ノエル・ギャラガーの歌声の変遷|脇で歌っていた作曲家が、自分の声を引き受けるまで

2023年『Council Skies』期のノエル・ギャラガー シンガー
2023年『Council Skies』期のノエル・ギャラガー

ノエル・ギャラガーは、最初から自分が歌うために名曲を書いていた人ではありません。
オアシスではリアムの声を生かし、自分は必要な曲を引き受ける。
その位置から、アルバム全体を自分の歌で届ける道へ進んでいきました。

変わったのは、歌う曲数だけではありません。
自分の声への自信、録音を完成とする基準、そして歌の中でどこまで個人的な感情を明かすか。
その変化をたどると、ソロ活動とオアシスで歌う姿が、一人の歌手の歩みとしてつながります。

歌うことに夢中ではなかった作曲家

ノエルは2012年の対談で、オアシス初期には歌うことへの関心が薄かったと振り返っています。
リアムの不在などをきっかけに歌い、時々B面曲を担当するうちに、少しずつ好きになっていった。
生まれつきの歌手という自覚があったわけではなく、2005年頃になって、ようやく自分の声を見つけたという感覚でした。

後年の回想でも、最初から二人のフロントマンを想定していたわけではないと説明しています。
まずリアムが歌い、うまくはまらない曲をノエルが試す。
弟の声の強さを認めながら、自分が歌う場所を探す関係でした。

とはいえ、1995年の『(What’s the Story) Morning Glory?』では、すでに「Don’t Look Back in Anger」を担っています。
ノエルは、ライブを引き受けるなら自分にも大きな曲が欲しいと考え、「Wonderwall」との二曲を兄弟で分けたと回想しました。
代表曲を持つことと、歌手として納得できることの間にも、時間があったのです。

ここで面白いのは、作曲家としての自信と、歌手としての自信が同時には育たなかったことです。
曲を生み出せることと、その曲を自分の声で最もよく伝えられることは、別の問題でした。
ノエルの歌の歩みには、早くからその区別があります。

2005〜2008年、自分の声にある軽さと柔らかさ

本人が自信を得た時期の一曲が、2005年の「The Importance of Being Idle」です。
裏声を使った歌唱と、最初のヴァースで言葉をゆっくり引く表現が、気まぐれな曲調や歌詞のユーモアに結びついています。
堂々とした大合唱の曲とは、違う顔を持ったノエルです。

2008年の『Dig Out Your Soul』では、「Waiting for the Rapture」の裏声と、「Falling Down」の柔らかな歌声が、別々の持ち味として現れます。
後者は跳ねるようなビートと柔らかな歌の組み合わせが特徴です。

歌の存在感を出す方法は、声を強くすることだけではありません。
軽さや柔らかさを、楽器の動きと組み合わせることもできます。
オアシス後期には、そうしたノエルの声を中心に成立する曲が、すでにありました。

2011年、ステージの脇からアルバムの中心へ

ソロ初作の発表時、ノエルは、ステージの脇でギターを弾き、時々歌う役割に満足していたと話しています。
それでも『Noel Gallagher’s High Flying Birds』では、合唱や弦楽器を伴う「Everybody’s on the Run」を冒頭に置きました。
大きな作品を自分の歌で始める選択です。

先行曲「The Death of You and Me」には、アコースティックギターから始まり、ノエルの裏声が入り、後半でブラスが広がる展開があります。
オアシス時代に育てた歌の軽やかさを、ソロの新しい編成へ持ち込んだ曲です。

バンドを離れたからといって、以前の声を捨てる必要はありませんでした。
変化は、時々現れるもう一人の歌手から、作品全体の表情を受け持つ歌手になったことにあります。
大きな編曲にも、少し風変わりな曲にも、自分の声で答えていく立場になりました。

2015年掲載の、ソロ初作を振り返る取材に添えられたノエル・ギャラガー
2015年掲載の、ソロ初作を振り返る取材に添えられたノエル・ギャラガー。
画像出典:画像掲載元

2015年、完成させすぎない歌を残す

自らプロデュースした『Chasing Yesterday』では、録音の判断も変わります。
ノエルは、基本的に各曲を3回ほど歌い、そこから良い部分を選んだと説明しています。
必要なら追加するものの、デモを作るつもりで、少しずつ違う歌い方の自然さを残しました。

同じように正確に歌えるまで繰り返すのではなく、その時に出た歌を作品として認める。
歌う本人が制作の判断も担うことで、何を良い歌と考えるかが、録音の進め方に直接表れています。

その時期のもう一つの出来事が、「Dead in the Water」です。
2015年のラジオ出演に伴うスタジオで、ピアノとアコースティックギターによる演奏が、本人の知らないうちに録音されていました。
エンジニアのダミアン・チェネルが残したその演奏は、2017年の『Who Built the Moon?』にボーナストラックとして収められます。

完成形を最初から設計した録音と、思いがけず残っていた演奏。
ノエルのソロ作品では、両方が歌を届ける方法になりました。
豪華な編曲を足すことだけが、曲を完成させる道ではなかったのです。

2017年、得意な歌を作る手順から離れる

『Who Built the Moon?』で組んだデヴィッド・ホルムズは、完成したデモを仕上げる方法を求めませんでした。
スタジオで音を鳴らし、反応しながら新しい曲を生む。
ノエルは、いつもの引き出しを使い切った後に、別のものが出てくる経験をしています。

制作途中の2016年には、それまでで最も高い声域を使う曲に取り組み、歌うのが楽しいとは言えないほどだと話しました。
慣れた声で成立する曲を作るだけでなく、新しい音楽の側から歌い手へ難題が出されるようになったのです。

後の回想では、ホルムズに何度もサビを出し直し、ようやく受け入れられた経験も語っています。
それまで知られたノエルらしさを、そのまま完成の基準にしない共同作業でした。

少ないテイクを選ぶことと、新しい挑戦を避けることは、同じではありません。
自然な演奏を残しながら、自分の予想を超える曲も作る。
この二つが並んだことに、ソロ中期の広がりがあります。

2023年、個人的な歌と、難しい歌の両方へ

『Council Skies』へ向かう時期、コロナ禍の隔離生活によって、ノエルは再び家で曲を書くようになりました。
幼少期への郷愁だけをまとめたアルバムではなく、自分がどのように今の場所へ来たのかを見つめる作品だと説明しています。

「Dead to the World」などには、私生活の揺れも反映されました。
ノエルは、自分の困難を書くことが、似た経験をする人の助けにもなると考えています。

一方、冒頭の「I’m Not Giving Up Tonight」は、歌唱に少なくとも20テイクを要しました。
発売時にはライブで歌うつもりはないとまで話した難曲です。
自然な数テイクで済ませる考えを、すべての曲に当てはめていたわけではありません。

曲が求めるものによって、録音の終え方も変わる。
経験を積んだノエルの姿は、何でも簡単に歌える人というより、残すべき歌のために判断できる人に近づいています。
自分の声を知ったからこそ、難しさを隠さず語れるのかもしれません。

2025年、再びオアシスの中で歌う

2025年7月4日、カーディフ公演でのノエル・ギャラガー
2025年7月4日、カーディフ公演でのノエル・ギャラガー。
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2025年7月、再結成したオアシスのカーディフ公演でも、ノエルが歌う時間は健在でした。
「Talk Tonight」「Half the World Away」「Little by Little」が並ぶ場面では、会場の熱の形が変わり、観客が歌詞を重ねました。
ソロを重ねた後にも、バンドの中で果たす役割が、はっきり残っていました。

その役割は、曲が観客と過ごした時間によっても深まっています。
2018年、ノエルは「Don’t Look Back in Anger」が、反抗の歌から祝福の歌へ、さらに賛歌のような存在へ変わったと話しました。
2017年のマンチェスターでの事件後、人々がこの曲を一緒に歌った経験は、作り手自身の受け止め方も変えています。

自分の歌に自信を持つまで時間がかかり、ソロでは作品全体を背負い、録音の判断まで引き受けるようになったノエル。
その歩みの先でも、リアムと同じ声になる必要はありませんでした。
会場の熱を少し違う形へ変え、人々が自分の思いを重ねられる歌を渡す。
オアシスのもう一つの声は、そうして一人の歌手の声として育ってきたのです。

曲ごとの裏声やキー、録音での表現は、ノエル・ギャラガーの歌い方で詳しく取り上げています。

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