀内が歌い始め、途中から谷村も加わる。
生と死、次の世代へ手渡すことを扱う詞を、当時の堀内は三人のメッセージとして受け止めていた。
谷村も、重い内容を堀内のやさしい旋律なら聴き手が受け取れると考えた。
一方、谷村が強く歌ってほしいと望み、堀内がキーを上げて応えた曲もある。
その一曲ごとの声の選び方は、堀内孝雄の歌い方で詳しく見る。
同じ「ユズリハ」を、谷村のいない場所で歌い直した
2023年に谷村が亡くなり、翌2024年、堀内は「ユズリハ」をソロで録り直した。
2013年版は二人の声が途中から重なる。
2024年版では堀内が最後まで一人で歌う。
編曲も新しく、歌う相手がいなくなったことも録音の条件を大きく変えていた。
堀内は新録について、つらく、何度も泣いたと話した。
2013年に谷村が書いたとき、歌は残された時間や世代をつなぐことを考える、三人の現在形の曲だった。
2024年、堀内はその同じ詞を谷村への思いとともに受け止め直した。
かつて隣にいた声を思いながら一人で歌うことになった。
時間が変えたのは曲そのものだけではなく、歌う堀内と詞との距離だった。

出典:カラフル
もう一曲の「青二才~わが友よ」は、喪失のあとに沈む歌ではなかった。
堀内は石原信一に、同じ年代の人への応援歌を作ってほしいと頼んだと、別の2024年の取材で話している。
年齢を重ねて友との別れも経験する中、見た目の若さより、新鮮な気持ちを失わずにいることを歌いたかった。
石原信一の詞に堀内は谷村を思い、これをしんみりした曲にはしたくないと考えた。
仕上がった曲はアリスを思わせる8ビートで、編曲者もその音を意識しただろうと堀内は述べている。
だから「アリスの歌い方へ戻った」というより、谷村のいない今、別の作詞家から届いた友への言葉が、再びアリスに通じる歌を生んだのだ。
1981年、堀内は一人の作詞家の言葉だけを待っていては自分が変われないと感じた。
小椋佳や荒木とよひさの詞を歌い、再び谷村と声を重ね、最後にはその詞を一人で歌い直した。
歌の形は、共に歌う人と受け取る言葉によって変わってきた。
堀内の歩みは、アリスの声を捨てて別の声になった物語ではない。
歌える人物と相手を増やしたからこそ、アリスの曲も今の自分で歌い続けられるのである。







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