アンドレア・ボチェッリの歌を、高く伸びるテノールの一言だけで説明するのは難しいでしょう。
オペラのアリアを歌い、ラヴソングを歌い、まったく違う声を持つ人ともデュエットする。
そのとき、声の出し方や言葉の扱いをどう選んでいるのか。
本人の考えと制作の具体例をつなぐと、響きの大きさだけではない歌の魅力が見えてきます。
1997年、ピサでのライブ。
母音を響かせ、言葉の形を残す
ボチェッリは、ポップスで使う自然な発声と、声楽的な響きを整えた発声の違いを、想像されるほど大きくないものと捉えています。
同じ声の持つ柔軟さを、異なる曲へ活かしているという考え方です。
一方で、オペラでは技術に限らず、作品への継続的で細かな勉強が必要だとも説明しています。
ボチェッリは、イタリア語の母音の開放感と、言葉を形づくる子音を大切に捉えています。
本人にとって、言語そのものが音楽を奏でる楽器でもあるのです。
伸ばす音で母音を聴き、言葉の区切りで子音を聴くと、旋律と発音を別々にせず受け取れます。
一方、ポルトガル語を歌うときには、発音へ特に注意が必要だとも説明しています。
言語に応じて、発音へ向ける注意も変わります。
響きを保つことと、その言葉として明瞭に伝えることを、同時に考えています。
ポップスで選ぶ、直感と低い声の親密さ
『Amore』を作ったとき、ボチェッリはポップスでは直感を頼りにすると話していました。
曲が呼び起こす感情に、自由に反応しようとしています。
「Somos Novios」のようなラヴソングでは、旋律に触れて生まれる気持ちを歌へつなげることも、表現の中心になります。
続く『Passione』では、低い音域の声を活かし、フォスターのピアノやラモン・スタニャーロのギターと組み合わせています。
ラテンのリズムとオーケストラがある中で、低い声にも居場所を作った作品です。
フォスターは、ボチェッリが恋の歌に向かうと、声の表情を切り替えられることを魅力として挙げました。
高い音へ向かう瞬間だけでなく、低いところで旋律を運ぶ時間にも耳を向けると、歌が相手へ近づいていく感覚を捉えやすくなります。
『Pasión』(2013年)収録音源。

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二つの声が引き出し合う、デュエットの表情
エド・シーランとの「Perfect」では、最初にポップス寄りで歌ったところ、シーランがオペラ的なボチェッリの声を求めました。
本人は、その判断が正しかったと振り返っています。
共演相手の求めに応じて、自分の声の個性を活かし直した例です。
ボチェッリ自身は、共演者を選ぶことを、画家が色を混ぜて生まれるニュアンスを考えることにたとえています。
声が重なった結果、二人それぞれの表現が強まるかどうかが大切なのです。
同じ歌い回しにそろっているかだけでなく、声の違いによって曲に何が加わるかを聴くと、デュエットの面白さが分かります。
ジェニファー・ロペスとの「Quizás, Quizás, Quizás」では、二人は別の場所で録音しました。
それでもボチェッリは、相手が伝えてくるものに身を任せ、自分の音楽的な直感に従うことが重要だと説明しています。
離れた場所で録音しても、相手の歌に呼応しようとしています。
ロペスの新鮮さや感情が、この曲へ加わったことを喜んでいました。
「Love Me Tender」についても、優しく愛を与え、受け取る歌と捉えています。
情熱を表す声には、強く押し出す声だけでなく、柔らかく相手へ向かう声も含まれます。
小さな声から大きな祈りへ
『Believe』の「Inno Sussurrato」は、エンニオ・モリコーネが残した曲をもとに完成させた作品です。
ボチェッリは、ささやきから始まり、次第に大きくなって、広く人々へ向かう祈りのようになる曲と説明しています。
小さな始まりがあるから、その後の広がりも表現になります。
声が育っていく過程そのものが、曲の意味とつながっています。
映画音楽にも、異なる声の置き方を考える材料があります。
『Cinema』のコンサートでは「Maria」から「Moon River」、スペイン語の「No Llores Por Mí Argentina」まで、性格の異なる旋律が並びました。
ミュージカルの大きな感情と、親しみやすい映画の歌を、同じ歌手が引き受けています。
作品ごとの言語や物語へ目を向けると、響きの豊かさを聴くだけでは気づきにくい、表現の違いも考えられます。
『Cinema』収録のスタジオ音源。

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ビブラートと高音を、一つの尺度で判断しない
ビブラートは、伸ばした音に規則的な揺れを与える歌い方です。
ボチェッリは2024年、若い頃の細かなビブラートと、現在の高音の扱いやすさを分けて説明しました。
前者は以前と同じように再現しにくく、後者は技術的に楽になったという自己評価です。
高音が出ることだけで、声の状態のすべてを説明できるわけではありません。
2022年にも、声は毎年変わり、その時の声を活かす条件を作る必要があると語っています。
息子マッテオも、父から日々自分の声を知ることの大切さを教わっていました。
録音の年代が違えば、同じ歌手の声にも違いがあります。
昔の響きだけを理想として固定せず、それぞれの時期にどんな表現を選べるかを聴く視点が役立ちます。
また、声の魅力と、すべての曲を同じ精度で歌えることも別です。
2013年のアブダビ公演では、『椿姫』の「乾杯の歌」の息の扱いに課題を指摘する批評がありました。
同じ公演では「Era già tutto previsto」の穏やかな揺らぎや、パオラ・サングイネッティと息の合った共演も評価されています。
一つの高音や一曲の出来だけで、歌手のすべてを決める必要はありません。
曲の要求と、その場での表現を分けて考えることで、長所も課題も具体的になります。
声を聴かせる前に、その曲を好きになる
ボチェッリは、歌を解釈するには、まず自分がその曲に惹かれる必要があると話しています。
共演するときには、相手ともその感情を共有する。
その一方で、声は身体という一つしかない楽器だからこそ、学びと継続的な訓練が必要だと考えています。
自然に感情を届けるための準備を、日々重ねています。
歌に心を動かされ、その気持ちを声として届けられるように整える。
彼の歌には、この二つが並んでいます。
聴くときは、声の大きさに加えて、低い音の時間、言葉の輪郭、相手と重なった響き、強さが変わる過程にも耳を向けてみてください。
壮大な歌手という印象の中に、親密な声を選ぶ歌手の姿も見えてきます。
こうした選択を広げてきた道のりは、アンドレア・ボチェッリの歌唱変遷でたどっています。

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