大槻ケンヂの歌声の変遷|叫びの先に見つけた、低く語る声

2018年の大槻ケンヂ。撮影:菊池貴裕 シンガー
2018年の大槻ケンヂ。撮影:菊池貴裕

大槻ケンヂの歌は、強烈な言葉を叫ぶ姿だけでは捉えきれません。
長く活動するうちに、声を抑えて旋律を歌い、低い音域で昔の曲を捉え直し、語ることそのものを音楽の中心に置くようになっていきました。
その歩みには、勢いを失わずに年齢を重ねるための、具体的な選択があります。

筋肉少女帯、特撮、弾き語り、オケミス。
活動の場が増えるたびに、同じ人の声に別の使い道が生まれています。
時代ごとの録音と本人の考えをたどると、若い日の歌い方を守るだけではない、大槻ケンヂの変化が見えてきます。

きれいに歌うことから始まらなかった

大槻が音楽を始めた頃、まずあったのは自分を表現したいという気持ちでした。
楽器を弾けなかったこともあり、ボーカルを担当するようになります。
本人が振り返る当時の地下音楽の場では、普通にうまく歌うより、常識を外れた表現のほうが面白がられる空気もありました。

1988年のメジャーデビュー作『仏陀L』を後年聴き直した大槻は、自分の歌を、若者が勢いで叫んでいるものとして振り返っています。
一方、三柴理は、その特殊な歌い方と言葉の世界を受け止められる音楽を作ろうとしていました。
この声だから成り立つバンドを探っていたのです。

1988年7月24日、チキンジョージ公演。左から三柴理、大槻ケンヂ
1988年7月24日、チキンジョージ公演。左から三柴理、大槻ケンヂ。
画像出典:画像掲載元

ここでは、歌手一人の完成度だけで作品を測れません。
声の危うさまで含めて、演奏とぶつかったときに何が起こるかが表現になっています。
後年の落ち着いた歌を考えるうえでも、最初から滑らかな歌唱を目標にしていたわけではない、この出発点が大切です。

特撮で広がった、歌える物語の幅

バンドの外で歌う道は、1995年のソロ作『ONLY YOU』にも表れています。
ばちかぶりやザ・スターリン、じゃがたらなど、影響を受けた日本のロックをカバーしたアルバムです。
自作の言葉を届けるだけでなく、他の歌い手の曲を自分の声で引き受ける経験が、特撮以前にもありました。

1999年には特撮を結成し、2000年に『アベルカイン』でデビューします。
別のメンバーとの活動が、その後も歌の選択肢を広げていきました。

2003年の『オムライザー』では、恋人同士を描く「SWEETS」のようなラブバラードにも踏み込んでいます。
大槻自身、届いた曲にさまざまな歌詞を付け、こういう歌も歌っていきたいと考えていました。
社会とうまく折り合えない人の叫びだけでなく、異なる温度の物語も自分の歌にしていく時期です。

この時期には、筋少を離れてからアンプラグドのツアーも行っていたと振り返っています。
激しいバンドの音だけが歌の居場所だったわけではなく、いくつもの活動を試す中で、後年の弾き語りへつながる場も生まれていました。

2006年に筋肉少女帯が活動を再開すると、大槻は、特撮などで歌ってきた感覚との違いを実感します。
バンドが変わると必要な動きも違い、筋少での感覚を取り戻していくようだったと振り返りました。
別の活動を経験したあとに古巣へ戻ったことで、それぞれの場所での歌い手の役割も捉え直しています。

声を張り続ける以外の魅力を見つける

2015年、大槻は長年の自分の歌唱法を、今後どう保ち、さらに伸ばしていくかを課題に挙げています。
年齢を重ねても活動を続ける歌手たちを見ながら、自分も声との付き合い方を考えていました。
変化をただ受け入れるだけでなく、今の声で何ができるかという問いが前に出てきます。

その具体例が、特撮の2016年作『ウインカー』です。
NARASAKIは、旋律がはっきりしていて、あまり声を張らずに歌える曲が、この時期の大槻の魅力を引き出すと考えました。
「荒井田メルの上昇」や「富津へ」などから制作が進み、激しさ一辺倒ではない作品になっています。

ここでの変化は、単に小声で歌うという話ではありません。
曲を作る側が、歌手の今の魅力に合う旋律と雰囲気を用意する。
その中で声を抑えるからこそ、叫ぶときとは違う言葉の届け方が選べるようになります。

同じ年の5月には声帯ポリープの手術を受け、その後しばらく歌えない時期も経験しました。
本人は、その間にも無言で出演する催しを開き、復帰は弾き語りから始めたと話しています。
『ウインカー』は手術前の作品であり、抑えた歌唱への試みを、すべて手術後の変化として説明することはできません。

弾き語りと朗読が、声の居場所を増やした

40代で始めたアコースティックギターも、音楽との関係を変えました。
それまでは鼻歌で作った旋律をメンバーへ伝えていた大槻が、自分の曲のコードを学び、弾き語りをするようになります。
音楽を分からないと言い続けることへのためらいが、楽器に触れるきっかけにもなっていました。

2018年には、大槻ケンヂミステリ文庫、通称オケミスで『アウトサイダー・アート』を発表します。
ファンクやブルースなどへ開いた音楽に、文章を読む声を持ち込む活動です。
「ぽえむ」では、演奏に言葉を載せる試みが形になり、ポエトリーリーディングを作品の柱として扱う道が広がりました。

バンドの前で叫ぶ声と、手元のギターで歌う声、文章を語る声。
活動の場が分かれたことで、一つの歌い方にすべてを任せる必要がなくなっていきます。
声の変遷を追う際には、声質そのものだけでなく、声を置く音楽の形が増えたことも見逃せません。

若い自分の曲を、今の声で歌い直す

2022年の結成40周年盤では、「KEEP CHEEP TRICK」を一オクターブ低い声で再録しています。
若い頃には歌い切れなかった曲を、今は語り、しみじみ歌えるものとして捉え直しました。
大槻自身の、叫ぶよりもつぶやきたいという思いとも重なる選択です。

「いくぢなし(ナゴムver.サイズ)」では、現在の歌声の末尾に、昔の録音から取り出した若い大槻の声が置かれています。
橘高文彦が明かしたこの仕掛けによって、一曲の中で新旧の本人が応答する形になりました。
昔らしく歌い直して時間を消すのではなく、時間の隔たりも作品に組み込んでいるのです。

こうした再録には、若い頃に作ったものを今どう引き受けるかという面白さがあります。
作品は昔のままでも、語り手の年齢や、言葉に感じる重さは変わる。
原曲の勢いを再現する以外にも、過去の歌を現在へつなぐ方法があることを示しています。

2024年の筋肉少女帯インタビューに掲載された大槻ケンヂ
2024年の筋肉少女帯インタビューに掲載された大槻ケンヂ。
画像出典:画像掲載元

語る声を、今のバンドの中心へ

2024年の「医者にオカルトを止められた男」は、観客と一緒に歌いたいという本城聡章の思いから作られました。
大槻は繰り返すフレーズを受け取り、そこを物語のナレーションへ展開しています。
合唱を誘う曲の中で語り続けるという組み合わせに、バンドの現在の表現が表れています。

その前年、大槻は、若い頃には戦いの場だったライブを、これからはどう楽しむかを考えていると話していました。
観客を盛り上げ、長時間ハードロックを歌い切る義務感からも少し自由になり、ステージで歌い、話すことを楽しみたい。
声の選び方だけでなく、人前に立つときの心持ちも変わっています。

還暦を迎えた2026年にも、大槻は、声質がシャウトに合うという自覚と、自分の好みとのずれを面白がっています。
「喝采よ! 喝采よ!」では沢田研二のような昭和歌謡を目指し、歌う気持ちよさを感じていました。
声に合うジャンルへ自分を閉じ込めず、歌いたい音楽との間を行き来する姿は、今も続いています。

大槻ケンヂの歩みは、叫ぶ人が静かな人になった、という一直線の変化ではありません。
昔の勢いを残しながら、抑えた旋律、弾き語り、低い声での再解釈、朗読を使える場が増えてきたのです。
その使い分けを曲ごとに見ると、大槻ケンヂの歌い方がさらに立体的に見えてきます。

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