フレディ・マーキュリー(Queen)の歌声の変遷|オペラ歌手を泣かせた、語るような声

ステージで歌うフレディ・マーキュリー シンガー
Carl Lender / CC BY 2.0

フレディ・マーキュリーが、憧れのオペラ歌手モンセラート・カバリエとアルバムを作ったときのことです。
彼女を泣かせたのは、張り合うような高音ではありませんでした。
カバリエが歌った言葉を、フレディが歌わずに語り返す。
「How Can I Go On」の録音で、その声を聴いた彼女は涙を流したといいます。

何万人もの観客の前で歌い上げるフレディを思い浮かべると、少し意外な話です。
けれども、小さな声で親しく歌う力は、晩年に突然生まれたものではありません。
Queenの初期のバラードにも、すでにありました。

では、何が変わっていったのでしょうか。
「Love of My Life」を観客と歌い、カバリエと共演し、最後に「Mother Love」を録音するまで。
声の高さだけでは捉えにくい、歌い方の変化をたどります。
「How Can I Go On」は、二人のアルバム『Barcelona』(1988年)に収められた曲です。

1975年から1985年――一人で歌ったバラードを、観客と歌う

「Love of My Life」は、1975年の『A Night at the Opera』に入っているバラードです。
同じアルバムには「Bohemian Rhapsody」もあります。
劇的な展開や大きな歌声が印象に残る作品の中に、愛する相手へ戻ってきてほしいと願う、控えめな曲も収められていました。

スタジオ版は、ピアノやハープ、重ねた歌声で丁寧に飾られています。
後のライブで親しまれる、ギターと歌を中心にした演奏とは異なる作りです。
フレディの優しい歌を、録音の中で幾つもの音が支えていました。

この曲をライブに持ち込むとき、ブライアン・メイは十二弦のアコースティックギターで伴奏する形に編曲します。
楽器が減ったことで、フレディの歌とブライアンの演奏を近くに感じられる場面になりました。
やがて、二人だけで曲を進める必要もなくなります。
歌詞を覚えた観客が、大きな声で歌うようになったのです。

1985年のロック・イン・リオでは、その変化がはっきり表れています。
ブライアンが一緒に歌おうと呼びかけると、客席から歌が返ってくる。
フレディは自分が歌うのを休み、手を動かして観客の合唱を導きます。
そして、自分の歌へ戻っていきます。

1975年のスタジオ版では、録音した声と楽器を重ねて、一曲を完成させていました。
十年後のリオでは、フレディが歌わない時間にも、観客の声で歌が続きます。
同じ旋律でも、歌手が一人で聴かせる曲から、客席と一緒に進める曲へ変わっていました。

これを、フレディの声が強くなった、弱くなったという話だけで説明するのは難しいでしょう。
歌う量を減らすことが、ここでは客席とのやり取りを増やしています。
元の録音の歌い方を守ることより、その公演に集まった人たちと曲を作ることが、ライブの魅力になったのです。

1977年、ニューヘイブンで歌うフレディ・マーキュリー
1977年、ニューヘイブンで歌うフレディ・マーキュリー。写真:Carl Lender / CC BY-SA 3.0

1987年から1988年――憧れの歌手をまねるところから、二人の歌へ

観客との合唱とは別の形で、フレディが誰かと歌を作ったのが、カバリエとの『Barcelona』です。
彼は以前から彼女の歌に憧れていました。
一緒に仕事をすることになっても、会う前には落ち着かなくなるほど緊張していたそうです。

ところが、二人の共演につながった曲には、少しおかしな始まりがあります。
フレディと共同で作曲したマイク・モランは、「Exercises in Free Love」が生まれたときのことを話しています。
モランが華やかなピアノを弾くと、フレディが裏声を使い、オペラのソプラノ歌手になったつもりで歌い始めたのです。
これは1987年のソロ・シングル「The Great Pretender」のB面になりました。

カバリエに会うとき、二人はその録音で場を和ませようと考えました。
本人の前でオペラ歌手のように歌った声を聴かせたら、笑ってもらえるかもしれない。
しかし、彼女は曲を気に入り、自分でも歌いたいと考えます。
冗談めいた歌い方で作った曲が、本物のオペラ歌手に歌ってもらう曲へと進んだのでした。

ただ、実際の共演では、フレディがずっとカバリエをまねるわけにはいきません。
カバリエには、クラシックの舞台で磨いた歌い方があります。
フレディにも、Queenで聴き手を引きつけてきた自分の声があります。
二人を同じ声に揃えたら、せっかく違う歌手が組む面白さまで薄れてしまうでしょう。

制作では、それぞれの歌い方を生かすことが大切にされました。
フレディの身近にいたピーター・フリーストーンも、モランは二人に、自分らしく歌えばよいと伝えていたと振り返っています。
憧れの歌手と共演することは、その人と同じ歌い方になることとは違っていたのです。

1988年10月8日、フレディとカバリエが共演したバルセロナの催しの会場
1988年10月8日、フレディとカバリエが共演したバルセロナの催しの会場。写真:Michael Pfeiffer / Gordito1869 / CC BY 3.0

「How Can I Go On」――相手が歌った言葉を、普通の声で返す

二人がそれぞれの声を生かした一例が、『Barcelona』の「How Can I Go On」です。
曲の中に、カバリエが歌ったあとで、フレディが同じ言葉を語る箇所があります。
二人が交互に高音を競うのではなく、一人は旋律を歌い、もう一人は話す声で応じる形です。

フリーストーンによると、録音中、カバリエはコントロールルームでフレディの声を聴いていました。
そして涙を流し、彼の話す声だけで十分に伝わってくる、という趣旨の言葉を口にしたそうです。
フレディが憧れていた歌手も、彼の表現に心を動かされていました。

この反応が面白いのは、フレディが相手の得意な方法に合わせて成功した、という話ではないところです。
カバリエが旋律に乗せた言葉を、フレディは普段の会話に近い形に戻します。
同じ言葉が続いても、歌と語りでは、聴く人との距離の感じ方が変わります。
大きな舞台で響く言葉のあとに、すぐそばから返事が来たようにも受け取れるでしょう。

もちろん、語りさえすれば誰でも同じ効果が出るわけではありません。
先にカバリエの歌があり、その歌を受けてフレディが言葉を返すから、二つの声の違いが生きています。
この共演でフレディは、オペラ歌手の声に自分の語り声を組み合わせました。
相手の歌を聴き、自分はどう応じるかを考えることで、Queenの曲とは違う表現を見つけたのです。

1991年「Mother Love」――内側へ向かう歌を、最後まで作ろうとした

最後の歌唱録音となった「Mother Love」では、フレディは再びQueenの仲間と仕事をしています。
歌を録音したのは1991年で、曲が発表されたのは、死後の1995年の『Made in Heaven』です。
発売年と、残された声の時期には四年の隔たりがあります。

共同で曲を書いたブライアンは、フレディの新しい、内面に向かう歌い方を生かしたかったと説明しています。
歌の主人公が求めているのは、安心して身を寄せられる場所です。
華々しく人前に立つ姿とは違う、守られたいと願う人の声を、仲間と録音していました。

ただ、この曲にも、途中で高く、強く歌う部分があります。
ブライアンは、そこが難しい箇所だと分かっていましたが、フレディは歌い切ったと振り返っています。
静かな歌い方を生かす曲の中にも、力を込めて歌う場面は残っていました。

最後の一節だけは、フレディが完成させることができませんでした。
疲れてしまい、後日戻ることにしましたが、その録音の機会は訪れませんでした。
完成版で最後の一節を歌っているのは、ブライアンです。
ここで聞こえる声の交代は、フレディが歌い方を変えたものではありません。

晩年の歌を聴くと、どうしても、残された時間のことを考えたくなります。
それでも「Mother Love」には、悲しい背景だけでなく、歌をどう作ろうとしていたかも残っています。
ブライアンはフレディの歌の変化を感じ取り、それを生かす曲を書き、二人で一節ずつ録音を進めていました。
最後まで、新しい歌を作る仕事が続いていたのです。

変わったのは、声の高さだけではなかった

初期の「Love of My Life」にも、フレディの柔らかな歌はありました。
晩年になって初めて、静かに歌えるようになったわけではありません。
たどってきた録音や公演では、その声を使う場面と、一緒に歌う相手が変わっています。

リオでは、自分が歌うのを休むことで、観客の声を聴かせました。
「How Can I Go On」では、カバリエの歌に語りで応じました。
「Mother Love」では、内面に向かう歌い方を、ブライアンとの曲作りでさらに生かそうとしました。

一方、1976年の「Somebody to Love」でも、フレディは声の強弱を使い、孤独な人の切実さを表しています。
その曲で大合唱と独唱をどう組み合わせたかは、フレディ・マーキュリーの歌い方で詳しく扱っています。

声を強くすることも、小さくすることも、自分では歌わず相手に任せることも、歌の表情を変えます。
フレディは、もともと持っていた幅広い声を、共演者や曲に合わせて使い続けました。
その歩みを知ると、カバリエを泣かせた語り声も、大歌手の意外な余技ではなく、誰かと歌を作る中で見つけた表現として聴けるようになります。

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