アンドレア・ボチェッリの歌声の変遷|響きを広げる歌から、そばで語りかける歌まで

2018年の取材記事に掲載されたアンドレア・ボチェッリ/撮影:Luca Rossetti アンドレア・ボチェッリ
2018年の取材記事に掲載されたアンドレア・ボチェッリ/撮影:Luca Rossetti

アンドレア・ボチェッリの名前から、「Time to Say Goodbye」の大きな広がりを思い浮かべる人は多いでしょう。
けれど、その歩みには、恋の歌を親密に届ける時間も、映画の旋律へ自分の記憶を重ねる時間もあります。
オペラとポップスを歌うことは、彼にとってどんな経験だったのでしょうか。
作品を選ぶ理由と、年齢を重ねた声への本人の言葉から、その変化をたどります。

オペラへの憧れと、ピアノバーで歌った日々

ボチェッリは子供の頃からオペラを好み、7歳でレコードを欲しがるほどでした。
コレッリやジーリらの声を聴き分け、歌うことに夢中になっていたと振り返っています。
一方、世に知られる前の彼は、ピアノバーで演奏し、歌う青年でもありました。
二つの世界をつなぐ機会となったのが、1992年のズッケロとの出会いです。
「Miserere」のデモでテノールの部分を担当し、パヴァロッティにも声を聴かれることになりました。
その後ズッケロのツアーに加わった経験を、本人はオペラとポップスへの二つの情熱を示せた転機として語っています。

歌唱はルチアーノ・ベッタリーニに学び、憧れのフランコ・コレッリにも教えを求めました。
ピアノバーでの仕事には、歌のレッスン代を得る意味もありました。
人前で親しみやすい曲を歌う経験と、テノールとして学ぶ時間が、同じ生活の中にあったのです。

その声の周囲には、音楽を学び続ける環境もありました。
後に指揮者として長く伴走するカルロ・ベルニーニは、当初ボチェッリが学びに来たのは、ピアノの技術と音楽の知識だったと説明しています。
ベルニーニは自分を通常の発声教師とは位置づけていません。
声そのものへの訓練だけでなく、音楽を理解して演奏する土台も育てていたことが分かります。

1990年代、二つの舞台へ同時に進む

1994年、サンレモ音楽祭の新人部門で「Il mare calmo della sera」を歌い、優勝しました。
同じ年には、ヴェルディのオペラ『マクベス』でマクダフ役も歌っています。
歌手として広く知られ始めた時点で、両方の舞台に足を置いていました。
1995年には「Con te partirò」をサンレモで披露し、翌年にはサラ・ブライトマンとの「Time to Say Goodbye」へつながります。
一人のテノールが歌う曲から、異なる声が出会うデュエットへ。
後の活動にも続く、共演によって歌の届け方を広げる道が、早くから開かれていました。

2000年、『American Dream』公演でのアンドレア・ボチェッリ/Andrea Bocelli公式サイト
2000年、『American Dream』公演でのアンドレア・ボチェッリ/Andrea Bocelli公式サイト。
画像出典:画像掲載元

『Amore』『Passione』で、親密な歌へ戻る

2006年の『Amore』では、デイヴィッド・フォスターとともに、よく知られたラヴソングに取り組みました。
本人は、オペラと違ってポップスでは直感を頼りにし、自由な気持ちを呼び起こすと説明しています。
「Bésame Mucho」や、クリスティーナ・アギレラと歌う「Somos Novios」などが並ぶ作品です。
大きな響きで圧倒することだけに、歌の目的を置いていません。
親しんだ旋律に、自分の感情を自然に乗せていく方向へ、表現の場を広げました。

2013年の『Passione』にも、若い頃のピアノバーで歌った曲への愛着が息づいています。
「Love Me Tender」や「Corcovado」などを含む選曲は、過去の思い出を現在の歌として届ける試みでした。
フォスターとは多くの候補から曲を選び、自宅でも録音を進めています。
ボチェッリ自身は『Amore』と共通する考え方を持ちながら、今回はアメリカの歌がやや増えたと説明しました。

『Pasión』(2013年)収録音源。

2015年、映画の旋律に記憶を重ねる

『Cinema』は、以前から温めていた映画音楽の企画でした。
ボチェッリは、他の仕事で実現が遅れた一方、歌手として成熟してから取り組めたことが、結果に役立ったと考えています。
映画を見る前に音楽へ出会い、そこから物語を想像したこともありました。
彼にとって映画音楽は、映像の再現だけに縛られるものではありません。
「Cheek to Cheek」を歌うと両親を思い出すという話にも、旋律へ自分の記憶を重ねる姿勢が表れています。

同年のコンサートでは、『ウエスト・サイド物語』の「Maria」や『グラディエーター』の「Nelle tue mani」などを歌いました。
ニコール・シャージンガーとは『エビータ』の曲をスペイン語で共演しています。
映画、ミュージカル、複数の言語を横断する構成は、一つの声をさまざまな物語へ置いてみる機会にもなりました。
声の個性を保ちながら、作品ごとの世界へ入っていく歌です。

2015年公開のミュージックビデオ。

2018年、『Sì』で今の声に合う新曲を選ぶ

『Sì』は、14年ぶりにオリジナル曲を中心としたアルバムでした。
きっかけは「If Only」の旋律です。
「Con te partirò」を生んだフランチェスコ・サルトーリとルーチョ・クアラントットの作品に出会い、新曲集へ踏み出しました。
ボチェッリは、年齢を重ねるほど選曲に慎重になったとも語っています。
声の特徴を活かし、自分の感受性や価値観にも合う曲を求めたのです。
本人は急激な作風変更とは考えず、現代的な「Fall on Me」や、複雑な和声を持つ「Vertigo」など、挑戦を含む作品として捉えていました。

息子マッテオとの「Fall on Me」も、このアルバムの一曲です。
デュア・リパやエド・シーランらとの共演を含む新曲集と並行して、2018年にはオペラ『ランメルモールのルチア』の録音と舞台にも取り組みました。
若い歌手との出会いも、オペラで役を演じる経験も、並行して表現を増やす機会になっていました。

2020年、歌う目的が祈りと結びつく

2020年の復活祭、ミラノ大聖堂から届けた『Music for Hope』を、ボチェッリはコンサートというより、ともに祈る時間だったと振り返っています。
会場に人がいなくても、離れた人々とつながっていると感じたといいます。
同年の『Believe』は、以前から考えていた企画が、ロックダウンによって切実になった作品でした。
声を届ける目的に、聴く人が静けさを取り戻し、自分の内面と向き合う時間を作るという願いが、より明確に表れます。

その出発点の一つは、2020年3月に自ら作曲した「Ave Maria」でした。
アルバムには宗教曲だけでなく、「Hallelujah」や「You'll Never Walk Alone」も収めています。
決まったジャンルの中から曲を選ぶのではなく、希望や精神的なつながりを感じられるかどうかで選ぶ。
『Amore』で親密な愛を歌っていた人が、ここでは、離れた誰かを支える歌にも目を向けています。

年齢による変化と、積み重ねた技術

2022年、マッテオ、娘ヴァージニアと『A Family Christmas』を作った頃、ボチェッリは声が毎年変わると話しています。
だからこそ、その時点の声を最も活かせる条件を作り直す必要がある。
若い時と同じ状態を保つことだけを、歌い続ける条件にしてはいません。

2022年、マッテオ、ヴァージニアとともに/写真:Classic FM
2022年、マッテオ、ヴァージニアとともに/写真:Classic FM。
画像出典:画像掲載元

2024年には、さらに具体的な変化も明かしました。
若い頃のような細かなビブラートは再現しにくい一方、技術的には高音を出しやすくなったというのです。
長年の勉強、試行、考察によって、若い頃にはなかった確かさも得たと説明しています。
高い音が出るかどうかと、声の揺れがどう変わるかは、同じ尺度ではありません。
年齢によって失うものと、経験によって扱いやすくなるものが、一つの声の中に共存しています。

この歩みを通して見えてくるのは、一つの歌い方を守り抜いた歌手というより、声の個性を守りながら、歌の役割を選び直してきた歌手です。
華やかなデュエット、親密なラヴソング、祈りを託す曲。
何を、誰と、誰へ向けて歌うのかによって、その声は違う距離から届きます。
具体的な声の選択については、アンドレア・ボチェッリの歌い方で掘り下げています。

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