尾崎亜美は、子どもの頃、自分の声に強いコンプレックスを持っていました。
その声で歌手になり、長く歌い続けた後には、若い頃のように高い声を出すことの難しさも感じるようになります。
さらに2023年には声帯の手術を受け、歌うことそのものを取り戻す時間を経験しました。
かつて嫌いだった声を、どう歌に生かし、変化した声とどう向き合ってきたのでしょうか。
マイ・ピュア・レディ 正規配信音源(1977年原盤)
高校時代——人前で歌えなかった声を、褒められた
幼い頃、姉から声が変だと言われた尾崎亜美は、家族の前でも歌わないほど、自分の声を気にしていました。
高校の軽音楽部で、ビートルズの「Two of Us」を歌ったときにも、笑われるのではないかと思っていたそうです。
ところが部長からは、声が大きく、よい声だと評価され、ソロパートを任されました。
本人が振り返るこの出来事には、歌手になる前の大きな変化があります。
自分にとっては人に聞かせたくない声でも、聞いた人には歌を任せたい声だった。
周囲の励ましを受けて練習を続けたことが、自分の声で人前に立つきっかけになりました。
もともとピアノは、話すことが苦手だった尾崎にとって、自分を表すための身近な相手でした。
声に自信がなかった頃も、音楽そのものから離れていたわけではありません。
楽器で親しんでいた表現の場に、自分の歌声でも加われるようになったことが、この出発点では大きかったのです。
1976年3月20日、尾崎亜美は「冥想」でデビューします。
翌1977年には「マイ・ピュア・レディ」が化粧品のCMに使われ、その歌声が広く知られるようになりました。

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やがて他の歌手への楽曲提供も始まり、南沙織の「春の予感」では歌入れにも関わります。
尾崎は後年、この仕事で人の魅力を引き出す楽しさを知ったと振り返っています。
歌う本人でありながら、別の歌手の持ち味を考える作り手でもある。
その二つの視点は、後に自分の声の使い方を考えるときにも表れてきます。
2012年——高い声の出やすさと、歌に残したい気持ち
2012年のインタビューでは、声が以前と変わらないという問いに対して、本人は苦労していると答えました。
若い頃は、高い声をもっとつるりと出せたのに、今はそうはいかない。
外から同じように聞こえていても、歌っている本人の手応えは変わっていたのです。
この時期の「スープ」には、声の状態だけでは決められない、録音の選び方もあります。
同曲は、自分の音楽を愛してくれていた人を失った悲しみを、優しい歌にしたいという思いから生まれました。
自宅で最初に録音した歌には、言葉やメロディーに導かれて自然に歌えた手応えがあったそうです。
後から歌い直すことも考えたものの、完成版にはそのときの歌を残しています。
整えて録り直すより、最初に歌った気持ちを届けることを選んだのです。
ただ、作曲後には、悲しさのため、この曲をもう歌えないかもしれないと思う時期もありました。
転機になったのは東日本大震災です。
大切な人を失った人たちに、いまこそこの歌を届けたいと考えるようになりました。
高音の出方に戸惑いながらも、何を歌い、どの歌を聴き手に渡すかという判断は続いていました。
スープ 正規配信音源(2012年「soup」収録版)
2018年——他の歌手と歌い、自分の声の役割を考える
2018年、『Life Begins at 60』を発表した頃にも、昔は今よりずっと高い声が出たと振り返っています。
きっかけは、「初恋の通り雨」で共演したchayの声について聞かれたことでした。
ハスキーな響きを保って高く歌うchayに、自分の若い頃と近いところがあるかもしれないと答えています。
そこで尾崎は、現在の声で表したいものにも話を進めています。
今あるハスキーな声で、強さに加えて優しさや切なさも表したい。
作り手の自分が歌い手の自分に別の表現を試させ、その積み重ねで歌の色合いを増やしてきたという話でした。
若い歌手との共演は、昔の声を思い出す場であるとともに、自分が現在の声でできることを考える場にもなっています。
初恋の通り雨 chay&尾崎亜美 正規配信音源(2018年「Life Begins at 60」)
同じアルバムの「風のライオン」では、療養を経た小坂忠と共演しました。
尾崎は、絶好調の頃の声ではなくても、この録音に向けて力を尽くしてくれた、その時点の歌を大切に受け止めています。
かつての状態と同じかどうかより、いま歌う人から何が届くかを重んじる考えが、ここにもあります。
過去の作品に愛情はあるけれど、それだけで活動を続けるつもりはない。
還暦を機に作ったこの作品について、本人は新しいことに取り組む意欲を語っていました。
声の変化を感じながらも、自分の曲を他者と歌い直し、表現を動かし続けていたのです。
風のライオン 小坂忠&尾崎亜美 正規配信音源(2018年『Life Begins at 60』収録版)
2021〜2023年——二重に出る声と、手術後の戸惑い
2021年の『Bon appetit』には、母を亡くした後の思いから生まれた「メッセージ」が収録されています。
尾崎は、母の死後には気持ちを曲にできなかったものの、家族に話した言葉を小原礼が書き留めてくれたことが、曲へつながったと振り返っています。
歌にしたい気持ちを再び形にしていた一方で、自身の声との向き合い方も難しくなっていきました。
2022年、尾崎亜美は、異なる高さの声が同時に出るような、本人のいう二重声を経験しました。
以前から声帯嚢胞があることは分かっており、2023年3月に切除手術を受けています。
長く手術に踏み切れなかった背景には、大切にしてきた声に手を加える不安もありました。
手術後の本人の話で印象的なのは、高い音が出ることと、歌詞を歌えることが一致しなかった点です。
術後3週間が過ぎ、ハミングで高い声を出せたときには、歌えるようになるのではないかと安心したそうです。
ところがさらに1週間後に歌詞をつけると、中ほどの音域の声が出ず、特に「え」の段の言葉に苦労しました。
音の高さだけを確かめたときの手応えが、そのまま歌にはつながらなかった。
声が戻ったと思えた直後に、今度は言葉を歌う難しさに直面したのです。
手術から2〜3か月後には、富山の小さな会場でライブを開きました。
本人は、このときは思いがけずよく歌えたと振り返っています。
ただ、その後も、声を準備する段階からうまくいかない日があり、ライブの手応えは一定ではありませんでした。
最初の舞台で歌えたことだけで、その後の難しさが終わったわけではなかったのです。
2025〜2026年——昔の声を再現するより、今の声で伝える
2025年末、尾崎亜美は、ライブにはよい日も難しい日もあるものの、年々上向いていると話しました。
そして、今の声を育てるつもりでいると語っています。
ここでは、以前の声に戻れたかどうかだけでは測れない、歌唱への向き合い方が見えてきます。

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2026年のインタビューでは、元の歌声に戻そうとは思っておらず、今の声で自分の表現したいことができればよいと、さらに明確に話しました。
目標として挙げたのも、思っていることを、そのまま人に伝えられることです。
飾らない形でも、そのままの自分を伝えたいという言葉からは、歌を届けることが今の目標になっていると分かります。
一緒に制作を続けてきた小原礼も、思うように歌えない日々を経て、尾崎亜美が少しずつ自分の音楽を探し、歌い続けてきたと振り返っています。
2026年9月23日には、全曲を書き下ろしたアルバム『amiism』を発表しました。
50周年の作品を、本人はやり切った自信作と捉えています。
明日の声 公式音源(2026年「amiism」収録版)
その現在地は、実際の公演を聴いた人にも受け止められています。
2026年10月10日の東京国際フォーラム公演を聴いた音楽評論家の田家秀樹は、以前とまったく同じ声ではない部分も含め、丁寧に今の歌を届ける姿を記しました。
新作の全曲を歌った公演で、特に心を動かされたとして挙げたのが、小原と二人で演奏した「オリビアを聴きながら」です。
別れを描く曲が、優しさや穏やかさを伴って伝わったと評しています。
同じ代表曲でも、歌う人が歩んだ時間と、その日に一緒に音を出す相手によって、受け取られる表情は変わる。
この公演の評は、尾崎が話していた「今の声で表現する」という考えを、一つの歌の場面に結びつけてくれます。
自分の声を好きになれなかった少女が、その声の表現を増やし、手術後には今の声を育てるようになった。
尾崎亜美の変遷には、歌いやすさの変化を感じながらも、歌で伝えることを考え続けてきた姿があります。
張った声のハスキーさや、歌のテイクを選ぶ考え方は、尾崎亜美の歌い方で取り上げています。







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