弘田三枝子の歌は、初期のカバーポップスで知られた勢いを、ジャズのリズムにも、切実な恋の物語にも生かしてきました。
後年には、本人が温かさを感じていた叙情歌も加わります。
強い声を持つ歌手が、何をその声で伝えようとしたのか。
そこに目を向けると、表現の広がりが見えてきます。
弘田三枝子|公式DVDダイジェスト(1963〜1971年のNHK紅白歌合戦映像を収録した作品)
1960年代、カバーポップスの勢いをジャズにも生かす
1961年に「子供ぢゃないの」でデビューした弘田は、翌年の「ヴァケーション」など、カバーポップスで人気を集めました。
初期の歌唱は、リズミカルでパンチがあると評されています。
歌の楽しさを前へ押し出す勢いが、若い弘田の印象を形づくりました。
そのリズム感は、ジャズを歌う場でも発揮されていました。
1965年にニューポート・ジャズ・フェスティバルへ出演し、その後はニューヨークに残って、ビリー・テイラーのピアノ・トリオと録音しています。
1966年に発表された『ニューヨークのミコ』は、このときの歌を収めたアルバムです。
収録曲には、のちにボビー・ヘブのヒットで知られる「サニー」もありました。
レーベルの紹介によれば、弘田が音楽出版社にあった譜面の中から、自分で選んだ曲です。
日本ですでに親しまれていたヒット曲を歌うだけでなく、現地で見つけた歌を、自分のレパートリーに加えていました。
同作を番組で取り上げたピアニストの山中千尋は、堂々としたスキャットと、力強い歌声に注目しています。
スキャットは、決まった歌詞の代わりに、意味を持たない音節で歌う表現です。
快活な歌詞を届ける力だけでなく、声そのものをリズムに乗せる力も、早くから持っていたのです。
「アイム・カミン・ホーム・ベイビー」|『ニューヨークのミコ』・1965年録音/権利者提供音源
1969年、「人形の家」で濃い感情を伝える
1969年7月に発売された「人形の家」では、声が伝える感情の濃さが、また違った形で前に出ます。
糸井重里らの対談では、元気で乾いた印象の「ヴァケーション」に対し、「人形の家」は、思い入れが強く、粘りのある歌唱として語られています。
糸井が注目したのは、この曲がとてもおとなしく始まることでした。
相手に拒まれた戸惑いから、深く身を委ねた末の悲しみへ、歌の人物の気持ちが進んでいきます。
静かな出だしから強い思いを表す展開があるため、声の迫力も、物語が深まる過程として受け取れます。
弘田本人によると、なかにし礼は、発音を含めて歌い方を自由に任せてくれたそうです。
一度の歌唱を録る制作の中で、本人も気づかないうちに、母音の前へ「は」のような音が入る箇所があったと振り返っています。
言葉の一音ごとに細かな指示を受けるのではなく、自分から出てくる発音や歌い回しを生かせた録音でした。
快活なカバーポップスで知られた個性を、悲しみの深い日本語の歌へ生かす。
「人形の家」は、その表現を広く印象づけた一曲でした。
声の勢いが、明るく弾む楽しさだけでなく、人物の内側にある強い感情も担うようになったのです。
「人形の家」|1969年発売曲・権利者提供音源

画像出典:写真掲載元
1970年代、勢いを抑えた歌にも広がる
「人形の家」のあとも、ジャズとの関わりは続きました。
1973年には『JAZZ TIME』、1976年には『My Funny Valentine』などを発表しています。
歌謡曲の大きなヒットを得たことで、ジャズを過去の活動にしたわけではありません。
『My Funny Valentine』には、自身が作詞・作曲した「SWEET LOVE」があります。
竹内まりやは、初期のパンチがある歌唱とは違う、抑制されたソウル歌手のような表現を、この作品の魅力として挙げています。
10代の勢いを評価しながら、声を抑えて歌う弘田にもひかれていたのです。
迫力を保つだけでなく、勢いを前に出さない歌い方にも、聴き手を引きつける力がありました。
「SWEET LOVE」|『My Funny Valentine』(1976年)・権利者提供音源
2006年、過去のジャズと、新しい日本語の歌を並べる
2006年の『弘田三枝子・じゃずこれくしょん』は、その積み重ねと新しい録音を一緒に聴ける作品集でした。
1960〜70年代のアルバム6枚を復刻し、さらに2枚を新録しています。
うち『MICO JAZZING』では、「CARAVAN」や「SUMMERTIME」などのスタンダードに、新しいアレンジで取り組みました。
解説を書いた後藤誠一は、速いスキャットや旋律の崩し方と、バラードで情感を伝える歌い回しの両方を、弘田の魅力として挙げています。
「CARAVAN」|『MICO JAZZING』(2006年)・権利者提供音源
もう一枚の『My Tapestry』では、「SWEET MEMORIES」「駅」「Everything」など、弘田が好む日本の曲をカバーしています。
初期には海外のポップスを自分の歌にしていた人が、ここでは日本の歌手たちのレパートリーにも向き合っていました。
竹内まりやは、その数年前、弘田の歌に親しんで育った思いを込めて、カバー集『Longtime Favorites』を届けていました。
弘田から電話で歌を褒められ、歌手として認められたようで光栄だったと振り返っています。
今度は弘田が、竹内の「駅」を歌う。
かつて影響を与えた歌い手の作品も、自分の表現へ取り入れる交流がありました。
同時に、自分の初期のヒット曲「渚のうわさ」「砂に消えた涙」もジャズの編曲で歌い直しています。
親しまれた自分のヒット曲も、新たな編曲で歌う対象になったのです。
「砂に消えた涙(Good bye Kenj Sazanami Version)」|『My Tapestry』(2006年)・再録/権利者提供音源

画像出典:日本コロムビア
2015年、温かく和ませる歌も自分のものに
2015年のシングルに収められた「ひいふうみいよう」については、本人が、これまでの自分の歌とは少し違う、切なさと温かさのある叙情歌だと話しています。
二葉あき子が歌った曲のカバーで、曲を作ったのは合田道人です。
自宅で稽古をしていると、イントロが始まるたびに猫が寄ってきて、足元や膝で眠ってしまう、と楽しそうに振り返っていました。
本人にとって、聴く相手を和ませるところも愛着のある歌だったのでしょう。
「人形の家」の張り詰めた感情とも、速いジャズの歌唱とも違う曲を、弘田は好んで歌っていました。
切なさを残しながら温かく感じられる歌も、後年の大切なレパートリーになっています。
「ひいふうみいよう」|2015年シングル収録曲の公式ミュージックビデオ
2020年の取材では、若い歌手の音楽にも刺激を受け、さまざまなジャンルへ挑戦したいと話していました。
その一方で、受け取った曲は何度も練習し、自分なりの表現を重ねるという姿勢は一貫しています。
「人形の家」で自由に任された歌い方も、後年の新しいカバーも、自分の歌として成立させようとする仕事でした。
快活さから悲しさへ、そして温かさへ、以前の歌い方を順に捨てたわけではありません。
リズムを動かす声と、感情を濃く伝える声を持ち続けながら、その声が担う役割を広げていった歩みです。
声の迫力をつくる唸りや発音の個性については、弘田三枝子の歌い方で取り上げています。







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