Ms.OOJAのカバーには、原曲の強い印象がある曲が多い。
「みずいろの雨」のような歌唱力を求められる曲も、「巡恋歌」のように男性が歌った曲もある。
それでも彼女が最初に確かめるのは、原曲にどこまで似せられるかではない。
自分の声で歌ったときに、その曲が成立するかだ。
何を残し、何を自分の表現にするのか。
本人が語った選曲と録音の判断を、オリジナル曲「Hidamari」とも並べて考えたい。
歌う前に一度、声に合うかを試す
2022年のインタビューでMs.OOJAは、カバー曲を選ぶ際には必ず一度自分で歌うと話している。
好きな曲であることだけでは決めず、自分の声に合うかを確かめ、周囲の意見も聞く。
選曲は歌う前の事務作業ではない。
原曲の雰囲気を受け取りながら、自分の声がどこに立てるかを見極める、歌い方の最初の判断である。
『流しのOOJA 2』では、カラオケで歌ってスマートフォンに録音し、スタッフや母親にも聴いてもらったという。
母親から歌い回しを示すボイスメモが届くこともあった。
自分が歌っていて楽しいだけでなく、録音された声が曲にどう合うかを、他の耳でも確かめる。
「自分らしく歌う」という言葉の前には、こうした具体的な試唱と確認がある。
『流しのOOJA 2』の「みずいろの雨」は、八神純子の歌を見てカバーできるか不安になり、本人にとって同作でも特に難しい一曲だった。
それでも大好きだから挑戦した。
合う曲だけを安全に選ぶという意味ではない。
自分の声に合うかを確かめたうえで、難しい曲にも飛び込む。
難しさを隠して「余裕で歌える」と見せるより、原曲の力を受け止める姿勢がここにある。

出典:SPICE
原曲の形を尊重し、声までコピーしない
Ms.OOJAはカバーでは、編曲を原曲から離しすぎないことが多いという。
一方、歌うときには原曲歌手の声を過度に意識せず、曲そのものと向き合う。
原曲に敬意を払うことと、その人の歌い方を再現することは別の作業だ。
アレンジを大きく変えなくても、誰がその言葉を歌うかによって、曲との距離は変わる。
この違いは、2024年の『流しのOOJA 3』が男性歌手の曲を集めたことでも分かりやすい。
「巡恋歌」では、男性歌手の歌を女性の自分が引き受ける。
『流しのOOJA 2』の「初恋」について、本人は男性曲にはキーを変えて違う表情を出せる楽しさがあると語っていた。
原曲の声色をそのまま移すのではなく、自分が語れる歌にするという課題は「巡恋歌」にも通じる。
原曲に近い編曲を選ぶときにも、Ms.OOJAはバンドのリズムのまとまりを大切にしている。
2022年の取材では、自分の音楽やライブは、歌だけでなくバンドのグルーヴを楽しみに来る人も多いと説明した。
声を前に出すだけでは、曲全体の魅力を十分に伝えられない。
聴く側も、声の高さや声量に加えて、言葉が伴奏の流れにどう乗るかを追うと、カバーの違いを捉えやすくなる。
その関係が思いがけず自分に合ったのが、全編打ち込みで作った「MIDNIGHT PRETENDERS」だった。
最初は難しく、自分に合うかも分からなかったが、歌ってみるとクラブで活動していた頃のJ-R&Bを思い出したという。
古い曲を再現するというより、自分の中にあった歌の感覚が呼び起こされたのだ。
本人が意外な相性を感じたというこの例は、曲の年代や原曲歌手の声だけでは、歌いやすさを判断できないことを示している。
曲の人物に近づいても、声の主語は自分に置く
「飾りじゃないのよ涙は」では、Ms.OOJAはそれまで歌ったことのない、強がりと色気を含む雰囲気に挑んだと話す。
原曲の印象が強いからこそ怖さもあったという。
「恋におちて」や「恋人よ」をライブで歌うと、歌詞の世界に入り込んで泣きそうになるとも話している。
同じカバーでも、必要とする人物像や感情の距離は違う。
ここで大切なのは、どの曲でも強く歌うことではない。
歌詞から場面を思い描き、その曲ではどんな声になるのかを歌いながら発見することだ。
本人は『流しのOOJA 2』について、曲ごとに自分が思いもしなかった声に出会うと話した。
声色を並べるためのカバーではなく、曲の人物へ近づいた結果として声の表情が変わる。
黒沢薫とのデュエットで見える、声の組み合わせ
一人で歌うカバーとは別の角度から、声の個性が見える曲もある。
黒沢薫の「愛とは duet with Ms.OOJA」について、彼女は黒沢の高い声と自分の中性的と言われる声が組み合わさる面白さを語っている。
録音時には、男女の声の印象が逆になったようだと話したこともあったという。
ここで彼女は、相手を立てるために自分の特徴を消したとは説明していない。
共演でも自分らしく歌うことを大事にし、別の声が入ることで、自分の歌の聞こえ方や歌い方が変わるのを楽しんでいる。
同じ声でも、隣にどんな声があるかで役割が変わる。
カバーで原曲と向き合うときも、デュエットで歌い手と向き合うときも、固定した声色を押し出すだけではないのである。

出典:SPICE
「Hidamari」では、自分の言葉として思いを届ける
オリジナル曲「Hidamari」は、原作の漫画を読んで生まれた、テレビアニメのエンディング主題歌だ。
Ms.OOJAは作品を読んで、大切な人が離れていても笑っていてほしいという思いを抱いたと、公式発表で説明している。
懐かしい原曲の人物像を受け取るカバーとは異なり、こちらは物語から得た思いを自分の歌として差し出す曲だ。
両者を分けるのは「カバーでは技術的、オリジナルでは感情的」という単純な線ではない。
本人はカバーもオリジナルも、一曲と向き合って「どう表現するか」を考える点では変わらないと語る。
カバーでは原曲の歌手を尊重しながら自分が語れる場所を探し、「Hidamari」では作品に向き合って自分の言葉の行き先を探す。
曲の出発点は違っても、歌う前に曲の中心をつかもうとする姿勢は共通している。
聴くときは、声量よりも選択を追う
Ms.OOJAの歌を「低く落ち着いた声」や「力強い声」だけで言い表すと、肝心な選択が見えにくくなる。
「みずいろの雨」では難しい原曲にどう自分の声で入るか。
「巡恋歌」では男性曲を自分の言葉としてどう語るか。
「Hidamari」では作品から受け取った思いをどう自分の歌として届けるか。
三曲の違いを見れば、一つの決まった声色を使い回しているわけではないと分かる。
本人が語るこうした選択が、時期をまたいでどう増えていったかは、Ms.OOJAの歌声の変遷で、初期の「Be…」から2026年の演歌への挑戦まで追っている。

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