ビリー・コーガンの声には、柔らかな歌にも激しい歌にも、すぐにそれと分かる癖があります。
その癖が残っているため、長い活動をひとつの歌い方で通してきたように感じるかもしれません。
けれど、録音で求めた声、ライブで使える声、ひとりで歌う時に選んだ声をたどると、違った歩みが見えてきます。
The Smashing Pumpkinsの初期作品から、静かな『Adore』、ソロの『Ogilala』、女性コーラスを迎えた『CYR』へ。
特徴的な声を消すのではなく、その声で何を歌えるかを広げてきた過程を追います。
声質の違いを、年齢だけに結びつけずに見ていきましょう。
歌手になる予定から始まったわけではなかった
若い頃のコーガンは、まずギタリストとして認められることを望んでいました。
ところが、初期のバンドの歌い手が自分の曲を歌おうとしなかったため、自ら歌うようになります。
声を理由に否定された経験もあり、レコード会社から届いた拒否の手紙まで残していると、後年に振り返っています。
やがて、自分の強みは作曲、制作、歌詞や旋律にあると気づいていきます。
ギターが以前ほど中心ではなくなることに、後ろめたささえ覚えたという変化でした。
自分の曲を歌うことは、ギタリストとしての理想とは別の才能を、作品の中心へ置くことでもありました。
歌が最初から自信の中心にあった人ではなかったのです。
だからこそ、その後の歩みは、理想の声を手に入れた成功物語とは少し違います。
作った曲を自分で届けるところから始まり、扱いにくいと感じていた声が、作品を結びつける個性になっていきました。
『Siamese Dream』の柔らかさと、ライブで必要だった声
1993年の『Siamese Dream』について、コーガンはスタジオでは柔らかくきれいな声で歌っていたと振り返っています。
大音量のライブでは、その歌い方の再現が難しかったといいます。
初期の録音の声と、ステージで前へ出る声の間には、本人も意識していた距離がありました。
1995年の『Mellon Collie and the Infinite Sadness』では、フラッドがライブのバンドらしさを録音へ持ち込もうとします。
歌でも、ヘッドホンを使わず、スピーカーから伴奏を聴くとコーガンの音程がよくなることを見つけました。
録音環境を変えることが、歌の出方を変える手がかりになったのです。
ここで大切なのは、初期の声が未熟で、後の声が完成形だったという並べ方をしないことです。
細かく作れるスタジオと、その場で音を届けるライブでは、求められる条件が違います。
彼の変遷には、歌い手自身の変化と、歌を引き出す環境の変化が重なっています。

画像出典:画像掲載元
1995年には、激しさの隣に「1979」があった
同じアルバムの「1979」は、バンドで演奏してもしっくりこず、完成の直前まで形が決まりませんでした。
コーガンは自宅で歌のアレンジを見直し、アコースティックのデモを作ります。
フラッドはそこにある良さを認め、そのデモを出発点に録音を進めました。
次作『Adore』へ向かう考えは、前作の発売前からありました。
本人が新しい方向への足場として挙げていたのも「1979」です。
1998年の静かな作風は、突然ロックを歌えなくなった結果ではなく、以前から育てていた選択でした。
「Bullet with Butterfly Wings」の切迫した歌だけを、当時のコーガンの全体像にすることはできません。
同じ作品の中に、歌を別の伴奏へ置き直す発想もありました。
激しさから静けさへ一直線に進むのではなく、複数の方向を持ちながら、作品ごとに重心を動かしていきます。
『Adore』で、弱さを歌の中心に置く
『Adore』の頃には、声への不満から歌のレッスンも受けていました。
それでも、鼻にかかった高めの声という自分の特徴は残ると捉えています。
歌唱を学ぶことと、もともとの声の個性がなくなることは、本人の中でも同じではありませんでした。
この時期に求めたのは、叫んで注意を引くことから、もっと傷つきやすい感情を差し出すことへの移行でした。
「To Sheila」のアコースティックな響きや、「Perfect」の電子的な質感は、その歌を受け止める背景になっています。
音の強さを抑えた場所で、声に含まれる揺れや頼りなさも、表現として前へ出てきます。
アルバムのまとまりを優先し、直線的なロック曲や、重すぎると感じた曲を収録から外した判断もありました。
声だけを柔らかくするのではなく、どんな曲を並べ、どんな気分の中で聴かせるかまで選んでいたのです。
『Adore』の変化は、歌唱と作品全体の設計を合わせて見ると分かりやすくなります。
2012年、自分の声を受け入れる言葉
2012年には、かつて厄介だと思っていた声が、自分の音楽をひとつに結びつけてくれたと語るようになります。
別の誰かに似た声だったら、得られなかった機会もあっただろうという捉え方です。
一方で、憧れる歌手のような高音を自分が出せるとは考えていませんでした。
これは、何でも歌えるようになったという宣言ではありません。
できることと、できないと感じることを含めて、この声の役割を認めるようになった言葉です。
声への不満を抱えていた時期と比べると、特徴を欠点として直すことだけが、進む方向ではなくなっています。
『Ogilala』で見せた、自然な声と歌の物語
2017年のソロ作『Ogilala』には、制作を急いでいたわけではない時期に生まれた曲が集まりました。
過去のソロへの反応から距離を置いていたコーガンに、リック・ルービンは、作った歌を信じるきっかけを与えます。
家庭での暮らしや旅を通じて書いたものが、新しい作品へつながっていきました。
いったん別のアルバム制作を離れ、発表するかどうかより、自分が気に入る歌を書くことへ戻っていました。
家での作業や旅で得た着想の中に、希望や憧れを見つけていきます。
静かな作品へ進む背景には、歌う内容を身近な場所から探し直す時間がありました。
本人は、このアルバムの歌い方を自然な歌声と説明しています。
以前の歌唱には、役柄を演じるような面もあったという振り返りです。
ルービンが重視したのは、音符をすべて正しく歌うこと以上に、一曲の感情や物語がどう進むかでした。
その方向に歌を導かれたことを、コーガン自身も制作上の大切な経験として語っています。
声を裸に近い形で出すことは、技巧を捨てることではなく、歌の何を伝えるかを絞る選択でした。

画像出典:画像掲載元
他の声と重なり、再びバンドの音へ
2020年の『CYR』では、ケイティ・コールとシエラ・スワンによるバックボーカルが加わりました。
コールは、2019年のコーガンのソロ作『Cotillions』でも一緒に歌っており、声の組み合わせを気に入られたことが次の協働につながったと説明しています。
ひとりの声を際立たせるだけでなく、他の声と組み合わせて曲を作る方向が、バンドの中でも広がりました。
2024年の『Aghori Mhori Mei』では、初期のバンドを動かしていた感覚へ戻ろうとしています。
ただし、長い経験を積んだ現在の自分たちが、昔と同じ状態になるわけではありません。
本人が探したのは、若い頃にバンドを始めたくなった衝動であり、当時の音をそのまま複製することだけではありませんでした。
柔らかなスタジオの歌、切迫したバンドの歌、静かな独唱、他者との重なり。
コーガンの声は、ひとつを身につけるたびに以前の表現を失ったのではなく、異なる場所で働くようになりました。
変わらない声の癖と、変え続けてきた歌の置き方を一緒に見ると、その長い歩みがつながります。
現在の歌い方を、声の質感や曲ごとの選択から掘り下げた記事もあります。
ビリー・コーガン(The Smashing Pumpkins)の歌い方では、尖りを生かす伴奏との関係や、「Aeronaut」のテンポを変えた理由を見ていきます。

こちらの記事もおすすめ

録音、伴奏、テンポ、コーラスの具体的な選択から歌い方を掘り下げます。

カート・コバーンが歌を届ける方法を広げ、アコースティックの舞台で歌い直すまでをたどります。

リアム・ギャラガーが声の個性を生かす方法を選び、ソロからOasis再結成へ進むまでをたどります。



コメント