かまやつひろしは、70歳を迎えた2009年、昔の自分の曲を若い世代と一緒に歌い直しました。
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」では、Microと組み、歌の中に登場する人物や品物まで選び直しています。
思い出の曲を、当時の言葉のまま残すだけではありませんでした。
新しい共演者の提案を受け、自分が好きになったものも歌に入れる。
この選び直しをたどると、ムッシュかまやつの歌は、過去の作品を現在の自分へ引き寄せていくものだったと分かります。
ゴロワーズを吸ったことがあるかい 正規配信音源(1975年原盤)
1970年代前半、自分に合う歌と、売れる歌の間で
ムッシュがどんな歌を自分のものとして選ぶかは、ソロ活動に移った頃からの問題でした。
スパイダースでは恋の歌が多かった一方、後に近づいたフォークの世界には、吉田拓郎らの私小説のような歌がありました。
学園祭などで一緒に演奏するうちに、これまで自分が歌ってこなかった内容にも、魅力を感じるようになったと振り返っています。
「どうにかなるさ」は、スパイダース在籍中にソロのシングルとして発表し、1971年のアルバムにも収めた曲です。
作詞した山上路夫について、ムッシュは、自分の立場になって言葉を書いてくれたと話しています。
バンドを離れる時期の自分を、少し外にいる人が見て歌にする。
歌詞を他者から受け取ることも、自分の気持ちに近い歌と出会う方法になっていました。
ただ、好きなものを自由に歌うだけでは進めない時期もあります。
1973年の『釜田質店 No.3』では、職業作家の曲を歌い、歌謡曲の世界へ挑戦しました。
本人は、堺正章や井上順のヒットを見て、焦りもあったかもしれないと回想しています。
曲の良さを認めながらも、その頃は頭で考えていた音楽と、実際に出している音楽との間にずれがあったとも話しました。
後の大ヒットへ至る道には、歌手として何を前に出すかという迷いがあったのです。
1975年、大ヒット曲の裏に置いた自分の歌
1975年の「我が良き友よ」は、吉田拓郎が書き、かまやつひろしが歌った大ヒット曲です。
しかし、本人が自分らしい音楽として強く思い入れていたのは、そのシングルのB面に収めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」でした。
「我が良き友よ」は、自分の音楽とは少し違う。
本人は後年、そんな距離を振り返りながら、B面のほうに本当の自分がいるという思いを語っています。
大ヒットした曲が、そのまま歌手自身のやりたかったことを代表するとは限らないのです。
それでも「我が良き友よ」を歌う声には、ムッシュの流儀が残りました。
本人の回想では、美空ひばりから、自分なら泣きながら歌うところを、ムッシュは別のことを考えているように歌っていると言われたそうです。
ムッシュ自身は、歌へ強く感情移入しないことにも良さがあると考えていました。
自分の音楽との距離を感じた曲でも、歌詞の感情を大きく演じる声に合わせきらず、普段の自分に近い調子で歌う。
曲を受け取ることと、歌い手として自分を消してしまうことは、別だったのです。
我が良き友よ 正規配信音源(1975年原盤)
一方の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は、来日中のタワー・オブ・パワーへ録音を頼めたことから生まれました。
共演が決まってから、ムッシュがまず渡したのはコード進行でした。
グレッグ・アダムスが歌を入れる場所も考えて演奏を組み立て、それを聴いてムッシュが言葉を付けています。
先に完成した歌を伴奏してもらう順序とは違い、演奏から歌う言葉が生まれた曲でした。
自分の好きなものや生き方を歌へ持ち込めるこの曲は、その後も歌い直されていきます。
ヒット曲とは別に選んだ一曲が、のちに新しい世代と関わる入口にもなりました。
1990年代、昔の曲が新しい相手との共通語になる
「ゴロワーズ」は、発表した当初から大勢に評価された曲ではありませんでした。
本人が驚いたのは、長い時間が過ぎてから、小山田圭吾や小西康陽に、ロンドンのクラブで流れていると聞かされたことです。
自分の好みをB面に置いた曲が、知らない場所の聴き手に見つけられていました。
その再評価は、1994年のロンドン録音盤『Gauloise』へつながります。
英国のアシッド・ジャズのミュージシャンと共演し、「ゴロワーズ」を再び録音しました。
昔の曲が、若い演奏家と新しい作品を作るための共通語になったのです。
後のMicroとの共演も、この曲を固定した完成形として扱わなかった歩みの先にあります。
昔の曲を歌い直すことで、歌い手の姿が新しく見えた場面もあります。
1999年3月13日に収録された「FACTORY」で、かまやつひろしは、スパイダース時代の「ノー・ノー・ボーイ」を歌いました。
サックスの三四朗を迎え、ブルース調にした演奏です。
この日の舞台は、まずムッシュ一人がアコースティックギターで歌うところから始まっています。
そこから三四朗との演奏へ進み、さらにジョニー吉長らを迎えた曲へと、共演の形も変わっていきました。
昔の歌を、その日の組み合わせで聴かせる場だったのです。
このステージを評した山崎二郎は、ゆっくりと歌われることで、恋する相手に思いが届かない歌が、何かを求め続けるムッシュ本人の姿と重なったと捉えています。
若い頃に書いた歌が、その年齢になっても何かを求める人の歌として聴こえる。
ゆっくり歌うこの日の演奏では、昔のレパートリーが今の歌い手を表す曲として届いていました。

画像出典:写真掲載元
2009年、Microと選び直した「ゴロワーズ」の言葉
70歳を迎えた年のアルバム『1939〜MONSIEUR』には、Microと共演した「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が収められています。
1975年に、自分らしい音楽としてB面へ置いた曲を、今度はヒップホップの表現へ作り直しました。
ここで変わったのは、曲を包む演奏だけではありません。
Microから、自分たちの世代にもつながる言葉にしようと提案され、歌詞に出てくる人物や品物を更新したのです。
かまやつ本人も、ミック・ジャガーに代わる好きな歌手として、ビヨンセの名前を提案しています。
時計や酒にまつわる言葉も、Microが思い描くヒップホップの成功者のイメージに合わせて見直されました。
若い人の言葉を借りて済ませるのではなく、自分の好みも持ち寄った共同作業でした。
原曲の言葉を守ることより、いま一緒に歌う相手と何を歌うかを選ぶ。
1975年の曲に入れた自分の好みを、2009年の自分と共演者の好みへ開いていったのです。
当時のかまやつは、若い人とのセッションには、その世代が何を考えているのか分かる面白さがあると話していました。
過去のレパートリーは、新しく出会った人の考えを受け入れる場所にもなっていたのでしょう。

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このアルバムでは、「どうにかなるさ」をトータス松本と、「ノー・ノー・ボーイ」を今井美樹と歌っています。
出発点のカントリーに通じる歌、スパイダース時代の曲、自分らしいB面曲を、異なる相手と分かち合う構成です。
長く持ってきた歌から、今度は誰と何を作れるかを試す作品になりました。
新曲の「ゆっくりとゆっくりと」では、息子のTAROかまやつともデュエットしています。
かつて父のティーブ釜萢と共演盤を作ったムッシュは、今度は自分から息子へバトンを渡したいと考えていました。
世代を越えて歌う相手には、旧友や新しく出会った音楽家だけでなく、家族も加わっていたのです。
70歳の時点でも、ムッシュはカントリーやブルースを、これから取り組みたい音楽として挙げています。
若い世代との共演を楽しみながら、自分の出発点にも戻ってみる。
新しい音楽を取り入れることと、昔から親しんだ歌を歌うことが、同時に続いていました。
1975年にB面で示した自分の好みを、2009年には、Microの世代へ届く言葉と一緒に歌う。
「ゴロワーズ」は、作った頃の自分だけを表す曲から、新しく出会った相手と好みを持ち寄る歌にもなりました。
この再録には、昔の歌を、いま歌う人たちの言葉へ選び直した変化が表れています。
喋るような声や、歌に感情を込めすぎない考え方は、かまやつひろしの歌い方で掘り下げています。







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