大澤誉志幸の歌唱変遷|「そして僕は途方に暮れる」を何度も歌い直した理由

2003年のライブで歌う大澤誉志幸 シンガー

「そして僕は途方に暮れる」には、1984年の原曲のほか、1992年版、2008年の25周年版、映画のための「2023 movie version」がある。
同じ歌を繰り返し録るたびに、大澤誉志幸が向き合う相手や作品は変わった。
ソロの声を探していた時期、長年の仲間と歌を持ち寄った時期、そして映画の結末を託された時期。
代表曲を歌い続けることは、過去の自分を保存する作業だけではなかった。

大澤自身、泥臭いリズム&ブルースを愛していた一方で、感情を抑えた歌い方も自分の声に合うと、作品をつくりながら気づいたという。
声を張ることと、引いて歌うこと。
その両方を持つ歌手が、長い年月の中で一曲をどう扱い直してきたのかを追う。

「そして僕は途方に暮れる(25th ver.)」(2008年)。

1984年、思い描いていた自分とは違う声の使い方

クラウディ・スカイの歌手として活動した大澤は、バンド解散後、他の歌手へ曲を書きながらソロ作品を準備していた。
作家として名前が知られるようになっても、自分のアルバムをつくりたいという気持ちは強かったという。
1983年にソロデビューし、翌1984年9月21日に「そして僕は途方に暮れる」を発表した。

ただ、ソロの作品がまとっていたクールなイメージは、それまでの自分とすぐに重なるものではなかった。
ロックバンドで歌い、泥臭いR&Bを好んでいた本人には、尖った側面と冷静な側面の間で戸惑いがあった。
それでも録音を形にしていくうち、抑えた感情やクールな詞を歌うことにも、自分の声の居場所があると分かってきた。
好きな音楽だけを押し出していたら見つからなかった面が、作品によって引き出されたのである。

その声が広く届いたことで、別の難しさも生まれた。
後年の回想では、ヒット後は忙しくなり、日常のささやかな行動までイメージを理由に止められることがあったという。
楽曲からつくられた歌手像と、自分自身が離れていく感覚だった。
自分に合う歌い方を発見することと、その曲のイメージだけで見られることは、同じではなかった。

2003年のライブで歌う大澤誉志幸
2003年のLive EPIC 25で歌う大澤誉志幸。
写真出典:音楽ナタリーのLive EPIC 25特集

抑えた声の中にも、動かせるものがあった

1995年、小室哲哉との対談で、大澤は「そして僕は途方に暮れる」を歌うときの内側を説明している。
一つの音を出してから次の音へ移る途中に、抑揚をつけ、揺らす感覚があるという。
ベースの音を聴きながら自分の声を動かし、その時間の流れや曲のドラマに入り込む。
小室がポップな旋律の中に感じたR&Bの気配を、大澤はそうした歌う感覚として言葉にした。

同じ対談では、曲によって声の上側、下側の響きを選び、マイクとの関係も考えていたと話している。
一方、初期のアルバムでは、正確に進むデジタルな伴奏へ声を合わせ、細かな音符に日本語を詰めることにも挑んでいた。
音程を動かす部分と、言葉をきちんと入れる部分。
本人の説明からは、静かに歌う中にも、声と伴奏の関係を細かく選ぶ意識が見えてくる。

その間、代表曲には新しい録音も加わった。
1992年の「naive version」は、後の『I.D Y BEST COLLECTION』にも収められている。
さらに2008年には、ソロ25周年の「25th ver.」を発表した。
同じ曲名でも、別の時期に残した作品として、原曲と並べて聴けるようになっていった。

2013年、今の自分に心地よいテンポで歌う

2013年の本人取材では、若いころは速いロックも平気だったが、今は心臓の拍動に近いテンポが心地よいと語っている。
これは特定の再録版を何拍遅くした、という説明ではない。
歌うときに自分が気持ちよくいられる速度を、以前とは違う感覚で選んでいるという話だ。

同じ取材で話したのは、これからの人生をどう楽しく過ごすかということだった。
年を重ねてつらい経験が増えても、新しい作品をつくりたいという思いは変わらない。
悲しい歌を抱えたままでも、歌い手自身は、そこから先の暮らし方を考えられる。
ヒット当時の歌手像に追われた時期を振り返る言葉と、今のテンポへの実感が、一つの取材の中に並んでいる。

「そして僕は途方に暮れる」『おんがく白書』収録映像(2012年公開)。

このころ山下久美子と組んだ『& Friends』も、昔の曲へ戻る方法を広げた。
きっかけは、前年の大澤のライブに山下を招いたことだった。
かつて提供した曲を一緒に演奏すると、曲のよさだけでなく、今の山下の歌にも手応えがあったという。
その流れで、二人の作品として録音することになった。

ここで初めて録られたのが、「そして僕は途方に暮れる」の続編として1980年代に書かれ、長く眠っていた「蕾」だった。
約25年前につくった曲を、山下のコーラスを迎えて歌う。
大澤は懐かしさと新しさの両方がある仕上がりを面白がっている。
代表曲そのものを録り直すだけでなく、当時から残っていた別の歌に、今の人間関係の中で声を与えたのである。

「蕾」(2013年『& Friends』収録)。

2013年4月19日の大阪公演では、二人のアルバムの曲だけでなく、それぞれの代表曲も歌った。
当日の記者は「そして僕は途方に暮れる」を原曲に忠実な歌唱として取り上げ、その直後のアイズレー・ブラザーズのカバー「This Old Heart of Mine」では、シャウトする大澤の姿を伝えている。
原曲の形を大切にする歌と、ソウルの熱を前へ出す歌を、一晩の中で並べていた。
初期に戸惑ったクールな面と泥臭い面は、どちらかを消す必要のない、二つの表情になっていた。

2013年の取材時の大澤誉志幸
2013年の取材時の大澤誉志幸。
写真出典:萩庭桂太の本人取材

悲しさにとどまらず、新しい歌を届ける

2017年に本人が語った制作のテーマは、温かさや癒やし、幸せを感じられる作品をつくることだった。
父を亡くした経験にも触れ、悲しみのほうへ気持ちを持っていかれても、そこに居続けるだけではなく、音楽を助けにしたいと話している。
悲しい歌をやめるという意味ではない。
歌う人も聴く人も、その感情の先へ進めるような作品を考えていた。

2021年9月19日、ビルボードライブ横浜で開いた40周年公演にも、過去の曲を今の舞台へ置き直す姿勢が見える。
中森明菜へ提供した「1/2の神話」はジャズの編曲で披露され、取材した記者は、終わりのスキャットまで引きつけられたと記した。
作家として他の歌手へ渡した曲を、自分の声とバンドの演奏で歌い直す場面だった。

続く「そして僕は途方に暮れる」の後には、「GET DOWN」などのファンク曲を並べた。
声で聴かせる場面から、バンドと客席を動かす場面へと公演を進めている。
最後に選んだのは、当時まだ発表していなかった新曲「祈り」だった。
記者が語りかけるような曲と捉えたバラードで、記念公演を締めくくったのである。

代表曲で昔を思い出してもらうだけで、一晩を終えなかった。
自分がつくってきた曲を振り返りながら、最後にはまだ発表していない歌を差し出す。
この曲順にも、過去のヒット曲と新しい創作を同時に持ち続ける大澤の姿が表れている。

2021年の40周年ライブで歌う大澤誉志幸
2021年の40周年公演で歌う大澤誉志幸。
写真出典:OTOTOYの40周年ライブ取材

映画の終わりに、もう一度本人の声を置く

「2023 movie version」では、別のつくり手からの依頼が再録の出発点になった。
三浦大輔監督は、同名の舞台では使えなかったこの歌を、映画のエンディングに置き、大澤本人に歌ってほしかったと話している。
監督によれば、大澤は依頼を快諾し、新しい編曲で歌うことにも賛同したという。

映画音楽を担当した内橋和久が編曲し、大澤が新たに歌った音源は、2022年12月16日に配信された。
版名は「2023」だが、映画の公開が2023年1月13日で、配信はその前年である。
既存のヒット音源をそのまま流す代わりに、映画の世界から続けて聴ける形へ組み直した録音だった。

「そして僕は途方に暮れる 2023 movie version」(2022年12月配信)。

三浦監督は、曲の歌詞から映画の物語をつくったわけではないとも説明している。
人間関係を断ち、一人になった主人公の姿を考えたとき、この曲名が浮かんだ。
歌詞ですべての出来事を説明するのではなく、映画が終わった後、その人物がどう生きていくかを思う余白へ歌を置いたのである。

1984年には、自分の声に合う新しい表現を見つけた一曲だった。
年月を経ると、原曲の形を大切に歌う場面も、続編を仲間と録る機会も生まれ、さらに他者の物語を閉じる役目も担った。
大澤が歌い続けているのは、ヒット当時の歌手像だけではない。
そのつど一曲を置く場所を選び直すから、「そして僕は途方に暮れる」は、今の声で歌う作品として残っている。

音程の間を揺らす感覚や、曲による声の強弱の選び方は、大澤誉志幸の歌い方で詳しく扱う。

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