1995年に林原めぐみと歌った「Get along」を、奥井雅美は2023年、一人で録音し直しました。ところが目指したのは、かつての二人の声を一人で再現することではありません。本人によれば、当時は軽い歌謡曲のように歌い、今回は自分のロックの色を強めたそうです。
1990年代から奥井はロックを歌っていました。それでも同じ曲を歌い直すと、そこには以前とは違う選択がある。何が変わり、何を残したのでしょうか。デビュー時に思い描いた「アニメの歌」から、JAM Projectでの経験を経て、30周年の録音へたどってみます。
30周年盤の公式試聴動画には、歌い直した「Get along」の一部も収められています。
1993年:「アニメの歌」は丁寧に歌うものだと思っていた
奥井は松任谷由実らのバックコーラスを経て、1993年に「誰よりもずっと…」でソロデビューしました。スタジオで歌う経験はあっても、アニメの主題歌を自分の名前で歌うのは新しい仕事でした。本人は後に、堀江美都子の歌い方を思い浮かべ、歌詞をはっきり聞き取れるよう丁寧に歌おうとしたと振り返っています。
最初から「奥井雅美らしいロックの声」を決めて、その型を当てはめたわけではありません。曲に何が求められているかを考え、歌い方を選んでいました。30周年のインタビューでは、二枚目のシングル「夢にこんにちは~ウイロータウン物語~」を、本人が最も正統派に歌った曲として挙げています。
この出発点を知ると、後の変化を声量だけで追えなくなります。奥井が自分の音楽を作り始めたときに変わったのは、音の大きさに加えて、どんな主題歌を歌いたいかという考え方でした。
「REINCARNATION」で、自分たちの好きな音を主題歌に持ち込む
転機として本人が選んだのは「REINCARNATION」です。矢吹俊郎らとの制作チームで初めて自分たちの望むアレンジに取り組み、好きだった歌謡ロックの要素を入れました。林原めぐみがラジオでこの曲を気に入り、それをきっかけに聴いてくれる人が増えたことも、奥井の記憶に残っています。
アニメの歌なら昔からある型で歌わなければならない、という最初の想像から一歩進みました。奥井は2023年の取材で、制作チームが好きなポップスやダンス音楽をアニメの主題歌に取り入れられたのは、自由に作ってよいと言われたからだと話しています。歌を変えたのは独力の修行だけではなく、一緒に作る人と、曲の作り方そのものだったのです。
ここで「ロックになったから、以後はすべて強く歌った」と考えると、次の「Get along」の面白さを見落とします。
1995年の「Get along」は、ロックを知った後に選んだ軽さだった
『スレイヤーズ』の主題歌「Get along」は、奥井と、主人公リナを演じた林原めぐみのデュエットです。二人は同じ録音ブースに入りました。奥井は当時の録音を振り返る際、歌謡曲のように軽く歌ったと説明しています。
「REINCARNATION」で自分たちのロックを形にした人が、別の曲では二人で歌うための軽さを選んでいる。初期の奥井を、まだ迫力が足りない歌手として一括りにはできません。曲と相手が違えば、求められる奥井の声も違ったのです。
林原がラジオで「REINCARNATION」を紹介してくれた話を、奥井は30年後にも大切な転機として挙げています。その林原と歌った曲が、後に再録の題材になりました。とはいえ、当時の二人の関係を再録の動機として想像する必要はありません。本人が明かした理由は、ライブでは一人で歌っていた「Get along」に、まだソロの音源がなかったことでした。
2000年代:JAM Projectの声に、自分は合わないと思った
10周年を迎える少し前、奥井はそれまでの制作チームから離れ、音楽をもっとシンプルにしたい時期を過ごしました。アニメの歌から距離を置き、歌手を辞めようかと考えたこともあったと、後年の取材で率直に振り返っています。
その思いで作ったのが、アニメの主題歌ではない「DEPORTATION~but, never too late~」です。名義を「masami okui」に変え、当時の制作では使っていた録音ソフトにも頼らず、バンドの仲間と一つのスタジオで同時に演奏して録りました。本人がこの曲に込めたのは、出発点を忘れないという思いでした。
そこへJAM Projectから誘いが来ました。
奥井はすぐには飛びつきませんでした。自分が歌ってきた曲は、JAMの熱い楽曲とは違い、ボーカルのスタイルも合わないと考えたのです。一方で、グループ側も変化を模索しており、福山芳樹の参加予定などを聞いて、自分が培ったものを持ち込めるかもしれないと思い直しました。2003年、奥井はJAMに加わります。
加入後には、予想していた以上の違いを体で知ります。奥井によれば、当時の自分の声は少し細く、声量のある男性メンバーの中で自分の歌声を聞き取ることが課題でした。最初の頃はイヤーモニターも使っていなかったそうです。仲間と歌い続けるうちに歌い方が変わり、後にはソロで女性歌手と並ぶ場でも、自分の声量は大きいほうだと感じるようになったといいます。
2005年の「GONG」は、そのJAM Projectの楽曲です。この録音だけを使って奥井一人の声の変化を測ることはできません。複数の声とバンドの音が重なるからです。ただ、本人の「仲間の中で歌うために歌い方が変わった」という言葉が、どんな活動を指すのかは分かります。強い声を持っていたから加入したというより、異なる声の中に入ったことが、新しい力を求めたのでした。
自分の音楽も変える。でも昔の音を捨てない
JAMと並行して、奥井はソロの制作も続けました。独立してレーベル「evolution」を立ち上げた頃には、以前のチームでは作らなかった楽曲へ挑戦し、新しい作り手との仕事に刺激を受けたと話しています。30周年盤の三枚のディスクを、キングレコード、自主レーベル、ランティスの時期に分けたのも、自分の歩みを伝えるためでした。
ただし、制作の相手や音が変わったことを、そのまま声質の変化と取り違えたくはありません。むしろ後年の奥井は、必要なら昔の音を意図して選び直しています。
『令和のデ・ジ・キャラット』の主題歌「曖昧さ、幸福論」では、かつて一緒に制作していた矢吹俊郎に作曲・編曲を依頼しました。奥井によれば、最初に上がった曲は当時より進んだ複雑な方向でしたが、自分は昔の作品に近い音を求め、もう一曲作ってもらったそうです。歌詞にも、成長した今と、昔の作品を忘れていないことの両方を込めました。
新しい歌い方を得た人が、古い声に「戻った」という話ではありません。今の自分で作品の続きを引き受けるには、何を残すかも自分で決める。翌年のセルフカバーでも、昔の曲を今どう歌うかが問われます。
2023年:二人の曲を一人で歌い直す

30周年盤『Mas“ami Okui”terpiece』のボーナストラックでは、「Get along」が奥井一人の歌になりました。1995年の編曲を大きく変えるのではなく、ギターやリズムを前に出すよう音のバランスを調整し、コーラスを足し、本人も歌い方を変えています。奥井が求めたのは、昔の軽さの再現ではなく、自分の色を出したロックの「Get along」でした。
初期のデュエットと30周年のソロ版は、同じ曲でも歌う人数、コーラス、ミックスが異なります。違いを年齢や声量だけの結果として比べることはできません。それでも二つを並べると、奥井が曲の中でどんな役割を引き受け直したかが見えます。1995年には林原と分け合った歌を、2023年には一人で通して歌う。そのために「自分ならどう歌うか」を録音で決めたのです。
同じ盤で、アニサマの大勢の歌手による「ONENESS」も一人で歌い直しました。こちらは元の歌手たちの歌い方が頭に残り、似てしまうのを離れて自分の歌にするまで時間がかかったそうです。一人になるほど自由になるとは限らない。共演者の声がいなくなった場所を、自分の声で埋め直す難しさがありました。
声を強くすることだけが、奥井雅美の変遷ではない

JAMで歌い方が変わったと奥井は話しています。それでも、昔の「Get along」が間違いになったわけではありません。1995年に二人で軽く歌った記録を残したまま、2023年には一人でロックの色を選んだ。同じ曲に、異なる時期の奥井がした選択が並びます。
2025年にはボンジュール鈴木との「Baby Baby Baby」で、作品と共演相手に合わせた別の表情も選んでいます。曲の中で力強さと柔らかさをどう使い分けるかは、奥井雅美の歌い方の記事で詳しく扱いました。
奥井は2023年、今のキーやジャンルをずっと守ることより、形を変えても歌を続けたいと語っています。「Get along」を昔の歌い方のまま歌わなかったことは、その言葉に重なります。奥井の歌声の歴史は、強さを一つ積み上げるだけでなく、曲と共演相手が変わるたびに、どの声を選ぶか決め直してきた歴史なのです。







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