神野美伽は、「浪花恋おんな」のデモで、自分の感覚にはなかった音のつなぎ方を見つけました。
その歌い方を目立たせながらも、歌い過ぎないことを大切にしています。
体で感じるリズムと、声で歌うゆったりした旋律を、どう両立させているのでしょうか。
別の曲でこぶしや語りの重さを選んだ例も合わせて、曲から声の運びを考える神野の歌い方を見ていきます。
「浪花恋おんな」―2021年の公式MV(短縮版)
普段にはないスラーを、あえて生かす
2021年の「浪花恋おんな」で、本人が新鮮だと感じたのは、デモの段階からスラーをかけた歌い方でした。
スラーは、音と音の間を切らず、滑らかにつなぐことです。
自分の感覚にはなかった歌い方を、録音ではあえて目立たせ、面白がって歌ったといいます。
一方で、余計な表現を加えて歌い過ぎると、この曲をつまらなくしてしまうとも考えました。
できるだけ自然に歌うと、普通に歌うことが心地よいと、改めて気づいています。
音のつながりを生かすことと、表現を盛り込むことは、同じではなかったのです。
普段の自分と違う歌い方を受け取ったとき、それをいつもの形へ直すのではなく、曲の面白さとして取り入れる。
そのうえで、さらに自分の表現を足す必要があるのかを考えています。
長く歌って身につけた方法があっても、新しい曲に合うかどうかは別に確かめるのです。
同じシングルの「無常の満月」では、季節や気温を思わせる歌詞から絵を浮かべ、自分の感覚で歌ったと話しています。
一方の曲ではデモにある音のつながりを生かし、もう一方では浮かんだ情景を頼りに表現する。
同じ時期の作品でも、曲から受け取る手がかりによって歌への入り方が違うのです。
体では細かく、歌声はゆったり
「浪花恋おんな」について神野が勧めたのは、リズムを倍の細かさで数えることでした。
体ではその細かなリズムになじみながら、歌う旋律はゆったりと優しくする、と説明しています。
数えるリズムを細かくしても、歌を急いだ調子にするわけではありません。
ここには、体でリズムを感じることと、声にする旋律を分ける考え方があります。
本人もこの曲を、リラックスして歌えているように感じる、と話しています。
滑らかに音をつなぐ歌い方を楽しみながら、声で届ける流れはゆったりと保つ。
細かい拍を感じることは、言葉を細切れに発することとは違います。
神野の説明は、体の中で進んでいるリズムと、聴き手に聞かせる歌の大きな流れを分けて考えるものです。
「ゆったり」を、拍を曖昧にして歌うことと取り違えないための、具体的な手がかりになります。
「泣き上手」では、試した末にさらっと歌う
別の曲では、もっと違う案を試したうえで、録音する形を決めています。
2020年の「泣き上手」は、恋や涙を重ねてきた女性が、自分をそう呼べるようになった歌として、本人が紹介しています。
悲しみを訴えるだけでなく、自分を少し離れて見るような人物の捉え方です。
作曲者の都志見隆からの提案で、ブルージーな歌い方などを試しました。
その結果、さらっと歌う形に落ち着いたと、本人は振り返っています。
ただし、本人はその一つの形にしか歌えない曲だとは考えていません。
自分でも、歌詞の語尾を「だし」から大阪弁の「やし」へ変えて歌うことがあると明かしています。
いつもの話し言葉へ近づけるだけでも、ブルースのような表情を引き出せると捉えていたのです。

画像出典:写真掲載元
「泣き上手」―2020年の公式MV(短縮版)
語尾を変えるという例は、音の高さや大きさを変える前に、人物の話し言葉へ近づく試みともいえます。
完成した録音ではさらっと歌いながら、別の場では違う表情も試せる。
一つの歌い方へ落ち着いた経緯と、曲に残っている自由さの両方を、神野は認めているのです。
「天の意のまま」で、こぶしを使わずに歌っていた
2024年の「天の意のまま」では、歌い終えた後に本人も意外に感じたことがありました。
録音を終えてから、こぶしを使わずに歌っていたと気づいたというのです。
誰かからそうするよう指示されたのではなく、曲に向き合う中で自然に選んだ歌い方でした。
この曲では、弦哲也の旋律が歌詞の世界を広げたと神野は話しています。
編曲の猪股義周とは、使う楽器の響きも相談し、広がりのあるイメージを一緒に作っていきました。
こぶしを入れるかどうかという判断だけが先にあったのでなく、歌詞、旋律、伴奏が作る世界を受け取った結果として、声の運びが決まっているのです。
同じ曲の漢詩を語る部分では、別の調整もありました。
最初は独り言に近い軽い調子で臨みましたが、作曲者から別の表現を提案され、最終的には重いトーンになったといいます。
旋律のあるところの装飾と、語りの言葉の重さは、それぞれに選び直せるものでした。
さらに神野は、録音を完成形として固定せず、舞台やテレビで歌えば変わっていくと考えています。
とくにこの語りは、歌い続ける中で大きく変わるだろうと話しました。
「泣き上手」で別の語尾を試す自由さと同様に、そのときの表現を選びつつ、次の歌唱にも余地を残しています。
大きなバンドの中でも、自分の声で応える
2024年の『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』の制作では、伴奏との関わりも具体的にわかります。
神野は自身のブログで、「ラッパと娘」「ヘイヘイブギー」「ジャングル・ブギー」「買物ブギー」「東京ブギウギ」の五曲を、ビッグバンドと同時録音したと報告しました。
ピアノやベース、ドラムに、金管、サックス、コーラスも加わる編成でした。
一人で完成済みの伴奏へ声を重ねる場合とは違い、楽器と歌が同じ時間に演奏されています。
リズムの動きや合奏の勢いを、その場で受け取りながら歌う場でもあったと考えられます。
「浪花恋おんな」で語った、リズムを感じつつ声の流れを保つという関心を、別の編成で考える手がかりにもなる録音です。
一方で、声の魅力は大きな編成の勢いだけにあるわけではありません。
田勢康弘は2021年の評論で、「千年の恋歌」の歌唱を、押しつけがましくなく、聴いた後に余韻を残すものとして評価しました。
力のある声が、どれほど強く迫るかに加えて、歌い終えたあとに何を残すかという聴き方です。
スラーを生かす、さらっと歌う、こぶしを使わず旋律を届ける、語りの重さを変える。
神野が語る歌い方には、受け取った曲の面白さを確かめながら、声の運びを選ぶ過程があります。
曲ごとに選ぶ表現が違っても、その場の音楽に自分の声で応えようとする姿勢は共通しています。
海外で演歌の届け方を探し、自分の歌にも励まされるようになった経緯は、神野美伽の歌唱変遷でたどっています。







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