小椋佳は、自分の歌声が曲を少し寂しげにすることがあると話しています。
同じ曲を別の歌手が明るく歌うのを聴いて、声の違いを実感した言葉です。
その持ち味を考えるには、声の表情と、歌の言葉がどう伝わるかの両方に目を向ける必要があります。
さらば青春 正規配信音源(1976年10月7日、NHKホール)
祭り歌にも表れる、自分の声の寂しげな表情
2026年、福田こうへいと共演した歌番組の収録で、小椋佳が作った「おいらの祭り歌」のデモ音源が紹介されました。
デモを歌っていたのは小椋佳で、その場で歌ったのは福田こうへいです。
二つの歌唱を聴いた本人は、自分の声では少し寂しげになるが、福田なら明るさが出ると話しました。
「おいらの祭り歌」は、福田の両国国技館コンサートのために書いた曲です。
祭りの高揚感を持つ歌であっても、作り手自身が歌うと、声には別の表情が生まれる。
本人の言葉から、曲の明るさだけでは決まらない、歌い手の声の個性が見えてきます。
声の個性を知るうえで興味深いのは、小椋佳が福田の歌を自分のデモに近づけようとしていないことです。
作曲者が歌った形にそろえるのではなく、福田の声によって生まれる明るさを喜んでいました。
同じ旋律でも、誰の声を通るかで曲の印象が変わることを、作り手自身が認めています。
同じ収録で小椋佳が歌った「夢芝居」について、福田は深い味わいを感じたと話しています。
寂しげという本人の言葉と、共演者が感じた味わいは、どちらも声の受け止め方を知る手がかりになります。
この日の「母恋吹雪」では、小学生の頃から聴いてきた三橋美智也の歌にも取り組んでいます。
好きな理由として本人が挙げたのは、歌詞に描かれた気持ちの切実さでした。
歌い回しへの憧れとともに、言葉が胸に迫ることを大切にしてきた人なのです。
声の響きだけで、言葉を隠してしまわない
小椋佳は、言葉が聞き取れるかどうかにも厳しく向き合ってきました。
ミュージカルで共に仕事をした佐渡寧子に、滑舌が悪く、何を歌っているか分からないと指摘したことを、本人も覚えています。

画像出典:写真掲載元
佐渡が覚えているのは、五つの母音の間をどう移るかという説明です。
小椋佳は、別の母音へ進む際にはニュートラルな部分を通るという考えを、図を描いて伝えたそうです。
一つの母音を美しく響かせることから、次の母音へ移って言葉を届けることへ、注意を向ける指導でした。
佐渡自身、オペラで学んだ響かせ方に頼り、歌詞の表現に対応できていなかったと振り返っています。
その後、劇団四季の『異国の丘』に出演した佐渡の舞台を見て、小椋佳は言葉が全部聞こえたと伝えたそうです。
指摘して終わるのではなく、客席で受け取れる歌になったかどうかを確かめていたことも、この対談から分かります。
母音を長く保つ部分だけでなく、次の言葉が始まるところまで含めて一つの表現になる、という視点です。
小椋佳の歌を長く扱ってきた編集者の尾崎裕雄も、その歌い方を、話すように歌うものとして捉えています。
声の技巧と同時に、言葉が人へ向かう感覚を考えると、歌の特徴がつかみやすくなります。
カバー曲で語った、言葉と旋律が合わさる面白さ
他の人の曲を歌うときに何を感じていたのかは、カバーを収めた『夢歌詩 30songs on dream』の本人コメントにも表れています。
この作品の2枚目には、映画やミュージカルの歌、日本のポップスなど、以前から親しんできた曲を新たに録音しました。
自作曲を歌うだけでは見えにくい、歌い手としての好みが分かる選曲です。
「青春時代」は、日頃から口ずさんでいた曲を自分なりに歌ってみたかったと説明しています。
「遠くで汽笛を聞きながら」は堀内孝雄の作品の中でも特に好きで、コンサートにゲストで呼ばれると歌わせてもらう曲でした。
曲を知識として知っていることと、実際に声にして何度も親しんでいることは違います。
小椋佳の選曲には、その歌を口にする楽しさや、共演の場で歌ってきた経験がありました。
一方、「AN OLD FASHIONED LOVE SONG」では、言葉数の多さに苦労したと振り返っています。
話すように歌うという印象の人にも、旋律の中へ言葉を収める難しさはあります。
この曲は、日本語の自作曲と並べて、歌詞が密集するところで声をどう運ぶかに注目したい例です。
「WHAT NOW MY LOVE」については、横へ伸びていくような旋律が、歌詞と合わさることで情感豊かになる面白さを語っています。
また「いっそセレナーデ」は、歌うこと自体の気持ちよさにひかれて選んだ曲でした。
言葉の意味を明確にすることと、旋律に声を乗せる喜びは、本人の中で結びついています。
滑舌だけを切り離して考えるより、どんな言葉がどんな音の流れに乗っているかを聴くと、その関心に近づけます。
林部智史が感じた、歌う人が前へ出すぎない個性
小椋佳の声について、歌手の林部智史は別の角度から語っています。
2025年のインタビューで林部が挙げたのは、歌い手自身の色を強くつけなくても、その人の個性になる歌でした。
その例として、小椋佳の透明感のある声を挙げています。
林部は、自分の故郷を思い描かせる歌と、聴く人それぞれの故郷を思い浮かべてもらう歌では、表現の置き方が違うと説明しました。
そして、自分の技術を前へ出さなくても成り立つ個性があることに、小椋佳の歌で気づいたと話しています。
小椋佳自身の発声法の解説ではありませんが、その声を歌い手がどう受け取ったかを示す証言です。
「寂しげ」という本人の自覚と、林部が感じた透明感は、違う角度から声を見た言葉です。
小椋佳の声に固有の表情がありながら、聴き手は歌詞の中に自分の風景を重ねられる。
大きな抑揚や装飾の多さだけでは説明できない魅力が、ここにあります。
歌手の感情を追うと同時に、自分にはどんな情景が浮かぶかにも耳を向けたくなる歌です。
本人が重視する、歌声の「味」
小椋佳は、歌声では味を重視し、一声の中で複数の音を出せるものを、味のある声と理解していると話しています。
ここでいう味は、本人が声に求める豊かさを表したものです。
声を響かせる楽しさは大切にしながらも、母音のつながりにまで目を向けて、何を歌っているのかが届くことを求めていました。
寂しげな表情を持つ自分の声を知り、言葉が伝わることを求め、歌声の味を大切にする。
小椋佳の歌い方には、声がどんな気持ちを運ぶのかを考える視点があります。
昔の録音と今の声を本人がどう受け止めてきたかは、小椋佳の歌唱変遷でたどっています。







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