『Sunshine Girl』で広く知られるようになる少し前、YUKAは、昔の歌い方を今の自分で再現する難しさに向き合っていた。
ライブで伝える力がついても、書いたばかりの歌詞を初めて歌った瞬間を、そのまま取り戻せるわけではない。
2009年の『青い月とアンビバレンスな愛』では、その最初の歌をまねることまで試している。
ところが十年後の『愛は続くよどこまでも』では、歌い重ねて気持ちを受け止めてから録り直したことが、本人の納得につながった。
初回の声を残したい曲と、時間をかけて育てたい曲。
この二つの選択をたどると、moumoonの歌が変わってきた道筋が見えてくる。
「青い月とアンビバレンスな愛」――2009年発表曲・公式MV。
『Flowers』で、自分の言葉と相手の曲が重なった
moumoonは、歌と作詞を担うYUKAと、作曲・制作を担うMASAKIのユニットだ。
二人が一緒に作るきっかけになったのは、後にインディーズ期の作品となる『Flowers』だった。
先輩からMASAKIの曲を渡されたYUKAは、仮歌の入った音源を聴いて一緒に作りたいと思い、歌詞を書いて歌を録った。
MASAKIも、自分のメロディーと彼女の歌が合ったと感じたという。
YUKAが初めて書いたというその歌詞は、七、八割が完成版にも残った。
一方、デビュー当初はライブも取材も慣れないことばかりで、緊張し、曲についてうまく説明できないこともあった。
2011年の取材で振り返ったその姿と、曲を作る楽しさは最初から変わらないという言葉が印象に残る。
活動に慣れない頃にも、二人で作った曲を誰かに聴いてほしいという実感があったのだ。
2009年、上達した声で「最初の歌」を取り戻す
『青い月とアンビバレンスな愛』は、約三年前に作ったデモをもとに、2009年の発売へ向けて仕上げた曲だった。
その間、YUKAはライブで何度も歌っていた。
相反する気持ちを抱いてしまう人間らしさという歌詞の主題は、自分の中で変わっていない。
けれども、初めのつたない歌い方はもうできないかもしれない、と当時の取材で話している。
MASAKIも、客席へ歌を伝える力はついたと感じていた。
それでも録音では、初めて歌詞を見ながら歌った一回目のニュアンスに、歌い慣れた後とは違う良さがあった。
完成版では、最初の歌をまねて歌う方法さえ試したという。
技術が足りなかった部分を直すだけなら、過去の自分をまねる必要はない。
この曲では、上達によって変わった声の中に、最初の不器用さも残したかったのである。
伴奏も、単純にデモのまま戻したわけではなかった。
無機質なシンセサイザーの弦に代わって生の弦を取り入れ、パーカッションとの演奏で得た手応えから生ドラムも加えている。
YUKAは、一度は完成に近づけた音を、余分なものをそぎ落としながら仕上げ直せたことに納得していた。
経験は初回の声を遠ざける一方、何を足し、何を残すかを最後まで選ぶ力にもなった。
2010年、音の隙間に合わせて歌い方を探る
2010年の『Sunshine Girl』は、CMを通じてmoumoonを知る人を大きく増やした。
YUKA自身、初めて会う人の多いフェスでも、イントロが流れると客席が曲に気づくことを喜んでいた。
制作面でも、音数の少ない伴奏の中にどう歌を置くかを研究した曲だった。
翌年には、楽器とボーカルの配置を試した経験が、その後の音作りにも生きていると振り返っている。
「Sunshine Girl」――2010年発表曲・公式MV。
その試行錯誤は、同じ年の『moonlight』などを収めたシングルにも続いた。
『Sunshine Girl』を聴いた人に自分たちだと分かってもらいつつ、秋冬の切なさも伝えたい。
YUKAは音の埋まった伴奏で歌うときとの違いを意識し、録音しながら、どんな響きなら伴奏の中で華やかに聞こえるかを少しずつ探ったという。
このときは心地よさを目指し、あまり声を張らずに歌ったと話している。
明るい曲が売れたという出来事が、次の曲で声をどう扱うかという具体的な課題につながっていた。
ただし、柔らかな歌に表現を統一したわけではない。
2011年のアルバム『15 Doors』には、『青い月とアンビバレンスな愛』や『ハレルヤ』も入れ、ヒット曲から入った人へ苦しさや切なさを含む世界を示そうとした。
MASAKIにとって『Sunshine Girl』は、方向転換というよりインディーズ期に一周して戻ったような曲でもあった。
新しい歌い方を覚えることと、以前からあった表情を残すことが、ここでも並行している。
アコースティックで歌い直し、聴き手の前で育てる
2017年には、既発表曲をアコースティックでセルフカバーした『ACOMOON』を発表した。
『Sunshine Girl』も収められ、ファンのリクエストが多かった曲も選ばれている。
完成済みの録音を並べるだけでなく、同じ曲を別の編成で歌い直す作品だった。
「Sunshine Girl」――『ACOMOON』(2017年)・アコースティック再録音源。
一方、満月の夜の配信『FULLMOON LIVE』は、普段に近い二人を伝える場になっていた。
2018年の取材でYUKAは、慣れたスタジオから、作り込みすぎない気持ちを届けたいと説明している。
配信中や後から寄せられる反応も読み、どの曲、どの時期の曲が好きなのかという声を参考にしていた。
同年9月の配信では、『青い月とアンビバレンスな愛』と新曲を一つのセットリストで歌っている。
『FULLMOON LIVE』――2018年9月25日・配信ライブ全編。
ただ、二人編成ならいつも同じ空気になるわけではない。
翌年に向けた『OFUTARISAMA』ツアーについては、配信の和やかさとは違う、コンサートとしての世界を作りたいと話していた。
二人で約二時間を担うには集中力も要る。
バンドの厚みとは別に、二人だから出せる音を、続けることで深めようとしていたのである。
2019〜2020年、『愛は続くよどこまでも』を受け止め直す
2019年10月の『FULLMOON LIVE SPECIAL』は、MASAKIが制作に専念する前の節目となった。
その公演のために作った『愛は続くよどこまでも』を、YUKAはアンコールで歌っている。
泣かないと周囲に話していたのに、実際には涙があふれた。
後の取材では、その場面を恥ずかしがりながらも、泣いているのに続く声は思った以上に出た、と本人が振り返っている。
「愛は続くよどこまでも」――2019年10月6日・カルッツかわさき公演。

写真出典:エイベックスの2019年ライブ写真
この曲のデモを録った頃は、不安や悲しさがあり、書いたばかりの歌詞を十分に受け止められていなかったという。
2019年には、そのデモ版も配信された。
初めの歌を隠すのでなく、録り直しの過程まで聴き手と共有する曲になったのだ。
「愛は続くよどこまでも」――2019年発表のデモ版・公式音源。
2020年に発表された完成版の録音には、そこへ至る時間も反映された。
公演を経験し、何度も歌う中で思いを受け入れ、録り直したときには気持ちが前へ動いていた。
YUKAは、完成版の歌がデモより強くなったと話している。
完成版では、ejiのピアノとなかむらしょーこのベースを生で入れ、二人はコーラスにも参加した。
歌だけを同じ伴奏に差し替えた作品ではないが、YUKAが語った変化の中心には、言葉を歌う自分の気持ちがある。
2009年には、歌い慣れる前の声を取り戻そうとした。
十年後には、最初の未消化な声から進んだことに納得できた。
同じ録り直しでも、曲に必要な時間が違っていたのだ。
「愛は続くよどこまでも」――2020年発表の完成版・公式音源。
一人で前に立っても、二人で作る歌は続く
ステージの役割が変わることへの受け止め方も、以前とは違っていた。
かつてMASAKIがライブを苦手だと話したとき、YUKAは頑張ってほしいと思ったという。
ライブこそ音楽家の幸せだという考えが、当時の自分には強かった。
制作を突き詰めたいという彼の決断を、今度はその人に合う音楽との関わり方として受け入れたのである。
2020年のチャリティー公演では、MASAKIが客席側からリハーサルを見て、全体の改善点を伝えた。
YUKAはそれを心強く感じている。
隣で演奏していたときは、互いに自分の担当で精いっぱいになることもあった。
ステージの内側と外側に分かれたことで、一つのライブを一緒に整える新しい関係が生まれた。
2024年には、バンドを従えたツアーが五年ぶりに実現した。
YUKAが前に立ち、MASAKIがバンドの音を作る形で、二人の役割は続いている。
公演中のYUKAは、離れて過ごした年月があっても、歌の中では聴き手を近くに感じると語った。
録音した歌を人前で歌い直す時間が、曲と聴き手の距離をまた変えていた。

写真出典:Billboard JAPANの2024年ライブ写真
曲ごとにどんな声を選ぶのかは、YUKAの歌い方でも詳しく扱っている。
変遷をたどって残るのは、初回の声を守ることにも、後から歌い直すことにも意味があるという発見だ。
『青い月とアンビバレンスな愛』では、今の技術を使って昔の歌へ近づいた。
『愛は続くよどこまでも』では、歌う時間を重ねて、書いた言葉に自分の気持ちを追いつかせた。
YUKAは、その曲をいちばん納得して歌える瞬間を、毎回同じ方法で決めてきたわけではない。

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