大野雄大の歌声はどう変わった?アカペラ・声が出ない時期・ソロ現在まで

大野雄大の歌声の変遷 シンガー

大野雄大さんの歌声の変遷は、高音域が年々広がったという単純な物語ではありません。
アカペラで声を重ねることから始まり、Da-iCEでは歌いながら踊る身体を作り、途中には何をしても声が出ない時期がありました。

ステージが怖くなった時に支えたのは、もう一人のボーカルと三人のメンバーです。
そこから「歌いたくて仕方ない」と言える状態へ戻り、30歳でソロを始めたことで、少年時代から好きだった王道バラードも自分の歌へ取り戻しました。

現在の太く温かい声は、最初から完成していた才能がそのまま残ったものではありません。
声を失う怖さ、二人で補う経験、一人で一曲を背負う責任を通って、使い方が変わってきた声です。

Da-iCEの前は、アカペラと仕事場が歌の学校だった

大野さんはDa-iCE結成前、アカペラグループのリーダー兼リードボーカルとして活動していました。
中学生の頃から1980年代、1990年代の王道バラードを好み、カラオケでも男女デュエットや長い旋律を持つ曲を歌っていました。

その後、海外のR&Bへ興味を広げますが、出発点にあったのは機械的なダンス音楽ではありません。
言葉と和音を声だけで届け、誰かと重なることで一曲を成立させる経験です。

音楽だけで生活できたわけでもありませんでした。
塗装の仕事を十年ほど続け、メジャーデビュー後もしばらく現場へ出ることがあったと振り返っています。

歌手になる前の時間は、華やかな下積みではありません。
働きながら歌い、人から教わるだけでなく現場を見て覚える姿勢を身につけた時期でした。

2011年、歌う人がダンスを始めた

2011年にDa-iCEが結成されると、大野さんの声には新しい条件が加わります。
アカペラで立って歌うだけでなく、パフォーマーと同じ舞台で踊りながら、花村想太さんと旋律を受け渡す必要が生まれました。

本人は後に、人生の大きな転機としてDa-iCEへの加入と、ボーカル専攻だった自分がダンスを始めたことを挙げています。
結成直後は渋谷の小さな会場を中心に、年間百本を超えるライブを重ねました。

2014年の「SHOUT IT OUT」でメジャーデビューします。
現在のように大ヒット曲を持つ前から、二人のボーカルが動きの中で別々の声を保つ形は作られていました。

アカペラ時代は和音の中で自分の位置を守る歌でした。
Da-iCEではさらに、激しい動きの後でも音の中心へ戻り、次の歌い手へ正確に渡す声へ変わっていきます。

アカペラから歌って踊るボーカルへ進んだ大野雄大

2015年頃、声帯結節で何をしても声が出なくなった

順調にライブを重ねていたように見える途中で、大野さんは声が出ない時期を経験しました。
2020年のインタビューで「5年前」と振り返っているため、2015年頃のことになります。

低い曲なら大丈夫かもしれないと、喉の状態を確かめながら慎重に歌っていました。
別の本人インタビューでは、この時期に声帯結節ができ、声が伸びず、裏声も出ない状態だったことが明かされています。

明らかにされているのは、ステージに立つことが怖くなり、ファンへ心配をかけることも申し訳なく感じていたことです。
歌えるかどうかを毎回試す状態では、得意だったはずの声が、最も信用できないものへ変わります。

その時、花村さんは大野さんのパートをカバーしました。
ほかのメンバーも舞台上で「大丈夫」と伝えるように視線を送り、五人で曲を止めずに支えます。

苦しい状態で録音した「着れないままのコート」は、後の歌い方を変える曲になりました。
それまでの大野さんは、必要以上に強く太い声を作り、自分とは違う歌手を演じようとしていたと振り返っています。

思うように声が使えない録音で選べたのは、さらに力を加えることではありませんでした。
歌の中へ入り、いつも以上に感情を乗せることへ集中した結果、自分の声の特徴がハスキーさなのだと初めて認識します。

声帯結節は単に歌えない空白を作っただけではありません。
借り物の太さを追う歌から、その時に残っている自分の声で言葉を届ける歌へ変わる転機にもなりました。

Da-iCEのツインボーカルは、声色を対比させる仕組みであるだけではありませんでした。
片方が歌えない時、もう片方が曲を引き受けられる関係が、大野さんをステージへつなぎ止めたのです。

声が戻った後、二人の違いを隠さなくなった

大野さんはその後、「歌いたくて仕方ない」「自分はいま無双モードにいる」と話せる状態まで戻りました。
仕事の後にカラオケへ駆け込み、三十曲ほど歌ったこともあると笑っています。

回復の過程で、二人を同じ声へそろえる方向には進みませんでした。
大野さんはハスキーで丸く包む声、花村さんは鋭く刺す声という違いを、曲の弱点ではなく強みとして使うようになります。

2017年には日本武道館公演へ到達し、2019年には初のベストアルバムと大規模ツアーを迎えます。
少ない客の前で年間百本を歌った声が、大きな会場でも二人の違いを保てる声へ育った時期です。

2019年、30歳で少年時代のバラードへ戻った

2019年、大野さんは「大野雄大(from Da-iCE)」名義でソロデビューしました。
初のソロアルバム『この道の先に』は、Da-iCEのEDMやR&Bを基調にした速い曲とは異なり、情感のあるバラードが中心です。

これはグループでできないことを否定する独立ではありませんでした。
中学生の頃から好きだった歌謡曲や王道バラード、自分が音楽に助けられた経験を、一人の声で最後まで届ける場所を作ったのです。

ツインボーカルでは、数小節を歌うと別の声が受け取ってくれます。
ソロでは、曲の最初から最後まで感情の濃さを自分で設計し、言葉の意味も自分の人生へ引きつけなければなりません。

大野さんは、同年代の友人が家庭や仕事を築く姿を見て、自分の道へ不安を感じたことをタイトル曲へ込めました。
高音を競うより、迷っている人へ言葉を手渡す歌手という側面が、この作品で初めてまとまった形になります。

2020〜2021年、「DREAMIN' ON」と「CITRUS」で声が全国へ届いた

2020年、Da-iCEは「DREAMIN' ON」を発表しました。
仕事が思うようにできない時期に、前へ進む言葉と激しいダンスを五人で届けた曲です。

同じ年に発表された「CITRUS」は、翌2021年にストリーミング一億回を超え、日本レコード大賞を受賞しました。
結成十年を経て、ツインボーカルの違いが最も広く知られる転機になります。

花村さんの鋭い高音が曲の緊張を切り開き、大野さんの太い声が旋律を広げます。
声が出ない時期に一方がもう一方を補った関係が、今度は二つの声が必要な作品として多くの人へ届きました。

2021年には国歌独唱も経験します。
グループの音響やもう一人のボーカルに頼らず、一人で音程と言葉を保つ場は、アカペラとソロで育てた正確さを別の形で試す機会になりました。

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2022年、高い曲を歌い続けた結果「気持ちいい高さ」が変わった

2022年の「スターマイン」では、冒頭のがなり、細かなリズム、しゃくりを組み合わせ、これまでの包み込むバラードとは違う顔を見せました。

制作段階ではキーが引き上げられ、二人は以前より高い位置を気持ちよく使えるようになったと説明しています。
高い曲を継続して歌う中で、発声の仕方が変わり、以前の得意な高さと現在の得意な高さが同じではなくなったのです。

ただし、変化は最高音だけではありません。
大野さんは、高音側が安定する時には低い側の感覚も連動し、声全体の使い方が水平に近づくような感覚だと語っています。

同年にはソロ作品『A Singer』とBillboard Liveの公演も行いました。
Da-iCEでは速く高い曲へ適応しながら、ソロではバラード、カバー、近い距離の会場で言葉を届けるという二つの声を並行して育てます。

2025年、ソロは余暇ではなくもう一つの本業になった

2025年の『A Singer II』には、新しいオリジナル曲とカバー曲に加え、前年のBillboard Live公演映像が収録されました。
同年は通常のBillboard Liveだけでなく、オーケストラとの特別公演やディナーショーにも活動を広げています。

大きなダンス曲の中で数秒ごとに声を受け渡すDa-iCEと、静かな編成で一曲を背負うソロでは、求められる集中の仕方が異なります。
一方を選んで片方を捨てるのではなく、両方を往復することが現在の大野さんの歌を作っています。

ソロ作品とオーケストラ公演へ歌の幅を広げた大野雄大

公式プロフィールでは、現在もDa-iCEのボーカル兼パフォーマーでありながら、シンガーとしてソロ活動を続ける人物と紹介されています。
アカペラ、ダンスボーカル、国歌、バラード、オーケストラが、別々の寄り道ではなく一人の声の中へ集まりました。

変わったのは声の高さより、声を預けられる場所だった

大野雄大さんは、アカペラで誰かと声を重ねることから始まりました。
Da-iCEでは踊りながら花村想太さんへ声を渡し、声が出なくなった時には、反対に自分のパートを仲間へ預けました。

声帯結節を経験した後、歌いたくて仕方ない状態へ戻り、30歳でソロを始めます。
少年時代に好きだったバラードを、自分一人の責任で最後まで届けるようになりました。

「CITRUS」と「スターマイン」では高い曲へ適応し、ソロでは言葉の長い余韻を深めています。
現在の声は、グループかソロかを選んだ結果ではなく、預ける歌と背負う歌を往復した結果です。

太く温かい高音、花村さんとの声の役割、ハスキーさを無理にまねしない方がよい理由は、大野雄大さんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

花村想太さんの歌声の変遷と並べると、同じグループの十五年でも、一人は得意な高音を舞台で作り直し、もう一人は声を失う怖さから歌を取り戻したという違いが見えてきます。

大野さんの変遷を一言で表すなら、声が強くなった歴史ではありません。
歌えない時には仲間を信じ、歌える時には自分の丸い声で仲間を包み、一人の舞台では曲のすべてを引き受けられるようになった歴史です。

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