「なごり雪」の歌声が長く親しまれているイルカにも、声が出ないことに悩んだ時期がありました。
50代のことです。
本番で母音と子音をはっきりさせ、深く呼吸することを意識した経験から、言葉を伝えることが自分の歌なのだと捉え直しました。
優しい声の印象が変わらないと評されながら、本人は一曲の歌い方が舞台で変わることを自然に受け止めています。
代表曲を引き受けるまでの迷い、力強く歌う曲への広がり、息子と作った新しいハーモニー。
イルカが歌い続けるなかで確かめ、選び直してきたものをたどります。
「なごり雪」シングル版(1975年)
「なごり雪」を、自分の大切な歌として引き受ける

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イルカは1971年にシュリークスでデビューし、1974年にソロへ進みました。
1975年の「なごり雪」は、かぐや姫が前年に発表した伊勢正三の作品です。
カバーを提案したのは、夫でありプロデューサーでもある神部和夫でした。
しかしイルカには、親しくしていたかぐや姫の歌を、自分が歌ってよいのかというためらいがありました。
その迷いは録音の日まで続きます。
スタッフが集まって準備を進めるなかでも、本人は申し訳なさでいっぱいだったそうです。
そこへ伊勢が訪れると、イルカは、曲が嫌いなのではなく、自分が歌うことを申し訳なく思っているのだと打ち明けました。
作者は、イルカが歌ってくれたらうれしいと伝えます。
その言葉を聞いた瞬間に、迷いが解けたと振り返っています。
「なごり雪」を歌い始めるときに必要だったのは、作者から託された歌として引き受けることでした。
それができたからこそ、後年まで自分の大切な一曲として歌っていけたのでしょう。
作編曲家の吉田哲人も、この曲の少しハスキーな声と、優しさの中にある力強さ、言葉から情景が浮かぶことを魅力として挙げています。
声の印象と、歌の中の景色が伝わることが結びついた一曲になりました。
仲間に支えられた1980年と、「Follow Me」の強い声
「なごり雪」の後も、イルカはさまざまな演奏者と作品を作っていきます。
1980年の『我が心の友へ』には、小田和正がプロデューサーとして参加しました。
当初予定していた木田高介が亡くなり、イルカ自身も歌えるだろうかと思うほどの衝撃を受けていたなかで、実現した録音でした。
相談を受けた小田が協力を申し出て、ロサンゼルスでの制作へつながったのです。
翌1981年の「Follow Me」でも、小田が編曲を手掛けています。
この曲では、穏やかな「なごり雪」とは違う、シャウト気味の歌唱を吉田が評価しています。
優しく言葉を届ける人が、力を込めた歌でも聴き手を引きつける。
初期からの歩みには、そうした表現の振幅がありました。
「Follow Me」シングル版(1981年)
「なごり雪」の印象だけでイルカを思い浮かべると、この強さは意外に感じられるかもしれません。
しかし本人は、後年も1980年代の音楽を、もう一度ステージで取り上げたいものとして振り返っています。
この時期に作った歌は、その後も戻っていける表現の一つになったのです。
50代、声が出ない時期に確かめ直した言葉
長く歌ってきたイルカが、いちばんつらかったと話すのが50代です。
夫の闘病を支える日々とも重なり、自分も疲れ切って、声が出ないことに悩んでいました。
大切な声が思うようにならないという、歌い続けるうえでの難しさに直面した時期でした。
本人によれば、リハーサルでは声が出ないのに、本番で母音と子音を明確にし、呼吸を深くすることを意識すると、不思議と声が出たといいます。
そこで改めて分かったのが、言葉を相手に伝えることこそ自分の歌なのだ、ということでした。
この体験で本人が見つめ直したのは、一つ一つの言葉をどう歌うかという基本でした。
「なごり雪」の歌声も、言葉が伝わり、情景が浮かぶ点を評価されています。
それまで聴き手に届いていたものの大切さを、歌う側からも確かめ直したと捉えられます。
声を出すことに悩んだ経験が、歌で何を届けたいのかを見直す時間にもなったのです。
2020年、息子と歌い直したシュリークスの曲
50周年を前にした2020年の『原石時代』では、ソロになる前のシュリークスを改めて取り上げました。
当時の録音を残す一方で、「風と共に」「川崎のキツネさん」などは、息子の神部冬馬と歌い直しています。
若い頃の声と、後年に録音した声が、一枚のアルバムに並びました。
本人は当時のラジオ出演で、粗削りだった頃の声も聴いてもらいたかったと説明しています。
過去の録音を残すことと、新しく録音することの両方に意味を持たせた企画でした。
現在の声で初期の曲をどう歌うかに加え、別の歌い手と声を重ねる機会にもなっています。
新曲「原石」は、イルカが詞を書き、冬馬が曲を書く、親子で初めての共作でした。
イルカが伝えたのは、二人で歌うので、ハーモニーを作れるメロディーにしてほしいという希望です。
新しい曲の段階から、一緒に歌うことを考えていたのです。
昔の曲を振り返るアルバムが、今の二人の歌を作るきっかけにもなりました。
原石 アルバム『原石時代』収録音源(2020年)
録音を終えても、一曲は舞台で育っていく
2022年の『うた の こども』には、親子共作の「君へのかぞえうた」も収録されました。
この曲では、シュリークスのようなハーモニーを聴きたいという制作側の提案を受け、二人で声を重ねることを思い描いて作曲したといいます。
一度だけの共作で終わらず、過去の経験を、新しい曲を作る方法としても生かしていました。
君へのかぞえうた アルバム『うた の こども』収録音源(2022年)
このアルバムを巡る取材では、歌声の優しい印象が昔と変わらないと評されています。
一方、イルカ自身は、録音時にはまだ歌い慣れていない曲もあり、コンサートで歌ううちに歌い方が変わっていくと話しました。
それを、あってよい変化だと受け止めています。
長く親しまれる声の印象を持つことと、毎回同じ形で歌うことは別です。
録音された一曲も、その後の舞台では、歌う経験を重ねた本人の歌になっていきます。
「なごり雪」から新しい曲までを歌い続ける姿勢には、録音した時点で表現を固定しない柔軟さがあります。
「うた の こども」アルバム『うた の こども』収録音源(2022年)
再び客席と歌い、昔の曲にも戻っていく
50周年の時期には、コロナ禍で予定していた多くの公演が中止になりました。
2025年の取材でイルカは、このまま引退することになるかもしれない、みんなと歌うコンサートはもうできないかもしれないと考えたことを明かしています。
再び一緒に歌えるようになってからは、一公演ごとにありがたさを強く感じるようになったそうです。

画像出典:写真掲載元
「なごり雪」についても、今では作者や自分の手を離れるほど、大きな歌になったと話しています。
さまざまな世代が歌い、それぞれの胸の中で育ててくれた曲だと受け止めているのです。
歌ってよいのかと迷った一曲を、長く歌い続けた先には、聴き手に託していく喜びがありました。
2026年の55周年ツアーでは、過去のアルバムを聴き直したことが選曲にも影響しました。
歌いたい曲が次々に出てきて、当初の構成を大きく変えたといいます。
近年のアコースティックな響きを残しつつ、1980年代の厚いバンドサウンドも取り上げることにしました。
しっとり歌う場面と、バンドと共に盛り上がる場面を、同じステージで届けようとしたのです。
また、2026年の別の取材では、「なごり雪」を歌う際も、細かく段取りを決めているわけではないと話しています。
イントロを聴き、演奏や客席の反応を受けながら、その日の歌が生まれていく。
本人は、日によって歌が変わることを楽しんでいます。
声に悩んだときには言葉と呼吸へ立ち返り、周年には初期の曲を今の仲間と歌い直す。
イルカにとって、昔の歌へ戻ることも、新しい歌を作ることも、歌い続ける同じ歩みの中にあります。
大切にしてきた言葉を、その日の声で、その場にいる人へ届ける。
長く親しまれる歌声の奥には、そうした選択の積み重ねがあります。
曲ごとの声の違いや、語尾と呼吸の扱いは、イルカの歌い方で詳しく取り上げています。







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