2015年の「あなたに恋をしてみました」を、chayは自分の歌い方が大きく変わった曲として振り返っています。
その理由は、ヒットしたからというだけではありません。
録音を重ねる中で、長く気にしていた滑舌について助言を受け、言葉の伝え方を見直すことができたのです。
十年後、同じ曲を歌い直したときには、当時の歌をそのまま再現しようとはしませんでした。
その間には、低めの声で駆け引きを演じる歌も、感情を込めすぎないようにしたカバーもあります。
明るいポップシンガーとして知られるchayが、曲ごとに違う表現を選ぶようになった過程をたどります。
「あなたに恋をしてみました」――2015年版
2012年のデビューから――きれいな言葉だけでは伝えきれなかった
chayは大学入学後に本格的な音楽活動を始め、歌とギターを練習し、路上や小さな会場で歌っていました。
2012年のデビュー曲が「はじめての気持ち」です。
ただ、その後の活動は思うようには進まず、本人によれば次のリリースまで一年ほど空いたといいます。
もっと自分の音楽を聴いてほしいと考え、共同生活を映す番組『テラスハウス』に応募しました。
番組に出始めたころは、素の自分に自信がなく、良く見せようとしていたそうです。
けれど、取り繕って話しても、同居する人にも視聴者にも気持ちが伝わらない。
その経験を経て、自分の弱さや恥ずかしい出来事も歌詞に書けるようになったと説明しています。
それまでは言葉をきれいに仕上げることへ意識が向き、本当に伝えたいことが表せていなかった、とも振り返りました。
このころに変わっていたのは、歌う内容と自分の経験との距離でした。
次の代表曲では、恋に不器用な人物を描くために、そんな自分の経験が役立っていきます。
2015年「あなたに恋をしてみました」――言葉と声を作り直した録音
ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』の主題歌を任されたとき、chayは台本の主人公と自分との共通点を探しました。
初デートでの気持ちや失敗を箇条書きにして、そこから歌詞に使うものを選んだそうです。
恋愛が得意な人の堂々とした告白ではなく、うまく振る舞えない人の気持ちを歌う曲でした。
制作を共にした多保孝一からは、滑舌を直す助言を受けました。
本人がスポーツの反復練習にたとえるほど、何度も録音したといいます。
気持ちを言葉にできても、それが歌として伝わるかは、もう一つの課題です。
chayがこの曲を歌い方の転機に挙げるのは、苦手だった発音を見直し、音作りへ向き合う姿勢も学んだからでした。
同時に、どんな音楽を歌いたいかも見えてきます。
この曲では1960年代を思わせるレトロな音楽という主題を受け、当時の曲を聴いて制作しました。
chayは、その音楽を自分が歌うことで、若い世代にも新鮮に伝えられるのではないかと考えるようになったそうです。
初アルバム『ハートクチュール』では、以前のストックをいったん見直し、モータウンやフレンチポップなどへ広げた曲を作りました。

同作の五曲目はデビュー曲「はじめての気持ち」、六曲目は最後に録音した「Singin’ In The Rain」です。
chayはこの並びを聴いて、声も歌い方も別人のように違うと感じたと語っています。
「Singin’ In The Rain」は、前から歌いたかった曲調で、自分の声にも合うと感じた曲でした。
発音の課題に取り組むことと、声を生かせる曲に出会うことが重なった変化を、一枚の中に残したのです。
2017年――同じ曲を、違う場面へ届ける
2017年の『chayTEA』には、「あなたに恋をしてみました(Wedding ver.)」が収められました。
結婚式で使われていた代表曲を、明るく弾む原曲から、式の場面に合うバラードへ作り直した版です。
身近な人の結婚が増えていた時期で、アルバムには結果として三曲のウエディングソングが入りました。
恋愛への見方の変化が、作品にも表れていたといいます。
「あなたに恋をしてみました」――『chayTEA』(2017年)Wedding ver.
アルバム全体を一つの雰囲気にそろえるべきか、初めは考えていたそうです。
けれど歌いたい曲を録音していくうちに、自分が歌えば自分の歌になるという感覚を持てました。
少しの不ぞろいを気にするより、幅のある曲へ挑むことも自分らしさだと思えるようになったのです。
代表曲を別の形で歌う試みは、そうしたアルバムの最後に置かれています。
2018年――Crystal Kayと、明るい恋とは違う人物を歌う
2018年の「あなたの知らない私たち」では、女性二人の駆け引きを描くドラマに合わせて、声の表情も変えました。
ドラマ側から誰かと歌う提案があり、以前から憧れていたCrystal Kayへ依頼した共演曲です。
新しいことに挑みたい時期だったchayにとって、自分の作品で掛け合いを作る機会になりました。
普段のハッピーな曲では、高めのキーで声を張ることが多かったそうです。
この曲ではキーを低めにし、息を多く含ませ、語尾をけだるくしました。
それは単に声を落ち着かせるためでなく、明るい恋の歌にはなかった、妖艶さを出すための選択でした。
歌う箇所の分担は、アレンジャーの武部聡志も交えた三人で相談しています。
Crystal Kayはchayの歌について、言葉が明瞭で、表情もついていると話しました。
その歌を受けて、自分も歌詞を伝えることを意識したそうです。
2015年に取り組んだ言葉の明瞭さは、ここでは共演者にも届く個性になっています。
語尾に含みを残す歌い方でも、言葉を伝えることは二人の共通する課題でした。
一人で歌う曲が中心だったchayにとって、相手の表現も受け取りながら作る経験でした。

2019年「最後の春休み」――物語のために、歌い上げるのを控える
翌2019年のシングル「大切な色彩」は、春を主題にした一枚でした。
表題曲と「With」に加え、松任谷由実の「最後の春休み」をカバーしています。
chayは幼いころ、初めて行ったコンサートが松任谷の公演で、歌だけでなく衣装や演出まで楽しませる姿に影響を受けたと話しました。
その憧れの歌を自分で歌うときには、普段の方法を変える必要を感じたそうです。
一曲の中に物語があるため、いつものように情感を込めて歌い上げると、出来事そのものが耳に入りにくくなる。
そこで「最後の春休み」では、感情移入と抑揚をあえて控えました。
chay自身、初めての経験だったと振り返っています。
同じシングルの表題曲まで、すべて抑えて歌う方針に変えたわけではありません。
カバーでは、聴く人が自分の思いを重ねられるよう、歌い手が感情を決めすぎない方法を選んだのです。
声の表情を増やした2018年に続き、今度は表情を引く選択も加わりました。
強く歌えるかだけでなく、どこまで歌い手が気持ちを示すかを考える変化です。
2020年『Heart Box』――長く歌った曲にも、今の意味を持たせる
2020年のベスト盤『Heart Box』は、最初から収録曲が決まっていたわけではありません。
シングル集やファンのリクエストで選ぶ案もありましたが、コロナ禍で聴く人を少しでも元気にしたいと、恋心や愛情、温かさを軸に選び直しました。
過去の曲を並べる基準も、その年のchayの思いから決めています。
一曲目の「Together」は、デビュー前の路上ライブから歌ってきた曲でした。
ライブを通じてファンとの結びつきを感じる大切な曲だったため、長く音源化せずにいたといいます。
最初は真っすぐなラブソングとして作ったものが、歌い続けるうちに、これからもファンとつながっていたいという気持ちを込める曲になりました。
2020年の録音には、デビュー前から縁のある演奏者も参加しています。
MVには昔の路上の姿も使われましたが、歌はこのベスト盤のために録音したものです。
古い曲を初めてスタジオ音源として残す際に、長年歌ってきた間に変わった意味も込めています。
2016年の「それでしあわせ」も、新しい版を作った曲です。
幸せは人それぞれでよいという思いを込めた歌を、編成から見直しました。
「それでしあわせ」――2016年版
2020年版では、ピアノと歌だけにしています。
歌詞を際立たせたかったからだと、chayは説明しました。
聴く人が、自分にとっての幸せを思い浮かべられるように。
その意図を、伴奏をシンプルにする選択にも反映したのです。
「それでしあわせ」――2020年・Piano Ver.
2025年――代表曲を聴いて育った人たちと、もう一度歌う
「あなたに恋をしてみました」の制作時、スタッフとは十年先まで聴かれる曲にしようと話していたそうです。
ただ、当時のchayには、そこまで先のことは実感が湧きませんでした。
実際に十周年を迎えた2025年、聴き続けてくれた人へ感謝を伝えるため、東京音楽大学の学生たちと新たな版を作ります。
ここではオーケストラの編曲や演奏を学生たちに託しました。
chayは、若いころの再現より、十年を経た自分として歌うことを意識したと話しています。
歌い方も、衣装や映像も含めて、現在の自分が表す恋の歌にしたのです。
2015年版、2017年のWedding版、2025年版では、同じ旋律をどんな場面へ届けるかが変わっています。
「あなたに恋をしてみました」――2025年・東京音楽大学との共演版
共演した学生からは、小学生のころに聴いていたという声もあったそうです。
自分が夢を抱いて歌っていた曲を、そのころの聴き手が成長して演奏している。
その姿はchay自身が再び頑張ろうと思う力にもなりました。
初期には、伝えたい言葉を自分の中から取り出し、はっきり歌へ乗せることに取り組んだ。
その後は、相手の歌を受けて表情を変えたり、物語のために歌い上げるのを控えたりしてきました。
十年後の代表曲には、そうして選べる方法を増やした歌い手と、同じ曲を聴き続けた人たちの時間が重なっています。
曲の中での息や語尾、抑揚の選択は、chayの歌い方で詳しく整理しています。

こちらの記事もおすすめ






コメント