9mm Parabellum Bulletは、細かなフレーズが次々に飛び出す激しいバンドだ。
それでも「Black Market Blues」を思い出すとき、演奏の速さだけでなく菅原卓郎が歌った旋律や言葉が残る。
菅原自身は、自分の声をざらついた声とは捉えておらず、むしろ比較的ストレートだと話す。
なぜその声が、厚い演奏の真ん中で役割を持てるのか。
鍵は、無理に全音を叫んで音圧で勝つことではない。
曲が描く人物を決め、言葉を旋律に乗せ、声と楽器の輪郭をそれぞれ残す。
菅原本人と共同制作者の話をもとに、一曲の中で何を選んでいるかを見ていく。
ギターが細かく動いても、歌は旋律の入口になる
9mmのギタリスト滝善充が作る曲には、目まぐるしいキメや速い展開がある。
初期の「Discommunication」では、歌の聞こえ方を気にして、一度は単純なBメロを選んでいたといしわたり淳治は振り返った。
しかし彼は、菅原がギターを弾きながらその難しい部分を歌うからこそ面白いと考えた。
バンドは演奏を平らにして歌を守るだけの道を選ばなかった。
ヴァイオリニストのNAOTOとの対談では、細かく激しい9mmの演奏に対して、菅原のメロディを持った歌が耳に入ることが話題になった。
演奏と同じ速さで歌が細分化するのでなく、聴き手が戻れる旋律の線を作る。
ギターも持つ菅原がバンドの外側で朗々と歌うのでなく、その動きの内側に立つところが9mmらしい。
ギターを下ろして歌うと、本人は自由が増すと感じている。
弦楽四重奏と共演した「ROCKIN’ QUARTET」のリハーサルでも、歌を支えてもらう心地よさを話していた。
ただし、この公演は速い曲をゆったりした弦楽曲へ直す企画ではない。
ドラムの細かい動きまで弦に移して9mmの曲を再現するため、伴奏が忙しくても歌が旋律を保つという関係は残る。

写真出典:WEBザテレビジョンの本人取材
声の立ち上がりには、少し丸みがある
2014年の「生命のワルツ」の取材で、菅原は自分の声のアタックを、少し遅く、丸く広がるものとして説明している。
アタックとは、音が出始める部分の勢いや立ち上がりのことだ。
比較に挙げたのは滝のコーラスで、そちらはためがなく、菅原より先に飛び出すように感じるという。
同じバンドの中にも、鋭く出る声と、少し膨らむ声の違いがある。
この自己分析は、菅原がすべての曲で拍より遅れて歌うという意味ではない。
拍の位置と、声がどんな手触りで始まるかは分けて考えたい。
激しい曲でも一音目を全部鋭くそろえるのでなく、本人が自然だと感じる丸みを含んだ声で旋律を運べることが、楽器の鋭さとの対比になる。
当初はほかのメンバーと競争するように動いていたが、それではバンドが成り立たないと気づいたとも話していた。
歌の存在感を作るには、演奏と同じ勢いを出すことに加えて、聴き手に歌の筋道を渡す役割が要る。
声の立ち上がりにある個性と、旋律を聞かせようとする判断を合わせると、菅原の歌が激しい音の中で担う仕事が見えてくる。
言葉は「本人の告白」だけではない
菅原は歌詞を書くとき、「9mmの菅原さんに歌ってもらう」つもりで考えるという。
歌に出てくる一人称も、激しい曲なら必ず「俺」、静かな曲なら「僕」という決め方ではない。
誰がその言葉を発すると、曲の人物として届くかを選ぶ。
これは歌詞の話であると同時に、その言葉をどんな立場から声にするかという歌い方の入口になる。
「Black Market Blues」の語尾について本人が振り返ったのは、日常会話をそのまま歌にするのでなく、物語の登場人物として少し芝居がかった口調を許したことだった。
こうした言葉を歌うときには、強いロックの声だけを足しても人物は生まれない。
言葉の前後につながりを持たせ、何を言い切ろうとしている人なのかを決める必要がある。
2018年のソロ作『今夜だけ俺を』では、他人が書いた六つの愛の歌を引き受けた。
菅原は、歌うとき頭に浮かぶ映像がしっくりこなければ歌えないとも語る。
自作の詞か提供された詞かという違いを超えて、曲の人物が本人の中で見えることが重要なのだ。
9mmでは激しい演奏に紛れるこの演劇性が、ソロでは前面に出る。
「淡雪」では、メロディの言い方が最初の一語を決めた
2022年の「淡雪」を書いたとき、菅原はメロディを聞いて、歌い出しには「さよなら」しかないと感じたという。
歌詞を先に決めて声を当てはめたのではなく、旋律のイントネーションから言葉を選んだ。
雪を描く曲でも、冬ではなく故郷・山形の春先に降る雪を舞台にした。
別れの言葉と、すぐに溶ける雪の景色がつながる。
さらに本人は、雪を描く擬態語の選び方にも触れている。
空中を漂う軽さと、消えていくはかなさを、異なる言葉の響きで表す。
ざらついた手触りの語に置き換えると、曲の景色に合わなくなるという説明だ。
柔らかさは声量だけで決まるのではなく、口にする言葉の音からも生まれる。
歌い出しの意味を考え、歌の人物がいつどこでそれを言うのかを決め、その場面に合う言葉を選ぶ。
菅原の歌には、旋律の流れと日本語の言い方が、声になる前から結びついている面白さがある。

写真出典:日本コロムビアの本人対談
声を楽器になじませながら、言葉の輪郭を消さない
2024年のアルバム『YOU NEED FREEDOM TO BE YOU』で菅原が望んだのは、全部の楽器のフレーズを生かしたうえで、声も埋もれさせないことだった。
歌だけを別の場所へ浮かせるのではなく、バンドの音に溶け込みながら、くっきり聞かせる。
本人が「ストレート」と捉える声と、激しく歪んだ演奏が一緒に鳴るからこそ成り立つ置き方だ。
録音の音作り、楽器のフレーズ、旋律の作り方、どの言葉を前に出すかが協力している。
ライブの印象へ近づけたいという本人の狙いもあった。
声を大きくするだけでなく、互いの音が聞こえる配置を選ぶことも、菅原の歌を支えている。
聴き手を曲の感情へ案内する声
菅原は近年、作曲した滝とその曲の怒りや悲しみの中身を確かめ、それを歌詞にし、自分の声で聴き手へ体験させる役割を言葉にしている。
「歌で感情を説明する」というより、どの感情の中に入ってもらうかを導く仕事だ。
人物の一人称を選ぶことも、旋律に合う一語を探すことも、演奏の中で歌の輪郭を残すことも、そこへ向かっている。
菅原卓郎の歌い方は、ハードな伴奏へ対抗するための一種類のシャウトではない。
複雑な曲では旋律の道筋になり、物語の歌では言葉の人物を引き受け、バンド全体の音の中で感情を手渡す。
この役割が初期からソロ、20周年の作品へどう広がったかは、菅原卓郎の歌唱変遷で追える。

こちらの記事もおすすめ






コメント