角松敏生の歌声はどう変わった?自分の声への不満から、昔の曲を歌い直す喜びへ

『SEA BREEZE 2016』のインタビュー掲載の角松敏生 シンガー
『SEA BREEZE 2016』のインタビュー掲載の角松敏生

デビュー当時の角松敏生の声が好きだという人に、本人は、その声を好きではなかったと答えています。
ファンにとって大切な録音が、歌い手には長年の宿題として残っていたのです。
なぜ彼は、すでに愛されている歌を何度も録り直してきたのでしょうか。
その歩みを、初期の声への不満と、後年の歌い直しからたどります。

「風のあやぐ」—『TIME TUNNEL』(1999年)

自分の耳が求める歌に、自分の声が届かなかった

角松敏生は1981年、アルバム『SEA BREEZE』とシングル「YOKOHAMA Twilight Time」でデビューしました。
名手たちに囲まれた華やかな出発ですが、本人の内側には、聴き手として好きな歌の水準と、自分が実際に歌えるものとの隔たりがありました。
後年の振り返りでは、当時は発声を理解できず、自分の身体を楽器として使えていなかったと説明しています。

初期を象徴するのが、ダブルという録音方法です。
同じ旋律を複数回歌って重ねる方法で、角松は自分の声への不満から、『TOUCH AND GO』(1986年)の頃までこれを使っていたと話しています。
ところが『BEFORE THE DAYLIGHT』(1988年)では、海外の制作陣から一つの歌声で録るよう求められました。
自分の慣れた方法を離れ、声をそのまま前に出す経験になったのです。

歌手としての自信を得ても、活動は一度「凍結」した

『REASONS FOR THOUSAND LOVERS』(1989年)を経て、『ALL IS VANITY』(1991年)では複雑なコーラスにも取り組みました。
角松自身の記憶では、歌手と名乗る実感を得たのはこの頃です。
その後の活動凍結中にも、女性歌手へ歌のニュアンスを伝えるため、男性用と女性用のキーでガイドの歌を録っていました。
自分の看板を背負わずに歌える楽しさがあり、その経験を『TIME TUNNEL』へつながるものとして振り返っています。

ここでいう凍結は、音楽を作ることや歌うことのすべてを止めたという意味ではありません。
1993年に自身のアーティスト活動を休止したあとも、プロデュースを続け、AGHARTA名義では「ILE AIYE~WAになっておどろう」を発表しました。
1998年の長野冬季五輪閉会式にも歌い手として参加し、同年には角松敏生としての活動を再開しています。
1999年の『TIME TUNNEL』を、長い無言の期間のあとに突然声を取り戻した作品と捉えると、その間に積んでいた仕事が見えなくなってしまいます。

2024年にも、彼は『VOCALAND』でコーラスを担った頃から、自分の歌を好きになり始めたと語っています。
他の歌手の声を選び、歌を支える仕事が、自分自身の声との関係を変える場にもなったのでしょう。
最初から歌うことに迷いがなかった人の成熟とは、少し違う歩みです。

2011年のビルボードライブ公演(2013年のインタビュー掲載)
2011年のビルボードライブ公演(2013年のインタビュー掲載)。
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『REBIRTH 1』で、昔の曲を今の身体へ引き寄せる

2012年の『REBIRTH 1~re-make best~』では、過去の曲を選び、あらためて録音しました。
初期の曲を現在の技量で更新すると同時に、長く支えてきた聴き手へ返す作品でもあったと本人は説明しています。
当時の歌い方をそのまま再現するだけなら、昔の録音を残せばよい。
歌い直す意味は、過去には十分にできなかったことを、今の声で実際に試せる点にありました。

この作品では、重くなった低音の土台と、たくましい歌唱の組み合わせにも魅力があります。
若い声の軽やかさを再現することだけが、懐かしい曲の生かし方ではないのでしょう。
伴奏の重量感も歌の存在感も変えれば、同じ曲が別の身体つきで立ち上がります。
ただし、ここでは演奏も作り直されています。
原曲と再録の印象の違いを、声だけが変化した結果として受け取らないことも大切です。

1981年の演奏と、2016年の歌声が出会う

『SEA BREEZE 2016』は、これとは違う方法でした。
当時のマルチトラックを使い、もとの演奏を生かしながら歌を新しく録り、全体をミックスし直しています。
昔の演奏者たちと、現在の角松が一枚の作品の中で共演するような作りです。
伴奏まで全面的に演奏し直す再録とは、比較する条件が違います。
初回盤には原盤のリマスターも付いたため、同じ曲を二つの時代の歌でたどれる形になりました。

「Dancing Shower」では、初期の初々しさに代わって技量と艶が加わった歌を楽しめます。
2016年の歌のほうが、むしろ若々しく感じられるという受け止め方もあります。
年齢を重ねた声が、必ず落ち着きや衰えの方向へだけ進むわけではない。
自分の思うように歌えるようになったことで生まれる、生き生きとした印象もあるのです。
ここでいう若々しさは声の年齢の測定ではなく、歌の受け止め方です。

一方、初期を知る聴き手の側には、昔の歌をそのまま残してほしい気持ちもあります。
歌い直したい本人の心情は理解できても、慣れ親しんだ原盤を求めるファンとの間には、隔たりも生まれます。
角松の再録を面白くするのは、完成度が上がれば昔の録音が不要になる、という単純な話にはならないところでしょう。

『Breath From The Season 2018』のインタビュー掲載の角松敏生
『Breath From The Season 2018』のインタビュー掲載の角松敏生。
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声が変わることと、歌を置くリズムが変わること

2018年の『Breath From The Season 2018』では、ビッグバンドとの共演によって過去曲を捉え直しました。
アロージャズオーケストラとのライブを重ね、リズムのアレンジも自分で考えるようになった末の作品です。
たとえば「SHIBUYA」は、もとの拍の印象からスウィングする形へ変わっています。
曲が揺れる場所が変われば、歌を受け止める伴奏との関係も変わる。
これは声質の変化だけを追っていては捉えきれない、歌の更新でした。

2020年の『EARPLAY~REBIRTH 2~』にも、違いが分かる曲があります。
「DISTANCE」では、以前の録音よりリバーブを控え、歌を明瞭にしたと本人が語りました。
歌唱への自信が増したことと、この選択を結びつけています。
声のまわりに残る響きを減らせば、歌そのものの輪郭がより見えやすくなる。
昔の録音を新しい機材で整えるだけでなく、どこまで自分の歌を見せたいかも変わっていたのです。

昔の歌詞に、今の年齢の景色が重なる

同じ2020年、59歳だった角松は、昔の曲を歌うと、若い頃とは別の情景や登場人物が浮かぶことがあると話しています。
言葉を変えなくても、歌い手の側の経験が変われば、その言葉が指すものは動くのでしょう。
再録は、かつての自分へ技術的な答えを返す場であると同時に、今の自分がその曲をどう受け取るかを確かめる場にもなっていました。

2022年の『Inherit The Life』では、歌と生演奏を、芝居やダンスと結びつく物語の中へ置いています。
本人の説明では、舞台のために背景音楽を付けたというより、音楽が先にあり、そこから物語が生まれる構想でした。
ここで広がったのは、歌声の新しい使い道です。
初期曲の録り直しだけでなく、今の声で新たな場面を作る仕事も続いていました。

さらに2024年からは「Contemporary Urban Music」の連作を開始します。
2025年の本人の説明では、翌年の45周年公演へ向け、現在進行形の活動を伝えるための企画でした。
過去を歌い直す人であると同時に、現在の作品を増やす人でもある。
長いキャリアを、初期の名曲と後年の再録だけで閉じない姿勢が見えてきます。

「Magic Hour」—『MAGIC HOUR~Lovers at Dusk~』(2024年)

角松敏生の変化は、若い声から大人の声へ、という年齢の線だけでは説明しきれません。
自分の歌に不満を持ち、一つの声で録る経験をし、他者の歌を支える中で声への愛着を得て、その声で昔の曲を迎え直してきました。
原盤を好きな人がいても、本人には歌い直す理由がある。
その二つが同時に存在するところに、彼の歌の長い時間が刻まれています。
発声や録音の選び方に注目した読み解きは、角松敏生の歌い方でも扱っています。

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