Sabatonのヨアキム・ブローデンは、ざらついた低い声で、はっきりとメロディを歌う人です。
荒い声と聞くと、音程より勢いを優先する歌を思い浮かべるかもしれません。
しかし、彼の歌では、旋律と言葉が歌の中心に残り、その周囲を合唱が大きく囲みます。
なぜ、あの重い声で、大勢が一緒に歌える曲になるのか。
声の高さだけでなく、言葉の届け方と、曲の中で声が担う役割を合わせて考えると、その仕組みが見えてきます。
荒い音色でも、旋律の線を保つ
ヨアキムの声を特徴づける言葉は、バリトンと、荒くざらついた質感です。
バリトンは、男声の中では中低域を中心とする声の分類。
Sabatonでは、その低さを感じさせる音色が、重厚なバンドの顔になっています。
高い声を細く伸ばす歌手とは、出発点の印象が違います。
ただし、音色の荒さと、歌い方の分類は別の話です。
メタルの歌唱を研究するアンドリュー・L・コープは、ヨアキムを伝統的な旋律を歌うタイプに含めています。
デスメタルのグロウルなどとは分けて捉える考え方です。
ざらつきがあっても、音の高低を持つメロディが明瞭に前へ出る。
その点を押さえると、声の荒さだけを強くまねる発想から離れられます。
本人の高音についての説明も、この印象とつながります。
一般的な意味で極端に高く歌っているわけではないが、自分の胸声、あるいはフルボイスの中では高いところを使う、と話しています。
地声らしい充実した音色を保った範囲での高低を、本人は意識しているのです。
この説明から、すべての高音を同じ声区と決めつけたり、具体的な最高音を割り出したりすることはできません。
この自己説明を手掛かりにすると、本人が使う音の高さと、その声から受ける印象を分けて考えられます。
歌手にとって高い音であっても、ほかの歌手と比べれば極端な高音とは限らない。
高さの競争として捉えるより、本人の声の範囲で、どのように歌を充実させるかという選択に注目できます。

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強い演奏の中で、言葉の輪郭を残す
ヨアキムは、歌詞を聞き取ってもらうため、意識して強く発音すると説明しています。
言葉を音楽と同じくらい大切にしているからです。
声の迫力だけで押し切るのでなく、何を歌っているかが届くよう、発音へ注意を向けている。
低く荒い声でも、言葉を曖昧にしないことが、物語を歌うための選択になっています。
ここでは、声の大きさと発音の明瞭さを同じものとして扱わないことが大切です。
大声にすれば、それだけで単語が分かりやすくなるわけではありません。
言葉の輪郭が残ることで、聴き手は曲中の人物や出来事を追える。
合唱になる前に、一人の声で物語を運ぶ役目があるのです。
「The Red Baron」では、速く進むヴァースと合唱の取り合わせが特徴になります。
一方、「The End of the War to End All Wars」では、低く威圧的な歌声が、重い響きの中に置かれます。
同じアルバム『The Great War』でも、言葉を勢いよく運ぶ場面と、低い声の存在感を前に出す場面では、歌の進み方が違います。
低音の歌手だから、どの曲も同じ重さで進むというわけではありません。
速い旋律を歌うときには、次の言葉へ進む動きが印象を作ります。
反対に、低い声を据える場面では、その声が周囲の音とどんな緊張感を作るかが大切になる。
ヨアキムの声を一つの音色として覚えた後は、曲ごとの時間の使い方へ耳を向けると、同じ声の働きの違いを追いやすくなります。
合唱の厚みと、一人の声を分けて捉える
Sabatonの大きな合唱は、ヨアキム一人の声の厚みだけで生まれるものではありません。
ベーシストのパル・スンドストロムは、女性の合唱に、初期から関わる歌い手たちがいることを説明しています。
男性側には、メンバーや友人たちも参加する。
複数の人の声を合わせる作りが、サビの広がりを支えています。
一人の歌声と合唱では、聴き手との関係も変わります。
個人の声は、語る人の顔を想像させるものです。
そこに声が重なると、一人の物語を、多くの人が共有する感覚が生まれる。
ヨアキム自身の声が大きく聞こえる場面でも、リードの音色と、周囲の声の層を分けて考えると、録音の面白さが見えてきます。
逆に、合唱が響いていても、本人の歌唱とは限りません。
『The Great War』の最後に置かれた「In Flanders Fields」は、Sabatonのメンバーが歌う曲ではなく、合唱で締めくくられます。
アルバム全体を一つの歌声として捉えると、本人の表現と、作品全体の演出を混同してしまいます。
荒い声についても同様です。
パルは「Carolus Rex」の終盤などのグロウルを、ギタリストのクリス・ローランドが担当したと説明しています。
リード歌唱のざらつきと、別の人が加えた強い声を、ヨアキム一人の発声の切り替えとしてまとめないことも必要です。
王を演じる「Carolus Rex」、ピアノの前に立つバラード
「Carolus Rex」を歌うヨアキムは、自分を偉大な存在と信じる王を演じる面白さを語っています。
強い声は、単に格好よく歌うためだけのものではなく、人物の大きな自意識を伝える役も持つ。
同じ堂々とした歌い方でも、誰の言葉として届けるかによって、その迫力の意味が変わります。
それとは違う場に声を置くのが、「The Ballad of Bull」です。
ピアノを中心に、弦や合唱が加わる曲では、荒い音色が別の形で前へ出ます。
ジョナサン・ヒルが評価した、ゆったりした歩みにも残る説得力。
同じ声の重みを別の感情へつなげる曲と捉えられます。
バラードを歌うことは、必ずしも透明な声や、息を多く混ぜた声へ変えることではありません。
歌手の持つ質感を残し、伴奏や旋律との関係を変える方法もあります。
ヨアキムの場合、低く荒い声を曲の中へ置いたときに、威圧感になるのか、人を思う重みになるのか。
その違いが、曲をまたいで歌を聴く面白さです。

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声の個性を、歌う内容に結びつける
あの声にも、歌うための準備はあります。
本人は、特にツアーの間隔が空いた後にはウォームアップを行い、声を使う状態へ戻していくと説明しています。
荒い音色を、準備せずに勢いで出す歌い方と同一視する必要はありません。
舞台での力強い印象の手前に、声を整える時間があります。
若い歌手へ向けたヨアキムの助言には、好きな歌手をまねるだけで、自分の声の個性を失わないでほしいという考えがあります。
彼の歌唱を参考にする場合も、ざらつきを強く作ることだけが入口ではないはずです。
何を伝えるための声なのか、言葉がどう届くか、周囲の音とどんな役割を分担するか。
その判断にこそ、参考にできるところがあります。
ヨアキムの歌の強さは、低い声という素材だけでは説明しきれません。
旋律を歌い、言葉を立て、合唱の厚みを借り、曲の人物や感情に声を結びつける。
荒い音色の奥にある、こうした選び方まで見えてくると、Sabatonの堂々としたサビも、静かなバラードも、同じ歌い手の表現としてつながってきます。
録音への考え方や母語で歌った経験など、時期による変化は、ヨアキム・ブローデン (Sabaton)の歌唱変遷でたどっています。

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