ジュンスの歌唱変遷|自分の声を残し、ポップスとミュージカルを行き来してきた歩み

2020年の取材写真に写るジュンス シンガー
2020年の取材写真に写るジュンス

ジュンスの歌を、ミュージカルへ進むにつれて声が強くなった歩みとして捉えると、見落としてしまうものがあります。
舞台で役を演じる一方で、録音では声の美しさだけにこだわらない選択をし、共演者とは力を抜いて声を重ねてきました。
ここでは2010年のミュージカル進出から2026年まで、本人や制作に関わった人の言葉をたどり、声をどのように使い直してきたのかを見ていきます。

周囲の発声をまねることから、自分の声で役を作ることへ

2010年に「モーツァルト!」でミュージカルの舞台へ進んだとき、ジュンスは歌い方の違いに戸惑いました。
初めは出演を断ったものの、台本と歌に触れるうち、主人公の苦しみに自分の状況を重ねていった作品でした。
役に自分の思いを託せる手応えがあっても、周囲の俳優と同じように声を出せるわけではありません。
2020年に振り返った本人の話では、当初は周囲の声楽的な発声をまねようとしていたといいます。
その迷いに対し、演出家のユ・ヒソンが勧めたのは、自分の個性まで失うような模倣をやめることでした。
作品から浮かない範囲で、自分の声を求めて来る観客へ、その声を届ければよい。
舞台に立つために声を全部取り替えるのではなく、持ち味を役の中で生かす方向が、ここで見えてきたのです。

その個性は、後には役柄との相性としても語られるようになります。
2018年、ミュージカル評論家のパク・ビョンソンは、ジュンスのハスキーな声が非現実的な人物を演じるときの魅力に結びつくと評しました。
「エリザベート」のトートや「ドラキュラ」のような役で注目されたのは、単に大きな声を出せることではありません。
普通の人間とは異なる存在に、固有の声の質感を与えられることでした。

2020年「モーツァルト!」の舞台に立つジュンス
2020年「モーツァルト!」の舞台に立つジュンス。
画像出典:画像掲載元

ソロ録音で知った、綺麗な声だけではない選び方

2012年の英語曲「Uncommitted」では、別の角度から声を磨く作業が行われました。
プロデューサーのBruce “Automatic” Vanderveerによると、Ebony Cunninghamが英語の音や母音、発音を指導し、ジュンスは素早く吸収したといいます。
翌年の「Incredible」では韓国語の詞作りにも参加しました。
声の持ち味を残すことは、言葉の響きまで以前のままにすることではなかったのです。

2013年のアルバム発表時、ジュンスは米国での録音について、多少声が割れていても感覚のよいテイクが選ばれることに触れています。
綺麗な音や高音だけで決めず、歌の感情が生きているかを重視する経験でした。
歌い方の変化をミュージカルの影響かと問われたときも、影響を否定しきるのではなく、その曲に合うと感じた歌い方を選んだと説明しています。
舞台用、ポップス用という区分より、目の前の曲から判断していたことがうかがえます。

同年の「11時 その程よさ」には、その歌の感情を途切れさせずに伝えるための映像が用意されました。
制作側は、孤独な気持ちと声の色を残すため、現場の音を含むワンテイクのライブ収録を選んだと説明しています。
歌だけを綺麗に整えることとは別に、その場所で歌が生まれている時間を届ける試みでした。

バラードを表に出しても、ダンスを手放さなかった

2015年の「FLOWER」の時期、ジュンスはコンサートを思い浮かべながらアルバムを作ると話しています。
すでにある曲を並べるだけでは、信じて来てくれる観客に応えられない。
新しい歌やパフォーマンスを用意することが、彼にとって大切な制作の理由でした。
活動の場に制約がある中でも、無難なものに収めるのではなく、舞台で新しい姿を見せる方向を選んでいたのです。

同年10月のミニアルバム「必ず昨日」では、それまでのソロ作の見せ方を変え、バラードをタイトル曲に選びました。
Luciaの書いた曲を、作家名を見る前に選んだという本人の話もあります。
さらに「TARANTALLEGRA」「Incredible」「FLOWER」をアコースティック版で収録しました。
既存のダンス曲にも別の伴奏で向き合うことで、同じ歌の異なる表情を作品として差し出したのです。

ただし、バラードへの選択を、ダンスから離れる宣言と受け取る必要はありません。
2016年の「Xignature」の取材で、本人は両方に違った魅力があると答えています。
ダンス曲ではパフォーマンスを通じてファンと交流でき、バラードでは繊細な感情を届けられる。
どちらかを上位に置くのではなく、伝えられるものの違いを認めていたのです。

同じ役にも、共演する相手にも応じて変える

舞台での表現も、役の形ができたら終わりではありませんでした。
2021年の「ドラキュラ」の取材で、ジュンスは、同じ台本でも演じるうちに新たな疑問が生まれると説明しています。
大きな設定が変わらなくても、台詞の強弱、トーン、話し方には調整の余地がある。
共演者から来る表現を受けて返すことも、公演ごとの違いになります。
人物像をなぞるだけでなく、その日の相手との関係から、声の表情を作り直していたのです。

2021年「ドラキュラ」の舞台に立つジュンス
2021年「ドラキュラ」の舞台に立つジュンス。
画像出典:画像掲載元

2022年の「A Low Constellation」では、本人が声の細部へ目を向けています。
ピアノとボーカルだけで構成した曲について、呼吸や息づかい、声の倍音にも耳を向けてほしいと話しました。
大きな編成で強さを示すだけでなく、声が含む小さな動きを作品の聴きどころにする選択です。

同じ年の「六等星」では、ジェジュンとの再会がまた違った声を引き出しました。
ジェジュンは、以前とは発声や歌い方が少し変わったジュンスと声を重ねると、グループで歌っていたころの感覚が戻ったと話しています。
二人は力を抜き、柔らかな声で歌いました。
経験による変化があっても、相手と重ねることで戻ってくる感覚もあったのです。

2023年8月の横浜公演では、「Yesterday」の日本語版や「Red Diamond(Japanese ver.)」も披露しています。
かつての曲をそのまま繰り返すだけでなく、日本語で歌う形を用意し、その日の観客に届ける選択が続いていました。
原曲の録音と、この公演での日本語歌唱は分けて捉えたいところです。
言語や公演の条件が違う歌を、声の衰えや成長だけで説明することはできません。

美しく歌うことより、役を生かすことを優先する場面も

2025年、ジュンスは歌手とミュージカル俳優を完全に切り離してはいないと語っています。
舞台で培った感情表現が歌に作用し、歌手としての経験も舞台に生きるという捉え方です。
共演者と一つの作品を作るときには、小さな失敗も全体へ影響する責任がある。
一人でコンサートを引っ張るときには、別の責任がある。
二つの現場を続けること自体が、彼の表現を支えてきたのでしょう。

2026年に語った「ビートルジュース」の経験では、さらに優先順位が変わっています。
従来はナンバーを明瞭に、感動的に、よい声で歌うことを考えていたのに対し、この作品では、人物を面白く、観客が納得できるように演じることが先に来ると説明しました。
速い台詞と高いテンションを保つために、別の集中が求められる。
声の美しさをいつも前面に出すことだけが、役に応える方法ではなくなっています。

2026年2月12日「M COUNTDOWN」での特別ステージ。

その一方で、2026年6月には5枚目のフルアルバム「GRAVITY」を発表しました。
ソウル公演では、タイトル曲の重いビートと幻想的なボーカル、強いパフォーマンスの組み合わせが伝えられています。
バラードとダンスを行き来するセットも組まれました。
舞台で人物を演じる経験を重ねても、ポップスの歌手として歌い踊る道は続いています。

2026年アルバム原版MV(本文のソウル公演とは別収録)。

ジュンスの変遷は、以前の声を捨てて新しい発声へ乗り換える一本道ではありません。
自分の声を残すこと、言葉の響きを学ぶこと、力を抜いて相手と重ねること、役のために美声の優先順位を下げること。
異なる選択を引き受けながら、声の使い道を広げてきた歩みといえるでしょう。
曲ごとの選択は、ジュンスの歌い方の記事で掘り下げています。

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