2018年、菅原卓郎はソロアルバム『今夜だけ俺を』で、ギターを弾かず、歌う役に集中した。
曲を作るのは9mm Parabellum Bulletの滝善充、詞を書くのは初期のプロデューサーだったいしわたり淳治。
本人は、曲のコードも分からないくらい任せていたと笑っている。
激しいバンドのフロントマンが、二人の作家に曲を託す歌謡曲の歌手になったのだ。
ただし、歌謡曲らしさはそのとき突然身についたものではない。
菅原自身は後年、9mmにその要素が感じられる理由は、自分の声や歌い方かもしれないと話している。
初期に言葉の人物を作り、聴き手へ堂々と歌うことを覚え、身近な相手に伝える言葉へ進む。
ソロへ至る道筋と、その後にバンドで選んだ声の置き方をたどってみたい。
2007〜08年:激しい演奏と、人に伝わる歌を両立させる
9mmのメジャーデビュー盤『Discommunication e.p.』(2007年)から『VAMPIRE』(2008年)まで、いしわたりは制作に関わった。
彼が面白いと感じたのは、ハードな演奏と、人懐っこい歌謡曲の旋律が一緒に鳴るところだったという。
歌を聞かせるために、バンドの動きを単純にするつもりはなかった。
「Discommunication」には当初、今より簡単なBメロの案もあった。
複雑にすると歌が聞こえなくなると考えたバンドに対し、いしわたりは、その難しい部分をギターで弾きながら歌う姿こそ格好いいと勧めたという。
演奏を整えてから歌を乗せるだけでなく、激しく動く四人の中で旋律を通す。
その両立を目指すことが、初期から菅原の仕事になった。
一方、歌詞作りは手探りだった。
いしわたりの家へ通い、残す一行を決めて、その前後を時間を区切って書き合う。
菅原は後年、その頃には自分が書きたいものを歌詞にする方法が分からなかったと振り返っている。
『VAMPIRE』の「Vampiregirl」でも、最初は今ほど語る曲ではなく、文章を作って削り、語りを入れる作業を重ねた。
これは強い声を出すことだけでは解けない課題だった。
誰が、どこにいて、何を言うのか。
歌の中の人物を一行ずつ成立させる経験が、後にキザな言葉も自分の声で引き受ける土台になっていく。

写真出典:日本コロムビアの本人対談
2009〜10年:「Black Market Blues」で、格好つけて歌うことをためらわなくなった
2009年の「Black Market Blues」は、いしわたりが制作に参加せず、バンドだけで作った曲だ。
それでも菅原の中には、教わった言葉の考え方が残っていた。
強い一語を突然置くのでなく、そこへ届く筋道を作る。
本人は、内側にいる小さないしわたりへ相談するように書いたと振り返っている。
その時期に大きかったのは、歌詞を日常の自分の口調だけに限らなくなったことだ。
登場人物として言う言葉なら、少し芝居がかっていてもいい。
感じた感情が自分のものなら、言い回しまで普段通りである必要はないと考えられるようになった。
歌の中で格好つけることへの照れが薄れ、表に出せる言葉が増えたのだ。
2010年の『Revolutionary』では、その姿勢をさらに押し進める。
菅原は「Black Market Blues」以降、開けっ広げに、堂々と歌おうと意識したという。
自分が十代にロックを聴いて心を動かされた感覚を、自分たちの音からも得たかった。
誰か一人への手紙でなくても、曲としては聴く人へ向かっているようにしたいと、歌詞を書いた。
アルバムの入口と出口にも、その意図がある。
冒頭の「Lovecall From The World」は49秒の短い曲だが、本人は大きく言い切って始めようと考えた。
短いから軽く流すのでなく、最初に言いたいことを押し出す。
一方、最後の「The Revolutionary」には、切実な気持ちが乗る言葉を置きたかったという。
同じアルバムでも、大見得を切る入口と、思いを残す結末では歌の役目が違う。
声の強さを一律に上げるより、曲ごとに何を伝える人になるかを明確にする。
堂々と歌うという本人の言葉には、そうした人物と言葉の選択も含まれていた。
2014年「生命のワルツ」:大きな世界より、目の前のメンバーへ
結成10周年の「生命のワルツ」では、届ける相手がさらに具体的になる。
菅原は、初めから壮大な言葉で世界を描くことが、しっくりこなくなったと話している。
ノートの案を見て、もっと簡単に言えるのに、なぜ回りくどくしているのだろうと感じたのだ。
そこで試したのが、近い人へ伝える歌詞だった。
書き直していくうちに、自分はメンバーに向かって歌っていると気づき、そのまま仕上げたという。
完成した詞を中村和彦とかみじょうちひろに見せると、よくなったという反応が返ってきた。
菅原にとって、それは狙いが届いた手応えになった。
多くの人に聴いてほしい気持ちは変わらない。
ただ、伝えたい身近な人に届かなければ、会ったこともない大勢へ届くはずがないと考えるようになった。
「Black Market Blues」以降の堂々とした言葉が、ここでは誰と分かち合う歌なのか、という問いにつながっている。
「生命のワルツ」/2014年発表。
『Waltz on Life Line』(2016年)収録の公式音源。
2018年:作詞と作曲を託して、歌い手の仕事を取り出す
ソロの『今夜だけ俺を』は、最初から懐かしい歌謡曲を再現しようとして始まった企画ではなかった。
前年のソロツアーへ向けてオリジナル曲が必要になったものの、9mmの『BABEL』制作に集中しているうちに、自分で曲を書く時間がなくなった。
そこで滝へ作曲を頼み、詞もいしわたりへ任せることにしたという。
歌謡曲という方向は、その役割分担から生まれた。
作詞家、作曲家、そして歌い手が、それぞれの力を持ち寄る。
その形なら、自分を沢田研二のような歌手にしてもらうのが面白いと考えた。
話し合いを経て、キザな曲を、すべてラブソングで作るという方向が定まり、2018年6月に六曲のアルバムとして発表された。
普段は詞を書き、ギターも弾く菅原が、歌を引き受ける役へ専念したのである。
ただ、人に任せれば何でも歌えるということではなかった。
歌っているときに浮かぶ映像が、自分の中でしっくりこないと歌えない。
だからこそ、初期から一緒に言葉を組み立ててきた、いしわたりを頼ったと本人は説明している。
自作の詞から離れる仕事を支えたのは、自分の歌をよく知る相手への信頼だった。
歌謡曲への見方も、子どもの頃に家やテレビで耳にしたものから変わっていた。
初期の制作で阿久悠の作品を学んだ際、作家と歌手が力を合わせて一曲を完成させる面白さに気づいたという。
ソロでも一人ですべてを抱えるのでなく、他人が作った曲を自分の声で完成させる。
激しいバンドの中にもあった歌謡曲らしさを、役割を分けることで前へ出す試みだった。

写真出典:Real Soundの本人取材
2022〜24年:激しい音の中で、声の輪郭をどう残すか
バンドへ目を戻すと、2022年の『TIGHTROPE』と2024年の『YOU NEED FREEDOM TO BE YOU』では、音の置き方にも違いがある。
菅原は前者について、演奏が少し潜って聞こえる感覚があり、それが暗さにもつながっていたと振り返る。
その時の作品としては正解だったが、次は各楽器をもっと明瞭に聞かせたいと考えたという。
声だけを大きくするのでなく、採用したフレーズを全部生かし、その中で歌も埋もれさせない。
エンジニアと録音時から話したのは、演奏になじみながら、声の輪郭も残る音作りだった。
目指したのは、ライブで9mmを観たときのような関係だ。
「カタルシス」も、その2024年のアルバムには「Album ver.」として収められた。
本人は自分の声を、ざらつきを前面に出すタイプではなく、比較的ストレートだと捉えている。
背景の演奏が激しく歪んでいても、声まで同じ手触りにそろえる必要はない。
初期に、複雑な演奏と歌の両方を選んだバンドが、20周年の録音では、それぞれが聞こえる配置をさらに詰めていた。
これは声量や声域が増えたという話ではなく、持ち声をどのように曲へ置くかの変化だ。
同じアルバムの「叫び -The Freedom You Need-」も、この時期の声をたどる一曲になる。
菅原は近年、自分の役割を、曲の感情へ聴き手を案内することだと言葉にしている。
作曲した滝と感情の中身を確かめ、歌詞にし、声にして体験してもらう。
それ以前から感じていた役割を、最近になって言語化できたという説明だ。
ソロになっても、バンドの中でも、誰の言葉を歌うかを選ぶ
初期は一行ずつ試しながら、歌の人物を作る方法を覚えた。
その後は格好つける言葉も引き受け、さらに近い人へまっすぐ伝える歌も書くようになった。
ソロで他人の詞を歌ったときも、本人の中に人物や場面が立ち上がることは欠かせなかった。
冒頭の、ギターも詞曲も自分からいったん離して歌う姿は、その経験の先にある。
菅原の変遷は、ロックをやめて歌謡曲へ移ったという話ではない。
同じ声を持ちながら、言葉の引き受け方と、演奏の中での立ち位置を選べるようになってきた。
一曲の中での具体的な声の使い方は、菅原卓郎の歌い方で掘り下げる。

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