堀内孝雄の歌には、静かに語りかける曲も、感情を強く押し出す曲もある。
声がよく伸びるから、どの曲でも力いっぱい歌うわけではない。
堀内は、先に受け取った歌詞から人物や場面を思い描き、その言葉に似合うメロディを探してきた。
歌声の強さも、歌に必要なものを考えた結果として選ばれる。
2024年の「青二才~わが友よ」では、石原信一の詞から、しんみりした曲にはならないと感じたという。
もっと対照的なのは、2013年のアリスのアルバム『ALICE XI』だ。
谷村新司は、同じアルバムで堀内に「絶叫して」と求めた曲を書き、別の曲では、重い言葉を堀内のやさしいメロディに託した。
どちらも同じ歌手、同じ時期の仕事である。
二曲を分けたのは年齢でも肩書でもなく、届けたい言葉だった。
「愛しき日々」では、先に主人公を見つける
堀内は、完成したメロディへあとから詞を当てはめる作り方をほとんどしない。
詞の紙を家の引き出しに挟み、通るたびに目に入るようにして、曲の取っかかりを待つこともある。
受け取った言葉の中に、誰がいて、どんな場面に立っているのかを考える。
小椋佳が詞を書いた「愛しき日々」について、堀内は、読むうちに主人公の姿が見え、物語が自分の中へ入ってきたと語った。
すると、その人物に合わないメロディは、作る前に選択肢から外れていく。
言葉を無視して「堀内らしい声」を先に置くのではなく、歌の人物に声を預けるための順番だ。
本人にとってこの曲は、過去を懐かしむだけの歌でもない。
弱気になったとき、歌ったり聴いたりすると、もう一度頑張ろうという気持ちが湧いてくるという。
穏やかな曲だから感情まで弱くする必要はない。
静かな言葉にも、歌う人を立ち上がらせる力がある。
アリスの谷村新司をはじめ、さまざまな作詞家との出会いが堀内の歌をどう広げたかは、堀内孝雄の歌唱変遷でたどる。
ここでは、受け取った一曲をどう歌うかに絞って見ていきたい。
「縁」では、言葉の並びが三拍子を求めた
詞が決めるのは、曲の明るさや暗さだけではない。
小椋佳が作詞した「縁」について、堀内は、言葉の並びを見て三拍子でなければ乗らないと感じたと話している。
出来上がったのは、本人の曲としては珍しい、短調の三拍子だった。
言葉を歌にする段階で、一節が進むリズムまで選び直している。
堀内はこの詞に、愛とは何かと考える自分への答えを見つけたとも語った。
曲の登場人物を思い浮かべるだけでなく、問いかける言葉の順番や、その答えへ向かう時間も受け取っているのだ。
「縁」を聴くときには、伸ばした声の美しさとともに、一つの問いが三拍子の中でどう次の言葉へつながるかにも注目できる。
谷村が「絶叫して」と頼んだ言葉
『ALICE XI』の「悲しいほどに晴れた日に」は、谷村が詞を渡す段階で、堀内に激しく歌ってほしいと明確に伝えた曲だ。
谷村は録音に立ち会えなかったが、あとで聴くと、堀内はキーを上げ、思い描いていた強い歌で応えていたと話している。
堀内の声に力があるから、とりあえず高いキーにしたという話ではない。
詞を書いた谷村がこの曲には強い表現が必要だと考え、堀内がその求めに応じた。
求められた言葉のために、いつもより強く歌う選択をしたのだ。
谷村は、堀内が作りやすい言葉だけを渡していたのでもない。
同じアルバムの「Boys be」では、冒頭に短い英語を繰り返す詞を渡し、堀内がどう曲にするか楽しみにしていた。
堀内も、最初はどうすればよいのか戸惑ったという。
谷村によれば、あえて難しい言葉数を入れることも、いつもの形に固まらないための刺激だった。
堀内はそれに音で答え、谷村を驚かせた。
短い言葉を反復する曲と、物語を一節ずつ進める曲では、声に任される仕事も違う。
詞に従うというのは、意味を丁寧に説明するだけでなく、その言葉がどんな音として繰り返されるかを考えることでもある。

出典:USEN encore
「ユズリハ」は、重い詞をやさしく届ける
同じアルバムの「ユズリハ」は、生と死、次の世代へ受け渡すことを扱う。
谷村は、その主題をそのまま言葉にすると生々しく聞こえるが、堀内のやさしいメロディなら聴き手が受け入れられると考えた。
堀内自身も詞の重さを感じ、暗い調子ではつらくなるため明るい調の曲にしたと説明している。
重い内容は重く歌うしかない、とは考えていない。
声や旋律をやさしくすることで、避けたくなる話を相手へ届けられる。
堀内の穏やかさは、感情を薄めるためのものではなく、聴き手に言葉を手渡すための選択だ。
ここでは一人で完結する歌い方とも違う。
2013年の録音で、堀内が歌い始めたあとに谷村の声が加わる。
谷村は二人でハモる際、声の揺れ方をできるだけ合わせると話した。
堀内も「ユズリハ」を、三人のアリスのメッセージが交互に入る曲と受け止めている。
やさしさを一人の声色だけで作るのではなく、ほかの声と並んだときに言葉が届く形を探していた。
二人の声が重なる場面では、どちらが強く響くかだけを聴いていると、この工夫を見落としやすい。
一人で言葉を運ぶところから、もう一人の声が加わったときへ。
長く伸ばす音で声がどう寄り添うかに耳を向けると、ソロの穏やかさと、二人で作る穏やかさの違いも考えられる。
伸びる声をどこで使うか
堀内が歌の強弱をどう考えるかは、ほかの歌手へ曲を渡したときの助言にも表れている。
二見颯一に提供した「泣けばいい」では、最初は抑えめに歌い、後半へ進むにつれて二見らしい伸びやかな声を出してほしいと伝えた。
二見が持つ民謡や演歌の声の魅力を消さず、一曲の中で使う場所を決めたのだ。
これは二見への具体的な助言で、堀内が自分の全曲を同じ順番で歌うという意味ではない。
それでも、よく響く声を持つ人に対してさえ、最初からすべて出し切ることを求めなかった点は大きい。
後半の声が生きるように、そこへ至る時間も歌として作る。
堀内が大切にするのは「強い声か、やさしい声か」の二択より、曲の言葉が必要とする場所に声を置くことだ。

出典:カラフル
「愛しき日々」では主人公の姿を見つけるまで詞と向き合い、「悲しいほどに晴れた日に」では谷村の望む激しさに応え、「ユズリハ」では重い主題をやさしく届けた。
声の強さは堀内孝雄の固定された印ではない。
その曲の人物が、誰に何を伝えるかを読み取ったあとに選ばれる。
だから同じ歌手のやさしさと力強さが、どちらもその歌らしく響くのだ。







コメント