華原朋美の歌声の変遷|歌い直した曲と、昔の声を残した曲

2013年のインタビューで話す華原朋美 シンガー
華原朋美。2013年のインタビュー掲載写真。撮影:佐藤恵/Billboard JAPAN

2013年、華原朋美は「I BELIEVE」を新しく録り直しました。
ところが二年後、歴代のシングルを集めるときには、「今ならもっと上手く歌える」と思う曲さえ昔の録音のまま残しています。

歌い直せるようになったからこそ、すべてを歌い直すわけではない。
この一見反対に見える二つの選択には、初めは小室哲哉の曲に追いつこうとしていた歌手が、自分と聴き手にとって昔の声は何を残しているのかを考えるまでの時間があります。

1995〜1996年、高い曲へ追いつくところから始まった

華原は1995年に「keep yourself alive」でデビューし、続く「I BELIEVE」、翌年の「I’m proud」で広く知られるようになりました。
高い声が魅力の歌手として記憶されがちですが、本人は後年、最初からあの高さを自在に出せたわけではないと話しています。
曲を受け取ってから数日で仕上げることもあり、次々に届く小室の作品に追いつくのが大変だったそうです。

「I BELIEVE」の録音では、声が出なくて上を向いて歌おうとしたという回想も残っています。
ヒットした録音だけを知っていると、もともと高い声を難なく出せたように思いがちです。
しかし、本人の説明では、声が曲に追いつこうとする仕事の中で、華原朋美という歌手の形ができていきました。

初期の彼女が音の高さだけを考えていた、ということでもありません。
1996年、「I’m proud」の発売当時には、悲しい内容を強く押し出すだけでなく、やさしさを持って伝えることにも目を向けていました。
高音と歌詞をどう両立させたかは、華原朋美の歌い方の記事で詳しく扱っています。
ここから先で問いたいのは、その声で歌った作品に、本人が後からどう向き合ったかです。

2012〜2013年、「I BELIEVE」をもう一度自分の歌にする

2007年の活動休止を経て、華原は2012年12月の『FNS歌謡祭』で「I’m proud」を歌い、音楽活動に戻りました。
そのときは感情があふれそうになっても、泣いて歌えなくなれば伝えたいことが届かないと、自分を励まして最後まで歌ったと振り返っています。
思いを感じるだけでなく、歌として届け切ることが、この復帰の舞台にありました。

翌2013年の『DREAM -Self Cover Best-』では、代表曲を武部聡志のプロデュースのもと、オーケストラやアコースティックの響きを使って録り直します。
「I BELIEVE」もその一曲です。
1995年の音源を消す企画ではなく、昔の曲を当時とは違う時間を生きた自分が歌う作品でした。

2013年のインタビューで笑顔を見せる華原朋美
セルフカバーについて話した2013年の華原朋美。
撮影:佐藤恵/Billboard JAPAN

華原は、過去の歌詞を読み直すと、その頃の出来事を思い出すと話しています。
ただ、それを過去の痛みのまま抱えて歌うのではなく、いまは一つの物語として見つめられるようになった、とも語りました。
以前は納得できなかった自分の歌も、このアルバムで新しい形にできたと感じていました。

2013年の「I BELIEVE」を1995年版と比べるときは、声の年齢だけではなく、編曲と録音も変わっていることを忘れたくありません。
それでも、本人にとって同じ歌詞を再び歌えた理由は、昔の気持ちをそのまま再現できたからではなく、過去を振り返る距離ができたことにありました。

2014年、人の曲にも自分の歌う場所を探す

自分の曲を歌い直した翌年には、『MEMORIES』と『MEMORIES 2』で他の歌手の曲をカバーします。
小室の曲から離れたというより、違う歌を通して、自分の声と曲との関係を確かめる時期でした。

この年は、カバー集の録音にツアーの準備と本番、夏のフェス出演が重なりました。
華原は、これほど歌った年はなかったと感じ、最後までツアーを回れるか不安にもなったそうです。
一つの復帰舞台を歌い切ることから、日々の公演を続けて届けることへ、歌手として向き合う仕事も広がっていました。

GLAYの「HOWEVER」は、2014年の『MEMORIES 2』にも収録されます。
長く知られた他人の曲を、自分の声で録音する仕事でした。

同じ年のツアーでは、最初は一人で歌っていたこの曲を、途中からバンドを背に歌う形へ変えました。
華原は、曲に残るGLAYの印象を大切にしながら、自分の歌として届けるためにスタッフやバンドと相談したと話しています。
舞台に一人で立つか、バンドと並んで歌うかまで考えた選択です。

花柄のドレスでステージに立つ華原朋美
2014年のツアーを扱うWOWOW特集より、ステージで歌う華原朋美。
出典:音楽ナタリー

ツアーを作る中では、以前よりスタッフへ意見を伝え、演出にも参加したと振り返りました。
初期には届く曲を急いで自分の声へ取り込んでいた歌手が、今度は、どの編成で歌うとその曲が生きるかも考える。
歌が変わったという話には、声の出し方だけでなく、歌を形にする立場の変化も含まれます。

その変化は、代表曲を置く場所にも表れました。
2014年のツアーは「save your dream」で始め、「I’m proud」で締めくくる構成です。
復帰直後の前年とは気分を変え、明るく始まって、笑顔で別れられる公演にしたいと本人は説明しています。
苦しかった時間も歌に込めながら、その苦しさだけを伝える舞台にはしたくなかったのです。

「I’m proud」は、復帰を果たした自分の思いを背負うだけでなく、客席と一緒に公演を終えるための曲にもなりました。
同じ代表曲でも、歌手が今どんな時間を聴き手と過ごしたいかによって、ステージで担う役割は変わっていきます。

2015年、歌い直さずに残す歌と、自分で書く歌

デビュー20周年の2015年、華原は『ALL TIME SINGLES BEST』のために歴代のシングルを聴き直しました。
本人は、今の状態ならもっと上手く歌えると思う曲があったと認めています。
それでも原盤を録り直さず、当時の歌を時系列で残しました。

2013年のセルフカバーは、「いまの自分なら、あの曲をどう歌うか」という新しい作品です。
一方、歴代シングルのベスト盤は、その頃の声と、聴いていた人それぞれの思い出を一緒に残せます。
華原自身も、歌は思い出と結びついて記憶されると話しています。
あとから高く、うまく歌えることは、最初の録音が必要なくなったという意味ではなかったのです。

同じ年、新曲「はじまりのうたが聴こえる」では、小室が作曲し、華原が自分で歌詞を書きました。
カバーでさまざまな曲に取り組んだことが、自分の歌を見直し、小室の新しい曲も歌いたいと思うきっかけになったそうです。
2014年のクリスマスに届いた曲は、武部聡志の編曲で形になっていきました。

華原は最初、小室に作詞も任せたいと思っていました。
しかしスタッフから、今だから書けることがあるのではないかと勧められ、自分で言葉を探し始めます。
過去をたどって書くうちに、苦しみから離れることや、支えてくれた人たちへの感謝が曲の主題になっていきました。
昔の恋の歌を歌い直すだけでなく、その先を生きてきた自分の言葉を、小室の新しい旋律に乗せる作品になったのです。

この頃の華原は、スタジオで勢いよく上手に録った歌が、後のライブでは同じように歌えなくなることも考えていると話しています。
いつも限界まで声を使えばよいわけではない。
録音した歌を人前でも届けられるかまで、この時期には見据えていたのです。

また、低い音域の歌は苦手で、先生と相談して訓練し直したいとも話していました。
高い曲を歌い続けてきた人にも、次に取り組みたい声の課題がありました。
昔の歌を残す判断と、これからの歌を磨く意欲は、同時に存在していたのです。

歌い直した2013年の「I BELIEVE」と、歌い直さず残した2015年のシングル。
前者は、その時点の声と経験で曲を新しく引き受けた記録です。
後者は、過去の自分と聴き手が共有した時間を残す選択でした。
華原朋美の変遷は、昔の声を新しい声で塗り替えることではなく、二つの声にそれぞれ役割を与えるまでの歩みとして見えてきます。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました