赤飯の歌声の変遷|声を変える楽しさから、自分の声を残す表現へ

2019年の取材時の赤飯 シンガー
2019年の取材時の赤飯

赤飯の歌を初めて聴いた曲によって、思い浮かべる声はずいぶん違うかもしれません。
女性のような声、太い歌声、激しいシャウト。
ただ、その歩みは、出せる声の種類が増えていく話だけではありません。
誰かに似せる楽しさを持ちながら、自分の声をどう残すか。
観客を沸かせる歌から、落ち着ける空間までどう作るか。
歌い手、バンド、再び広がったソロ活動をたどると、声を選ぶ理由の変化が見えてきます。

「見習いハーデス」2025年再録版。

ものまねとラウドロックが、最初から同居していた

赤飯は、幼い頃からものまねを楽しんでいました。
高校の学園祭では、松浦亜弥の曲を振り付けまで再現して歌った直後に、冠二郎の「炎」を披露しています。
アイドルと演歌を、同じ人が続けて歌う。
聴き手を驚かせる声の落差は、動画投稿を始める前から彼の楽しみでした。

一方、大学でバンドを始めた際、最初にコピーしたのはリンキン・パークでした。
モーニング娘。にも、マリリン・マンソンやスリップノットにも夢中になっていたのです。
2007年12月に始まったニコニコ動画への投稿には、こうした幅広い好みと、人前で声を変えて歌ってきた経験が持ち込まれました。

2010年のリハーサルで中央で歌う赤飯
2010年のリハーサルで中央で歌う赤飯。
画像出典:画像掲載元

シャウトは、得意と呼ばれた後も作り直した

多彩な声で知られるようになっても、本人にとって歌唱は完成していませんでした。
2011年の『PSYCHODRAMA』は、曲の要求に技量が追いつかず、望む声を出せないまま喉が疲れていく録音だったと振り返っています。
2012年の「見習いハーデス」では、息を吸いながら出すシャウトを用いています。
その響きが気に入り、以後も使っていましたが、2015年の『IDOLATRY』では、制作相手の鬱Pから息を吐く方で歌うよう求められました。
鬱Pの理由は、その方が音として良いと感じたからでした。

赤飯は、そこから吐くシャウトに取り組み直します。
2025年に「見習いハーデス」を再録した際は、間奏を除いて吐く方法で録り直したと説明しています。
同じ曲を長く歌う間に、声を作る手段そのものも更新してきたのです。

バンドで、仲間の声を重ねる意味

2016年、オメでたい頭でなによりが始動します。

その前から赤飯には、自分の言葉で歌いたいという思いと、バンドをやりたいという願いがありました。
ソロのライブを支えたメンバーたちとは、ラウドな音楽の好みを共有していました。
そこへ、ふざけたい気持ちや、さまざまな音楽への愛着を持ち込む。
ものまねから離れて真面目になるのではなく、好きな表現に自分の思いを乗せるバンドを作っていったのです。

赤飯が好んでいたのは、明るさの中にも寂しさや切なさがある音楽でした。
にぎやかな歌を歌うときにも、ただ元気な人物になり切れば済むわけではありません。
笑いながら気持ちが揺さぶられるという、バンドの表現を担うようになりました。

2019年の「ザ・レジスタンス」では、声の重ね方にも、その姿勢が表れています。
夢がある人を応援するだけでは、夢を持てずにいる人が取り残されるのではないか。
赤飯はそんな疑問から、どちらの生き方も受け止める歌詞へ進みました。
動画サイト出身であることで偏見を持たれた経験も、曲に込めています。

その出自に触れる箇所では、自分の声を重ねるだけで済ませず、メンバー全員の声を録りました。
仲間自身の声が入ることで、言葉に意味が生まれると考えたためです。
何役も歌える人が、仲間の声を必要とした。
ここに、個人の歌い分けとは異なる、バンドで歌う意味があります。

2022年、声の圧を抑えて作りたいものが見えた

ライブの熱気を分け合うことが原動力だった赤飯にとって、コロナ禍の制約は大きな行き詰まりになりました。
作ったデモもしっくり来ず、自分が何をしたいのか分からなくなる。
そこで、好きな曲に改めて向き合おうと提案され、カバー集の制作へ進みます。

2022年の『オメでたカバー横丁~一番街~』には、「君がいるだけで」のカバーが収められました。
制作途中にはポリープの手術による中断もあり、歌唱再開後に少しずつ録音を進めています。
赤飯自身が求めていたのは、圧で押す歌よりも、人の温度を感じてほっとできる音でした。
当初のデジタルな案から、牧場で演奏するような空気へ変えたいと訴えたのも本人です。
抑えた歌唱には、こうした表現上の狙いがありました。

同じカバー集の「ガラガラヘビがやってくる」では、女性的なニュアンスと普段の自分を行き来させています。
以前は誰かの歌い方へ全面的に寄せる方が楽だった赤飯が、自分を残して別の要素を混ぜられたと振り返ったのです。
声を切り替えるだけでなく、混ぜ方も選ぶようになっていました。

その年の『オメでたい頭でなにより3』では、制作を一人で背負う考え方も変わります。
自分の頭にある音を完全に形にしようとして、メンバーの案を受け取りにくくなっていた。
カバー制作を経てもすぐ解消したわけではありませんでしたが、曲ごとに他のメンバーへ主導権を渡すことで、制作が前に進みました。
他の人の表したいことを、自分の歌で受け取る余地が広がったのです。

「意味ない歌」では、324が赤飯に、女声やシャウトとは違う、素のまっすぐな歌を求めました。
歌う側もすぐ答えを出せず、何度も録って探っています。
制作を任せることは、仲間からの新しい要求を引き受けることでもありました。

2024年、眠らせていた太い声と、力の抜けた歌

『オメでたい頭でなにより4』の「ADVANCE TiME」では、赤飯は、バンド始動後にあまり使わなくなっていた、ざらつきのある太い歌い方を再び試しました。
仲間への感謝と再出発を込めた、ぽにきんぐだむの言葉を、どうすれば勢いづけられるか。
その問いに、大学時代から憧れていたメタル系の歌い方が応えたのです。
新しい声を覚えるだけでなく、以前から持っていた声の使い道を再発見した曲でした。

同じアルバムの「今宵、又旅へ。」では、肩の力を抜き、海辺で気兼ねなく過ごすような音楽を目指しています。
カバー制作などで、外部の編曲家の力も借りて探っていた赤飯の好みが、今度はメンバーとの制作で形になりました。
太い声の復活と、くつろいだ歌の実現は、同じ時期に起きています。
穏やかさへ一直線に変わったのではなく、歌いたい情景に応じて、強さも柔らかさも使えるようになっていったのです。

ソロでも、過去の声と新しい歌を並べていく

バンドは2024年4月をもって無期限活動休止に入ります。
解散はせず、存在と音楽を残すという判断でした。

2025年8月の「飯フェス」では、赤飯はカバー、DJ、弾き語り、バンドと、複数の形で歌いました。
「セロリ」の弾き語りで観客とやり取りを重ねる一方、終盤には「燃やせ」「FLY」などの新曲も披露。
その新曲群の歌について、公演を取材した田中大は、変化球よりもロックのフロントマンとしての直球を感じ取っています。

赤飯自身も、過去の表現を否定せず磨き続けながら、まだ知らない自分を探したいと語りました。
多彩な声を捨てて一つの声に絞るのではなく、それまでの表現と新しい挑戦を、同じステージへ並べていたのです。

2025年8月「飯フェス」で観客と向き合う赤飯
2025年8月「飯フェス」で観客と向き合う赤飯。
画像出典:画像掲載元

2026年10月には、オメでたい頭でなによりも「JACK LION FES」で一夜限りの再集結を果たしました。
継続的な活動再開とは区別しておきたい出来事ですが、バンドで育てた歌も、彼の歩みの中に残っています。

赤飯の変遷は、得意技を増やすだけでなく、それを使う量や目的を選び直してきた歩みです。
声を切り替えて驚かせることも、自分を残して歌うことも、仲間の言葉を支えることもある。
曲ごとの具体的な使い分けは、赤飯の歌い方で取り上げています。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました