河合奈保子の歌い方|「十六夜物語」の同じ「月」が違って聞こえる理由

河合奈保子のポートレート シンガー
河合奈保子のポートレート。写真提供:日本コロムビア/掲載元:GQ JAPAN

「十六夜物語」には「月」という短い言葉が何度か出てきます。
その詞を書いた吉元由美は、河合奈保子が同じ言葉を毎回少しずつ違う気持ちで歌っていると振り返りました。
声の高さや大きさだけを追うと見逃す、一語の表情です。
河合の歌い方を知る入口は、サビの高音より、物語の中でためらう人の気持ちをどう言葉へ移したかにあります。

十六夜の月には、ためらいがある

十六夜は旧暦十六日の夜の月です。
「いざよう」にはためらう意味があり、曲では会いたいのに会えない人の心と重ねられています。
詞を手がけた吉元は、結ばれない恋の美しさを描こうとしました。
河合が歌うのは、ただ悲しみを大きく叫ぶ場面ではありません。
近づきたい気持ちと、近づけない気持ちが同時にある人物です。

「月」が繰り返し現れるのは、その心を別の角度から見せるためでもあります。
歌詞カードでは同じ漢字でも、前後の言葉と物語の位置が変われば、そこに置く気持ちも変わる。
吉元が河合の歌唱に見たのは、一語を同じ形で処理しない細やかさでした。

ここでは、恋する気持ちの強さと、実際に相手へ近づけるかどうかが一致していません。
それだけに、悲しい曲だからすべてを弱い声にする、切実だからすべてを強く歌う、という整理では人物の揺れを捉えにくい。
言葉が向かう相手と、その人に言えずに残る思いを分けて考えると、吉元が一語の違いに注目した理由も見えてきます。

作詞家が聞いた、押し出す「月」と離れる「月」

吉元は、ある「月」は気持ちを密かに絞り出すように、別の「月」はつないだ指がふっと離れるように聞こえると記しています。
これは作詞家自身が、自分の詞に付けられた声を受け取った証言です。
歌唱の細部を数値で測った説明ではありませんが、制作側がどこに表情の差を感じたかを伝える貴重な手がかりです。

最初の言葉をただ強くし、次を弱くすれば同じものになるわけではありません。
どちらも「月」なのに、前にいる人を引き留めたいのか、手を離すしかないのかで、声に託す役割が変わります。
河合の声を「伸びやかな高音」という一つの形だけで捉えると、こうした小さな変化が隠れてしまいます。

一方で、吉元の表現をそのまま発声の指示に置き換えることもできません。
気持ちを絞り出すという比喩は、喉を締める方法を意味しているわけではないからです。
ここで伝えられているのは、声を聴いた作詞家に、人物の感情がどう届いたかです。
その違いを確かめるなら、短い一語だけでなく、そこへ来るまでのフレーズと、言い終えたあとの余韻まで含めて聴きたいところです。

コンサートの舞台で楽器を弾く河合奈保子
初期のコンサートで楽器を弾く河合奈保子。
写真提供:日本コロムビア/掲載元:GQ JAPAN

「けんかをやめて」で竹内まりやが聴いた声の使い分け

言葉を人物の感情として届ける力は、自作曲以外にも表れています。
竹内まりやは2013年の音楽ナタリーの対談で、「けんかをやめて」の河合の歌を振り返りました。
作詞・作曲をした竹内自身が挙げたのは、ささやくような歌い方と、声を張る歌い方の使い分けです。
しかも、この曲では歌唱指導をしていなかったと明かしています。

歌の中にいるのは、二人の男性との関係に揺れる少女です。
謝る言葉だけを抜き出せば、ひたすら反省する人として歌うこともできるでしょう。
けれども竹内が河合の歌に感じたのは、少女の心の細かな動きでした。
本人の可愛らしい印象を残しながら、ためらいや願いも声にするところを評価しています。

ささやきと張った声は、音量の大小として覚えることもできます。
ただ、その違いが人物の言葉と結び付いているかどうかで、聴き手の受け取り方は変わるはずです。
相手にそっと言いたい箇所と、どうしても伝えたくなる箇所を同じ調子にしない。
竹内の証言は、河合の歌にあるその使い分けを、具体的な声の表情から示しています。

「十六夜物語」の人物とは恋の状況が違いますが、どちらも、ひとつの感情だけで最後まで歌い切れない曲です。
一方では吉元が同じ単語の違いを挙げ、もう一方では竹内が声の強さの変化を挙げた。
二人の作り手の証言を並べると、河合が歌詞の人物を一つの表情に固定しなかったことが、より具体的に見えてきます。

自作の旋律だから、言葉の居場所まで引き受ける

「十六夜物語」が収められた1987年のアルバム『JAPAN as waterscapes』は、河合が全曲を作曲しました。
作詞した吉元によると、単に和風の楽器を使うのではなく、日本の情景や感情の揺れをポップスとして表すことが制作の主題でした。

曲を作った人が自分で歌うと、旋律の長さも言葉の置き場所も他人任せにできません。
ただし、自作だから自然に正解が出るわけでもない。
吉元は、河合が自分の曲を歌うようになってから、言葉の微妙な違いをすくう感性がさらに磨かれたのではないかと考えています。
これは共同制作者の見解であり、河合本人が発声方法を変えたと述べた記録ではありません。

同じアルバムの「水の四季」についても、吉元は穏やかな水と激しい水の情景を一曲の中で歌い分けたと評しています。
「十六夜物語」の一語に注目した評価は、単発の偶然ではなく、曲ごと・場面ごとに声の表情を探していた仕事の一例として読めます。

「水の四季」では、詞から静かなバラードを想像しがちでも、曲は中程度より速めのテンポだったと吉元は説明しています。
ゆったりした情景を伝えることと、伴奏の速度を落とすことは同じではありません。
曲全体は進んでいく中で、声が扱う景色には緩やかさと激しさがある。
一語の表情だけでなく、一曲の流れの中で対照を作るところにも、作詞家は河合の感性を見ていました。

1987年のアルバム「JAPAN as waterscapes」のジャケット
1987年のアルバム『JAPAN as waterscapes』。
画像提供:日本コロムビア/掲載元:GQ JAPAN

高音の強さだけでは、この歌の核心へ届かない

河合は初期の明るい曲でも、聴く人へ開いた歌を届けていました。
「十六夜物語」では、その開いた声を一人の人物の内面へ向け直します。
吉元が記した「月」の違いを手がかりにすると、同じ言葉が戻るたびに、人物と相手の距離が少し変わるように歌を読むことができます。

河合の歌い方を一つだけ選ぶなら、この「同じ言葉を同じ気持ちで終わらせない」点でしょう。
大きな声で物語を説明しない。
詞の一語に、その場面でしか生まれない感情を渡す。
「十六夜物語」は、河合奈保子を高音の巧みな歌手としてだけでなく、言葉で人物を描く歌手として見せてくれます。

1981年の「スマイル・フォー・ミー」から、自作曲「ハーフムーン・セレナーデ」、1987年の作品へ進む流れは、河合奈保子の歌声の変遷で詳しく扱っています。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました