千秋(DEZERT)の歌声の変遷|荒さを残しながら、言葉を届かせる歌へ

千秋(DEZERT)/2023年インタビュー掲載写真(撮影:西槇太一) シンガー
千秋(DEZERT)/2023年インタビュー掲載写真(撮影:西槇太一)

千秋の歌は、荒々しさが消えたから伝わるようになったのでしょうか。
DEZERTの歩みをたどると、それだけでは説明できません。
言葉を明瞭にするために歌を学び直しながら、昔の録音に残る独特の歌い回しも大切にしてきたからです。
変わった声と、残したかった声。
その両方を見ると、激しさの向こうに誰かを思う歌が育ってきた過程が見えてきます。

初期からあった、昔の自分を歌い続ける難しさ

DEZERTは2011年に結成されました。
千秋は、激しい音楽や視覚的な表現に惹かれてバンドを始めた一方、活動が進むにつれて、自分たちに期待される姿と、自分が作りたい音楽との間で悩むようになります。
初期のイメージが定着することは、次に表現できるものを狭めることでもありました。

千秋(DEZERT)/2012年当時のビジュアル
千秋(DEZERT)/2012年当時のビジュアル。
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その迷いは、2015年の時点ですでに表れています。
千秋は、以前の曲を作ったときの気持ちが変われば、当時と同じようには歌えないと話していました。
自分が今感じていることと、聴き手が求める過去の曲が、いつも一致するわけではない。
それでも、過去の自分がいたから現在があるという思いもありました。

ここには、歌い方を変える難しさの一つがあります。
音程を取れるかどうかだけでなく、その言葉を今の自分として歌えるかという問題です。
千秋の場合、後年の変化は突然の路線変更ではなく、この食い違いと向き合うところから始まっていました。

『TODAY』で、言葉の伝え方を問い直す

2018年の『TODAY』へ向かう時期、歌を教わる中で突き付けられたのは、表現したい内容が相手に届いていないという課題でした。
千秋が学び直したのは、日本語の発音や口の形といった基本です。
2018年には、歌詞についても意識が変わったと振り返っています。
言葉を伝えるために、音楽の重さをいったん取り除く必要もありました。

当時は、聴く音楽の幅も変わっていました。
一方で、自分の中に浮かぶ音楽に、バンドの演奏や表現がすぐ追い付いたわけではありません。
『TODAY』には、理想が先へ進んだからこそ生まれた難しさもあったのです。

激しい曲を作れることと、静かな言葉を人へ届けられることは、それぞれ別の課題です。
声をきれいに整えるだけで解決するものでもありません。
曲の中で何を前に出すのかを選び直すことが、この時期の歌の転機でした。

『black hole』で、自分の声を引き受ける

2019年の「バケモノ」を語る頃には、千秋の自分自身への見方も変わっています。
かつては自分の声が好きではなく、憧れる人の歌い方をまねていたといいます。
しかし、自分はこの声で生きていくしかないと考えるようになった。
『TODAY』からの一年あまりは、歌い方とともに、自分の声の受け止め方が変わる時間でもありました。

アルバム『black hole』では、知らない人にも曲が届いてほしいという思いが、よりはっきりします。
「I'm sorry」の最初のデモは静かなもので、SORAがドラムを入れるべきか迷うほどでした。
バンドの迫力を示す以外にも、歌を届ける形を探していたことが分かります。

憧れの歌手に近づくための声から、自分の声で何を伝えるかへ。
この変化があってこそ、曲調を広げることも、自分らしさを失う不安だけではなくなります。
荒さや癖は、直すべき欠点として一括りにできないものになっていきました。

「ミザリィレインボウ」で、聴き手との距離が変わる

2020年のLINE CUBE SHIBUYA公演では、「ミザリィレインボウ」が初めて演奏されました。
SORAは、そのときメンバー全員に強く感じるものがあったと振り返っています。
曲は2021年の『RAINBOW』に収録され、バンドが先へ進むきっかけの一つになりました。

千秋がこの曲で思い浮かべていたのは、自分に似た弱さや迷いを持つ人でした。
以前なら嫌っていたような率直なメッセージを、時間をかけて歌えるようになったのです。
ただ、ライブでは限られた誰かだけでなく、目の前の全員に伝えたいとも話しています。

自分の内側にあるものを吐き出す歌が、同じように悩む人へ向かう。
それは、言葉を柔らかく言い換えたというだけの変化ではありません。
誰に向かって歌っているのかが、以前より具体的になったのです。
声の切実さが、聴き手との関係を作る力へつながっていきました。

2024年、伴奏を変えて歌そのものと向き合う

2024年のメジャー第1作『The Heart Tree』では、曲をライブでどう演奏するかが制作の段階から意識されました。
録音としての理想を優先した『black hole』を経て、今の四人で届けられる形を考えるようになったのです。
表題曲の言葉も、千秋がライブ中に感じ、その後まで心に残った思いから生まれています。

ただし、アルバムの発売年と、すべての歌の録音年は同じではありません。
「ともだちの詩」には2016年に録ったテイクが生かされています。
昔の自分と今の自分が一枚の中に共存していることも、この作品の特徴です。

同年4月の『The Heart Tree ~unplugged selection~』では、三曲をアコースティックな形で録り直しました。
外部の編曲者を迎えて演奏を変えると、千秋には自分の歌の弱点も見えたといいます。
歌そのものを確かめ直す機会になりました。

昔の癖を残す判断と、歌を生かす演奏

一方、2024年のベスト盤で「君の子宮を触る」を扱った際は、過去の声を残す判断をしました。
冒頭の独特な歌い方を残すため、2024年版は歌を録り直すのではなくミックスの変更にとどめています。
新しい版を聴いても、そこにある声まで全部新録とは限りません。

アコースティック版では、今の歌をもう一度確かめる。
初期曲では、昔の歌い回しの良さを残す。
同じ年の制作でも、曲によって必要な答えは違っていました。

2025年の『yourself: ATTITUDE』では、歌を生かすための工夫が演奏にも及びます。
Miyakoは、千秋からボーカルをもっと聴いて編曲するよう求められ、ギターと歌の関係への向き合い方が変わったと話しています。
SORAも、歌を妨げないよう控えるだけでなく、千秋から強く叩いてよいと言われる場面があったといいます。
歌を前に出す方法は、伴奏を静かにすることだけではなくなっていたのです。

言葉を届かせようとして音を減らした『TODAY』から、歌と演奏の関係を曲ごとに選ぶ段階へ。
千秋一人が声を磨くだけでなく、四人が歌の居場所を作るようになったことにも、歩みの深まりがあります。

ツアーを重ね、その場で曲を届け直す

千秋(DEZERT)/2026年3月20日、幕張イベントホール公演(撮影:西槇太一)
千秋(DEZERT)/2026年3月20日、幕張イベントホール公演(撮影:西槇太一)。
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2025年から続いた47都道府県ツアーについて、千秋はライブが大きく崩れにくくなったと振り返る一方、慣れへの危機感も語っていました。
同年末の鹿児島公演では、開演直前にメンバーへ、曲をきちんと伝えることを求めています。
演奏技術が一瞬で変わったわけではなくても、その日の手応えは違ったといいます。
経験を積んだからこそ、形になることと、曲に向き合って歌うことを分けて考えていたのです。

2026年3月、47都道府県ツアーの終着点となった幕張公演は、「真宵のメロディー」で始まりました。
千秋は歌詞を一つずつかみしめるように歌っています。
長いツアーの先でも、歌の中心に置かれていたのは、一人ひとりへ言葉を渡していく姿でした。

同年の『Alternate4』では、四人が一曲ずつ作曲しました。
Sacchanの「TOXIC」では、千秋が高すぎたサビの旋律を作り直し、自分が歌う形へ整えています。
他のメンバーの発想を受け止め、自分の声で成立させることも、現在の表現の一部です。

千秋の変化は、昔の荒い歌を捨てて、きれいな歌へ到達したという一本道ではありません。
発音を学び、自分の声を受け入れ、目の前の人へ歌いながら、残すべき癖も選べるようになった。
今の技術で過去を消すのではなく、今の自分として過去も歌う。
その積み重ねが、DEZERTの歌を広げてきました。

曲ごとの声の選び方は、千秋(DEZERT)の歌い方で掘り下げています。

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