比嘉栄昇の歌唱変遷|「恋しくて」から、みんなが歌える声の居場所へ

2021年の取材記事に掲載された比嘉栄昇(撮影:岩倉千花) シンガー
2021年の取材記事に掲載された比嘉栄昇(撮影:岩倉千花)

BEGINの比嘉栄昇は、ブルース、島唄、ソロの小さな歌、客席も参加するメドレーへと、歌う場所を広げてきました。
その歩みをたどると、曲の種類が増えただけではないことが分かります。
言葉を明瞭に届けること、声の強さを抑えること、演奏を止めずに歌い続けること。
何を聴き手と分かち合いたいかによって、声の使いどころも変わってきたのです。

「恋しくて」と「島人ぬ宝」を別々の時代の顔として並べるだけでは、その間にあった迷いや発見は見えてきません。
本人が語ってきた歌への考え方と、実際に選んだ作品を重ねながら、比嘉栄昇の変遷をたどります。

初期――日本語を、きれいな発音で届けたかった

石垣島出身の幼なじみ三人で活動するBEGINは、1990年に「恋しくて」でデビューしました。

結成当初は打ち込みも試していましたが、三人でアコースティックのブルースを演奏しようとしたところから、この曲は生まれています。

比嘉には、発音を大事にした切実な理由がありました。
上京後、沖縄出身ということで外国人と誤解された経験から、バンドを通して沖縄が日本であることを伝えたかった。
初期にこだわったのは、日本語をきれいに発音して歌うことだったと振り返っています。

ブルースを歌うことと、日本語を明瞭に伝えることが、一つの歌の中にあった。
この出発点を知ると、初期のBEGINを洋楽への憧れだけで説明できなくなります。
どんな音楽をやるかと同時に、その声を誰の声として受け取ってほしいかが、比嘉にとって大切だったのです。

島唄へ――身近すぎて踏み込めなかった音楽を、自分でも歌う

高校時代にロックを演奏していた比嘉は、同世代の大島保克や新良幸人の島唄を見て、自分たちが手を出す領域ではないと感じていました。
その境目を越えるきっかけが、大島からの共作の誘いで生まれた「イラヨイ月夜浜」でした。
比嘉自身、この曲がBEGINを島唄へ導いたと語っています。

2000年の『ビギンの島唄〜オモトタケオ〜』を作る頃には、洋楽を学んできた時とは違う感覚で、旋律が浮かぶことに気づきました。
その感覚に名前を付けたのが、島唄を作る時に現れる架空の存在、オモトタケオです。

2000年『ビギンの島唄〜オモトタケオ〜』収録版。

生まれ育った土地の音楽でも、自分の表現として引き受けるまでには距離があった。
だから島唄への広がりは、最初から用意されていた路線というより、仲間との出会いの中で見つけた歌の居場所でした。
新しいジャンルを身につける時に、遠くへ出かけることもあれば、自分の足元にあったものを見直すこともある。
BEGINの場合、その両方が歌の幅を作っています。

「防波堤で見た景色」の歌詞は、比嘉がニューヨークへ出かけて書いたものでした。
そこで言葉になったのも、故郷の石垣島への思いです。

この曲を挟むと、ブルースから島唄へという変化が、音楽の種類を切り替えただけではないことが見えてきます。
遠い街にいる自分が、どこを思って歌うのか。
土地の名前を歌に入れること以上に、歌の中で誰の暮らしを見つめるかが、BEGINの表現に重みを加えていきました。

「島人ぬ宝」は、石垣島の中学生たちと歌詞を作った曲です。
2019年、比嘉は、その子どもたちが大人になる間も曲が歌われ続けてきたことを喜んでいました。
歌が広がることと、歌に関わった人の暮らしが続くことが、同じ時間の中にあります。

2022年公開の20周年MV。

2002年『Hello!オズワルド』の取材時の比嘉栄昇
2002年『Hello!オズワルド』の取材時の比嘉栄昇。
画像出典:画像掲載元

2006年――ソロで、強く歌わない難しさを知る

初のソロアルバム『とうさんか』では、聴き手がゆったり過ごせるよう、声を抑える歌唱を意識しました。
比嘉は、その加減が難しかったと話しています。
また、田端義夫のために作った「旅の終わりに聞く歌は」には、以前は自分で歌えないと感じていたものの、親への思いを支えに取り組みました。

ここで広がったのは、大きな声を出せる場面だけではありません。
声の力をどこまで使うかを選び、その歌を自分が引き受ける理由も探す。
歌える曲が増えるということには、音域や技巧とは別に、その言葉を今の自分で言えるようになる、という変化も含まれます。

グループで親しまれる歌声が、ソロではもっと個人的な距離に置かれた。
『とうさんか』は、比嘉の温かさを、歌の内容と声の強さの両方から考えるうえで、大事な作品になっています。

2014〜2015年――歌い継ぐ曲と、止まらずに歌う曲

2014年のソロ作『えいしょうか その一』では、「赤とんぼ」「故郷」などの唱歌や叙情歌を取り上げました。
続く『その二』では、「街の灯り」「遠くへ行きたい」などへ選曲が広がります。
一五一会を中心にしたアコースティックな編成が、世代を越えて知られる歌を支えました。

自作曲を歌う時、聴き手はその歌と声を同時に知ることがあります。
一方、すでに知っている旋律を別の歌手が歌うと、同じ言葉をどう渡すかに意識が向く。
このシリーズでは、曲そのものへの記憶と比嘉の声を重ねて聴けるようになりました。

『その一』には、自作の「郵便ポストに投函した日」も収められています。

昔から知られる曲を歌うことと、今の自分の歌を作ることが、同じ一枚の中にある。
懐かしい曲へ戻るだけで終わらず、歌い継がれてきたものの隣へ自分の作品を置いたところにも、ソロ活動の意味があります。

「郵便ポストに投函した日」短縮版リリックPV。

翌2015年の『ビギンのマルシャ ショーラ』では、「島人ぬ宝」「三線の花」「涙そうそう」などを、ブラジルのマルシャのリズムで録り直しています。
馴染みのある曲も、新しい演奏の流れの中へ置かれました。

比嘉が魅力を感じたのは、曲が終わってもリズムが途切れず、次へつながっていくことでした。
歌が続くうちに緊張がほどけ、二拍子に揺れる人たちの間に、穏やかな一体感が生まれる。
その経験を、自分たちなりの形で伝えようとしたのがマルシャ ショーラです。

一曲の始まりと終わりを際立たせる歌から、次の曲へ人を連れていく歌へ。
同じ代表曲でも、演奏の区切り方が変われば、その中で声が担う役割は変わります。
一人の歌に耳を澄ませる時間と、みんなで体を揺らし続ける時間の両方が、比嘉の活動に加わったのです。

「三線の花」2015年『ビギンのマルシャ ショーラ』収録版。

2022年11月の「うたの日」取材時の比嘉栄昇
2022年11月の「うたの日」取材時の比嘉栄昇。
画像出典:画像掲載元

2020年代――暮らしの中で歌い、毎回言葉へ戻る

2016年の時点で比嘉は、2001年に始めた「うたの日コンサート」が、年々、自分が歌う理由として大きくなっていると話していました。
待ってくれる人のために歌い、歌そのものを皆で祝う。
活動を続ける動機も、客席と結び付いています。

2025年のアルバム『太陽』では、三人が石垣島で時間をかけて制作しました。
比嘉は「なんくる君であれ」のゆったりしたテンポについて、都会では同じように録れなかっただろうと説明しています。

何十年も一緒に演奏してきた三人でも、どこで、どんな時間を過ごして録音するかによって曲の感触は変わる。
熟練があれば環境の影響を受けなくなるのではなく、その時の演奏を受け止める余地が残っているのです。

同じ2025年、比嘉は、覚えている歌でも紙の歌詞を見ながら歌うようにしていると明かしました。
頭の中で歌の表情を先回りして作る感覚を避け、初めて録音する時のように、目の前の言葉から歌いたいという考えです。

長く歌えば、言葉も旋律も体に馴染んでいきます。
それでも慣れた歌い回しだけに任せず、もう一度その言葉に向き合う。
比嘉が重ねてきた経験は、歌を完成した型に閉じ込めるためだけのものではありませんでした。

初期に大切にした発音から、ソロでの声の抑え方、客席と続けるリズムへ。
比嘉栄昇の変遷には、聴き手との距離を選び直してきた一貫性があります。
歌声の中に何を込めるかとともに、その声が届いた先で、どんな時間が生まれるかを考え続けてきたのです。

声の強さ、言葉、演奏の流れとの関係は、比嘉栄昇の歌い方で詳しく取り上げています。

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