adieu(上白石萌歌)の歌唱変遷|「ナラタージュ」から7年後の「よるのあと」まで

ライブステージに立つadieu・上白石萌歌 adieu(上白石萌歌)

2017年、「ナラタージュ」を歌うadieuの正体は伏せられていました。2019年には上白石萌歌であることを公表し、2026年には代表曲「よるのあと」を新しい解釈で歌い直しています。同じ人の声を追うとき、匿名から実名へ、俳優から歌手へ、という肩書きの変化だけを並べても歌唱の歩みは見えません。

大切なのは、自分の声をどう曲へ渡すかという判断が変わったことです。最初は一曲のために選ばれた声だった。次には、作家の異なる曲を自分の歌へ引き寄せるため、録音を重ねて試した。やがて、聴き手の解釈が育った曲を、今度は自分の感情を入れ込みすぎないよう歌い直した。本人と作り手の発言を軸に、作品ごとの選択をたどります。

2017年「ナラタージュ」――名前を伏せた声が、映画の物語を受け取る

映画『ナラタージュ』の同名主題歌でadieuは始まりました。楽曲を手がけたのは野田洋次郎。上白石萌歌は高校生で、当時は歌手の正体を公表していませんでした。後年の取材で、映画の制作側が彼女のCMでの歌声を聴いたことが依頼のきっかけだったと振り返っています。本人は、この一曲から長く音楽活動が続くとは予想していませんでした。

匿名だったことと、感情を持たずに歌ったことは同じではありません。2019年の取材で彼女は、俳優として別の人物に向かう芝居と、歌では自分の内側に戻る感覚を区別しています。ただ、この時点のadieuは活動全体の輪郭をまだ持っていません。映画の歌として託された声が、のちに別の作家の歌も引き受ける器になる。その出発点が「ナラタージュ」です。

2019年に正体を明かしたあと、同曲を『THE FIRST TAKE』でも披露しました。2017年のミュージックビデオと2019年の一発撮りは、録音とライブという条件が異なります。声質がどれほど変わったかを二本だけで断定するのではなく、匿名の映画主題歌を、名前を明かした歌手が人前で再び歌ったという文脈の違いを見るのが正確でしょう。

2020年のadieu・上白石萌歌
adieuとして活動する上白石萌歌。 出典:ソニーミュージックのプレスリリース

2019年「強がり」「よるのあと」――自分の名を明かし、別れの言葉を歌う

2019年、adieuが上白石萌歌であることを明かし、ミニアルバム『adieu 1』が出ました。「強がり」では誰かに向けた言葉を、声に出しきれない気持ちのまま置くような内省的な曲が示されます。本人も当時、人の寂しさや暗さに寄り添う歌を届けたいと話していました。匿名の企画で終わらず、自分の音楽としてどのような世界を作るかを考え始めた時期です。

同じアルバムの「よるのあと」は塩入冬湖が書いた曲です。後に二人が対談した際、塩入は歌詞のある言葉に祖母への願いも込めたと話し、上白石は、一つの文を聴き手がいくつもの角度から受け取ることに驚いています。歌い手が曲の意味を一つに固定しないからこそ、提供者の思いも聴き手の経験も、同じ歌の中で共存できます。

「よるのあと」には初期の公式ライブ映像も残っています。スタジオの完成音源と同一の演奏ではないため、後の再録との比較ではどの版かを区別します。ここでは、この曲がデビュー初期からライブで歌われ、後年まで本人にとって大切な持ち歌になったことを押さえておきたいところです。

2021年『adieu 2』――歌を受け取るだけでなく、解釈を録って探す

二枚目のミニアルバムを作るころ、adieuは、最初の作品では自分が何者か模索していたと振り返りました。『adieu 2』では、前作への反応を受け取り、別れのあとに何かが始まるような前向きさを加えたかったと説明しています。これは声質が急に変わったという証言ではなく、歌に向かう考え方が変わったという本人の言葉です。

古舘佑太郎が書いた「愛って」では、まっすぐな詞をそのまま一直線に歌うのでなく、違う角度からも歌いたいと作家と話し、さまざまな方法で録音したそうです。彼女は、歌ってから感情が変わることもあると述べています。歌う前に曲の意味をすべて決め、それを一度で声にするのではない。録音そのものを、解釈を見つける過程にしたのです。

塩入が書いた「シンクロナイズ」では、作家のデモの歌い方と自分の歌い方が対照的だと感じ、自宅の小さな録音スペースで何度もデモを録って流れを組み立てました。「よるのあと」に続く同じ作家との仕事でも、前の曲の歌い方を繰り返すわけではありません。別の声の方向から来た曲を、どこで自分の言葉にできるか探す作業でした。

この「言葉をどの距離で届けるか」という歌い方そのものは、別のadieuの歌い方で掘り下げます。変遷の上では、曲を提供される歌手から、提供された曲の解釈を自分で試し、選ぶ歌手へと歩みを進めたことが要点です。

2022年「景色 / 欄干」と初ツアー――情景を思い描く歌が、客席へ届く

『adieu 3』の「景色 / 欄干」について、adieuは、歌詞の意味だけでなく、夜明けの光が差すような情景を思い描いて歌ったと話しています。『adieu 2』で録音を重ねて探した表現は、曲ごとの景色をどう歌で伝えるかという問いにつながります。ここでも、聴く人が入り込める情景を残す考え方が見えます。以下は本人の公式ライブ映像です。

同年には初めてのツアーが行われました。ライブの取材では、デビューから五年を経て、自分が歌を届けているという実感を少しずつ得ている、と本人が語ったことが記録されています。2019年に名を明かして人前で歌ったことと、2022年に自分の歌が客席へ届いていると感じたことは、似ているようで違います。歌う側の存在証明から、聴く側と作品を共有する感覚へ、重心が移っています。

2024年のadieu・上白石萌歌のアーティスト写真
adieuのアーティスト写真。 出典:音楽ナタリー

2024年「泡吹」――言葉の転がりと、ライブで育つ曲

四枚目のミニアルバム『adieu 4』の「泡吹」は川谷絵音が書いた曲です。番組出演後の取材でadieuは、デモで聴いた音と実際の文字の意味が違って見える面白さや、擬音語が転がる楽しさを語りました。歌詞をただ意味のかたまりとして読むのではなく、声に出したときの言葉の表情にも目を向けています。

同曲は『THE FIRST TAKE』ではストリングスを迎えた別のアレンジで披露されました。同じ歌でも編成が変わると、歌が身を置く空間も変わります。ただし、その違いをすべて本人の声質の変化に帰してはなりません。ここで確かめられるのは、言葉の面白さを持つ曲が、録音・テレビ・一発撮りと異なる場所で歌われたことです。

2026年「元気?」と「よるのあと」新録――声を「自分の楽器」として引き受ける

『adieu 5』をめぐる取材で、彼女は、曲を書いていないから自分は歌っているだけだと思っていた時期の引け目を振り返り、今は歌う自分も楽器だと胸を張れると語りました。作家から受け取った歌にどう心を与えるかは、歌い手の裁量だと考えるようになったのです。これは歌唱力を数値で比べた成長談ではなく、歌い手としての主体性が明確になったという変化です。

柴田聡子が書いた「元気?」は、本人にとって難しい曲でした。詞の意味を一つに解き切ってから歌うのではなく、まず声を音として出し、その先でどういう気持ちになるかを大切にしたと話しています。2017年に一曲のため選ばれた声は、2026年には、まだ言葉にならない感覚を探す道具にもなっています。

同年のシングルには「よるのあと -another night in chamber-」が収録されました。ストリングス中心の新しい編成について、adieuは七年間歌ってきたなかで曲との向き合い方が変わり、今回は俯瞰した視点から、感情を入れ込みすぎず、削ぎ落とすように歌ったと説明しています。ここには同じ作品の歌唱解釈が時間を経て変わったという、本人の明確な証言があります。編曲の違いだけを歌声の違いと取り違える必要もありません。

新録版の歌唱全編を確認できる公式YouTube映像は、調査時点では確認できませんでした。初期の「よるのあと」の映像と、本人が語った新録での意図を分けて扱います。公開されていない音を聴いたかのような比較はしません。

「Wanna me」へ――曲の主人公と、自分の言葉を同時に置く

2026年の「Wanna me」はアニメ『本好きの下剋上 領主の養女』のエンディングテーマです。adieuは、作品の世界を手がかりにしつつ、曲の主人公をアニメの主人公と完全に一致させず、自分の日常に近い言葉も拾って歌ったと話しました。作家の柴田聡子の言葉が窮屈にならない軽やかなリズムも意識したそうです。

2017年の「ナラタージュ」で、彼女は映画の物語に招かれた匿名の声でした。2021年には、作家の異なる曲で何度も録音し、感情の置き方を探した。2026年には、聴き手のものになった「よるのあと」をあえて削ぎ落として歌い、「Wanna me」では作品の主人公と自分の視点を一つの声に置いています。大きく歌えるようになったから完成したのではありません。歌にどこまで自分を入れ、どこに余白を残すかを、自分で選べるようになったのです。

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