ジャニス・ジョプリンは、ビリー・ホリデイやアレサ・フランクリンが、ごく少ない音で深い感情を伝えられることに憧れていました。自分にはまだそこまでの繊細さがなく、今あるのは強さなのだと語っています。
あの声の持ち主が、強く歌えることだけでは満足していなかった。その言葉を知ると、激しい歌の聴き方も少し変わります。
曲の速さを変え、柔らかい声を使い、伴奏を外して歌ってみる。ジャニスは、持っている声をどう歌にするか、試し続けた人でした。1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルで歌った「Ball and Chain」から、その工夫をたどってみましょう。
「Ball and Chain」は、じっくり言葉を歌える速さになった
「Ball and Chain」は、ジャニスが書いた曲ではありません。ブルース歌手のビッグ・ママ・ソーントンが作った曲を、ジャニスとBig Brother and the Holding Companyのメンバーがクラブで聴き、本人に断って自分たちも歌うようになりました。
彼らは、その曲をかなりゆっくりした速さへ変えていきました。ジャニスは歌詞の一つひとつをどう歌うか掘り下げ、バンドと何度も演奏しながら、自分たちの形にしていったのです。
ゆっくり歌うと、言葉と言葉の間に時間ができます。一つの言葉を短く言い切るのか、長く引き延ばすのか。その選択によって、同じ言葉でも、問いかけているようにも、答えが返ってこなくて苦しんでいるようにも感じられます。声を強くする前から、歌の表情を変えられるわけです。
モントレーでの「Ball and Chain」も、小さく歌い始め、そこから激しい声へ進む演奏でした。終始、最大の力で押し続ける歌ではありません。静かになったところを聴くと、そのあとに出る荒々しい声も、一曲の中で感情が変わっていく過程として受け取りやすくなります。
すでに強弱や間を使える歌手が、さらに少ない音で、もっと多くを伝えたいと思っていた。本人の言葉を踏まえると、この激しい歌にも、そこで満足しない向上心が重なって見えてきます。
「Me and Bobby McGee」で、柔らかい声から始める
1970年に録音され、翌年のアルバム『Pearl』に収められた「Me and Bobby McGee」では、ジャニスの別の声に注目できます。
プロデューサーのポール・ロスチャイルドは、教会の聖歌隊で歌っていたころのように歌うことを、彼女に勧めたと振り返っています。彼がこの曲の歌唱について説明したのは、冒頭の優しい声から、終盤の激しい歌へ進む流れでした。
この曲は、旅をともにした人との思い出をたどる歌です。静かに語れる声があるから、後半の強い声にも、それまでに語ってきた思い出が重なります。優しさと激しさの両方を使うことで、旅の記憶と、その人を失った気持ちを一曲の中で伝えられるのです。
ツアー・マネージャーだったジョン・バーン・クックは、当時のジャニスから、ロスチャイルドとの仕事に驚かされていると聞きました。彼女は、ライブで歌うことと録音することの違いを話し合い、それまで舞台には向かないと思っていた声の使い方も考えるようになっていたそうです。
大勢の前で歌う場面と、マイクに声を録る場面とでは、同じ歌手にも違う可能性がある。強烈なステージで知られるジャニスが、その違いを学んでいたところに、『Pearl』を聴く面白さがあります。
しかも、周囲に言われたとおりに歌うだけではありませんでした。録音中には、自分からギターの弾き方やテンポについて案を出していたことが、残されたセッションの記録から分かっています。自分の声だけでなく、その声を支える演奏にも耳を向けていたのです。

伴奏なしでも、冗談が伝わる「Mercedes Benz」
『Pearl』には、もう一つ、ジャニスの声の幅を考えたくなる曲があります。「Mercedes Benz」です。
この曲では、神様への願い事として、高級車やテレビなど、欲しい物が並びます。祈る形を借りて人間の物欲を歌う、皮肉のある小さな曲です。その前提が分かると、悲しみを訴えるブルースとは違う、からかうような可笑しさが見えてきます。
1970年10月1日の録音で、ジャニスは伴奏のバンドを使わずに歌いました。とても大事な話を始めるような前口上のあとで、高級車を欲しがる歌に入る。大げさな始め方と願い事の内容との食い違いも、この歌の可笑しさになっています。
楽器が少ないほど歌が弱くなる、というわけではありません。ここでは、言葉の調子やリズムをほかの音に紛らせず、そのまま受け取れます。ジャニスの声を、痛みや怒りだけに結びつけて聴いてきた人には、同じ声で冗談も歌えることが新鮮に感じられるかもしれません。
当時のジャニス自身は、すでにポルシェを持っていました。車がなくて困っている本人の訴えとして聴くよりも、さらに欲しがる人間のおかしさを歌う声として聴くと、この曲の皮肉がよく伝わります。短い歌でも、歌手がどんなつもりで言葉を口にするかによって、聴き手に届く意味は変わるのです。
強い声のまま、表現を増やしていく
ジャニスが憧れた、少ない音で深く伝わる歌。それは、彼女らしい激しさを捨てることとは違ったはずです。
むしろ、強く歌える声を持ったまま、静かに語る時間も、優しく始める方法も、可笑しさを伝える調子も増やしていく。その途中に残された歌として聴くと、ジャニスの個性は、荒れた声の響きだけに収まりません。
次に「Me and Bobby McGee」を聴くときは、後半の盛り上がりを待ちながら、冒頭の柔らかい声も味わってみてください。あの激しい声を出せる歌手が、この歌ではここから始めた。その選択に、もっと違う伝え方を覚えたいと願っていたジャニスが見えてきます。
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