BONNIE PINKを「A Perfect Sky」の明るい夏の歌から知った人が、初期の作品に戻ると驚くかもしれない。
本人にとっても、2006年のヒットは、それまで持っていた一面が大きく知られた出来事だった。
その後も歌は変わり続けている。
2023年、久しぶりのアルバム制作では、昔に書いた曲を今の声で歌えるだろうかという不安があった。
ところが、実際に歌うと、以前より声を扱いやすく感じたという。
休むこと、歌えない時期を乗り越えること、過去の曲へ戻ることを通して、BONNIE PINKはどんな歌を手にしてきたのだろうか。
1995年のMVを2025年に高画質化した映像。
初期の暗い歌にも、本人の大切な一面があった
1995年の『Blue Jam』でデビューし、「オレンジ」を発表したBONNIE PINK。
1996年の「do you crash?」を経て、1997年の『Heaven’s Kitchen』、1998年の『evil and flowers』ではトーレ・ヨハンソンと制作を重ねた。
赤い髪とともに知られた当時の作品は、後の夏のヒット曲とは異なる印象を持たれている。
1996年のMVを2025年に高画質化した映像。
本人は後年、初期には不安定な気持ちをそのまま詞にすることが多かったと振り返った。
やがて感情が落ち着くのを待ち、自分がどんな気持ちにたどり着いたのか、少し離れて書く方法が増えたという。
同じ悲しみを扱っていても、その渦中から歌うのか、振り返る立場から歌うのかで、曲の人物と歌い手の距離は変わる。
初期の暗さは、明るい曲を歌えるようになる前の未熟さとして片づけられるものではない。
1998年のMVを2025年に高画質化した映像。
ニューヨークで休み、『Let go』の声へ
注目されながら制作とステージを続けるうちに、普段の自分とBONNIE PINKとして振る舞う自分の距離が分からなくなった。
創作にも疲れ、1998年からニューヨークで過ごすことになる。
当初は3か月のつもりだった滞在が、約2年へ延びた。
そこで自分の好みや意見をはっきり伝える生活を経験し、本人は大きく解放されたと振り返っている。
この時期を経て生まれたのが、2000年の『Let go』だった。
ミッチェル・フルームと共同でプロデュースし、音をできるだけ削ぎ落とした。
休養後の声の伸びにも満足し、飾らない自分に近づけた作品として、本人は後年振り返っている。
前作の暗さを否定するのではなく、両作の違いを含めて自分の歩みとして見ていた。
『Let go』収録の「Sleeping Child」。
国外へ出たことは、活動する場所を選び直すきっかけにもなった。
洋楽を聴いて育った彼女は、日本語で歌う自分が、日本のファンへ伝えるべきことを海外生活の中で自覚したという。
帰国して日本を拠点にしながら、海外の音楽家とも作る道を続けた。
休養は制作を中断しただけの空白ではなく、どこで、どんな自分として歌いたいかを確かめる時間だった。
「A Perfect Sky」で知られた、もう一つの自分
2004年のバラード「Last Kiss」を経て、2006年には「A Perfect Sky」で広く知られるようになる。
「A Perfect Sky」は、日焼け止めのCMに合わせて作られた。
真冬の部屋を暖め、海辺の映像を見ながら夏の気分を思い描き、メロディーを繰り返し口ずさんだという。
まずCM用のサビを作り、後から一曲へ仕上げた。

画像:公式掲載元。
このヒットの後、周囲からもポップな曲を求められる機会が増えた。
本人はその面を大事にしようと思う一方、そこへ寄りすぎないよう、自分の核を問い続けたと話す。
元からあった好みの一つが認められたのだから、ヒット曲を歌う自分も、暗い作品を作った自分も切り捨てる必要はなかった。
「A Perfect Sky」は、後年の再出発でも彼女を励ました。
休養後、自分の音楽が今の時代に合うのか迷っていた頃、SNS上でこの曲を題材にした冗談や言葉遊びが広まっているのを知ったという。
長い時間が過ぎても、曲が人の記憶に残っている。
本人はそれを喜び、再び活動する力にしたと語っている。
広く知られた一面が、まだ聴かれていない曲を作る自分も支えたのだ。
歌えなかった経験から、以前とは違う歌を得る
2015年の取材では、声に関わる大きな経験も明かしている。
約10年前に「けいれん性発声障害」と診断され、歌おうとしても声を思うように制御できなくなったという。
その状態が半年から一年近く続き、リハビリをしながら、不自由なく歌えるようになるまで何年もかかったと話した。
途中には、もう歌えないのではないかと一人で悩む時間もあった。
それでも彼女が語った到達点は、以前とまったく同じ歌への復元ではなく、その時の自分の歌を得られたという実感だった。
待っているうちに、もう一度力が湧く瞬間が来る。
そんな希望を歌詞に繰り返し書くことにも、自身の経験が結びついていたという。
声を扱えるようになるまでの過程は、歌う言葉を信じる理由にもなったのである。
2023年、昔に書いた曲を今の声で完成させる
2012年の『Chasing Hope』から11年を経て、『Infinity』が発表された。
子育てに専念する時期に加え、長年のディレクターがレコード会社を離れたことや、制作体制を整え直す時間もあった。
ライブをまったくしていなかったわけではないが、アルバムへ向かう歩みはゆっくりしたものになった。
八橋義幸に古いデモと新しいデモを聴いてもらい、まだ発表できる曲があると励まされたことも制作を後押しした。
いろいろな時期の曲を一枚にまとめる迷いはあったが、強い共通テーマを無理に設けるより、自分自身を中心に据えると考えた。
一曲ずつ作り、録音を重ねてアルバムへまとめていったのである。

画像:公式掲載元。
「Waiting 4 U」は、その時間の長さが分かる例だ。
以前に西田修大へ編曲を依頼していた曲を、アルバム制作に際してもう一度相談した。
曲の大枠を保ちながら音色などを更新してもらい、2023年に歌を入れたという。
書いた時点の気持ちを、何年も後の声で完成させる作業になった。
古い曲を作った頃と同じように歌えるか、本人にも不安はあった。
しかし、録音に臨むと、むしろ今のほうが自分の声を制御しやすく、以前よりよく歌えるかもしれないと感じたと話している。
過去の歌を守ろうとする心配が、今の声を使ってみることで変わったのである。
これは本人の実感だが、長い制作間隔を、そのまま歌う力を失った時間と捉えられないことを示している。
新しく書いた曲では、構成への考え方も広がった。
「Like a Tattoo」では、どこがサビかをはっきりさせることにこだわりすぎず、心地よい流れを作ろうとしたという。
大きなサビへ向かって盛り上げる曲だけでなく、言葉とリズムが進む中に聴きどころを置く。
「A Perfect Sky」の成功した形を繰り返すことが、次の作品の条件にはならなかった。
アルバムの表題曲「Infinity」には、娘の自由な発想から受け取った力が込められた。
経験を重ねるうちに自分で設けた制限を外し、まだ試せることを考えるようになったという。
一度しまっていた曲にも歌う機会を与え、新しい曲も隣に置く。
その選択を支えたのは、昔の自分へ戻る願いだけでなく、これからの可能性へ目を向ける気持ちだった。
小編成の緊張と、昔の曲を歌い直す楽しさ
2024年には『Let go』をアルバムごと再現する公演を行った。
本人は作品に忠実でありたいと思うと同時に、発売当時より歌もギターもよくなっていたいと考え、力を入れたという。
かつて素の自分に近いと感じた作品も、そのまま保存する対象にはならなかった。
今の歌と演奏で、もう一度一枚の流れを作る課題になったのだ。
2025年の「Tiny Kitchen Tour」は、鈴木正人、小川翔と本人の三人編成だった。
音数が少なく声がよく聞こえるため、バンド公演より緊張も増したと話している。
その一方、二人が毎回少しずつ変える演奏を楽しみ、観客が見守る空気の中で、一曲ずつ丁寧に歌えたとも振り返った。
声を前面に出すプレッシャーと、共演者の演奏を頼りに歌える安心感が、同じ公演の中にあった。
同年9月の30周年公演では、新曲「Like Gravity」も初披露した。
公演前には、キーが高く、サビで大きく盛り上がるため歌うのが大変な曲だと本人が説明していた。
流れを大切にした「Like a Tattoo」とは別に、こうした大きな起伏のある新曲にも挑んでいる。
2025年のスタジオ音源。
映像作品にもなった30周年公演を取材した記者は、当日の「A Perfect Sky」の高音の伸びや、「Tonight, the Night」のファルセットを評価した。
昔の曲を現在の声で歌う姿は、本人の手応えだけでなく、その場にいた聴き手にも届いていた。
2025年9月21日、30周年公演「Grand Kitchen」での歌唱。
BONNIE PINKが長く歌ってきた中には、休んで自分を取り戻した時期も、声を取り戻すために待った時期もある。
古い曲へ戻るときも、求めるのは過去の自分の完全な再現だけではない。
今なら扱える声、今なら歌える人物の気持ちを加えながら、明るさも暗さも持つレパートリーを歌い続けている。
一曲の中で日本語と英語をどうリズムに乗せるのかは、BONNIE PINKの歌い方で掘り下げる。

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